もっとコミュニケーションを
2002年11月25日 昨日の午前中、西宮スタジアムにアメリカンフットボールの試合を観戦しに行く前に、散歩がてら近所にある関西学院大硬式野球部の練習を観ていた。
この日は県立西宮高との合同練習日。これは県立西宮高の監督である植田茂樹が関西学院大のOBであることから、時折、このような交流の機会に恵まれているのだ。僕も学生時代、尼崎北高(当時、植田は尼崎北高の監督)とよく合同練習を行っていたのを覚えている。
ウォーミングアップやキャッチボールが終わり、まず投内連携(外野手が走者役になり、投手もノックに入った内野ノック)が始まった。高校生と大学生が入り混じった投内連携。歴然とした実力差は感じなかったが、基本的にミスをした後のプレーに関しては大学生の方が上。高校生はミスをすると残念がってしまい、プレーがそこで完全に途切れてしまう。ノックバットを握っていた関西学院大の本荘雅章監督も
「残念がっている暇はないでぇ! 次のプレーがあんねんから」
と、指摘していた。
大学生は本荘の意識が浸透している。“ミスはミス”と割り切り、まだ生きている走者の存在を忘れていない。結果的にアウトを一つも取ることが出来なくても、プレーを簡単かつ勝手に中断させないのだ。まぁ、この辺は単純に経験差も出て来ているのかも知れない。
高校生と大学生の合同練習。正直、大学生のメリットはそんなに大きくない。技術的なことで、高校生から吸収するものは皆無と言って良く、限られた練習時間の中に高校生が加わることで、ノックを受ける本数やバッティング練習の時間は削減されてしまう。強いて挙げるとすれば、高校生の“ひたむきな態度”くらいであろう。
かたや高校生。ワンランク上の野球に接することは有意義であるのだが、正味、半日とちょっと大学生と一緒に練習するだけだ。数日間に渡る強化合宿ならまだしも、技術的に大きな“伸びしろ”は見込めそうもない。さらに“お客さん”的な扱いになってしまうので、厳しさを求めることも出来ない。
しかし、僕はこのような機会をもっと頻繁に作るべきだと思う。ただし、一つの条件を付ける。お互いにもっとコミュニケーションを取ることである。
僕が今回、残念に感じたのは、ただ大学生と高校生が同じグラウンドで練習をしているだけ。大学生と高校生の会話がほとんど見られなかったことだ。
「今のプレー、どうでしたか?」
などと、高校生から大学生に話し掛けるのは相当、勇気を要する行為だ。それならば、大学生から声を掛ければ良い。
「おぉ、今のナイスプレーやな」
「ちょっと慌ててしまったんかな」
「ほら、もっと声出そうぜ」
最初は他愛のない一言で構わない。そのようにコミュニケーションを取り始めることで、練習の合間に技術的なことに少しでも触れる会話が出来るようになるのではないか。
他人にアドバイスを与える。それはシッカリと観察をして、自身と照らし合わさないと出来ないもの。大学生にとっては客観的に自身のプレースタイルを見つめ直す絶好の機会なのだ。
アドバイスを受ける方も全てを短時間で自身のものにするのは困難だが、いくつかの選択肢の中から、自身に合ったものを模索する力が必要となる。高校生にとっても、漠然と“打ちました”、“投げました”、“走りました”という練習よりも明らかに中身は濃い。それによって、お互いにもっと野球が楽しくなる。僕はそう思うのだけれども。
恐らく、大学生はアドバイスを与える術をあまり知らない。きっと、これまでにそういった機会が少なかったのだ。そこで一つの提案。
合同練習は効率の悪さも否めないので、派遣スタイルの野球教室を積極的に実施すれば良い。
大学生はバッテリー(投手、捕手)、内野手、外野手の4人1組くらいで、近所の小学校、中学校、高校に赴く。現実に授業もあるし、リーグ戦も戦わなくてはならない。でも、全く時間がない訳ではない。野球教室の“先生”をすることも、前述したように実りがある。特に、才能に恵まれながらも、くすぶっている選手はそこで何かヒントを得る可能性があるのではないか。また、高校生は日頃、指導を受けている監督やコーチ、関係者のアドバイスよりも新鮮な気持ちで耳を傾けることが出来るような気もする。
規模も小さく、プロや社会人の野球教室と比べてしまえば見劣りはするが、大学に入っても野球を続けている者の経験とハートを少しでも下の世代に伝えること。それは野球界全体の底上げになるはずだ。
僕の考えは、あくまでも第三者の意見。現場サイドの人間が試行錯誤とアレンジを加えることで、もっと理想的な形態が浮かび上がって来るだろう。是非、真剣に検討、追求して欲しい。
この日は県立西宮高との合同練習日。これは県立西宮高の監督である植田茂樹が関西学院大のOBであることから、時折、このような交流の機会に恵まれているのだ。僕も学生時代、尼崎北高(当時、植田は尼崎北高の監督)とよく合同練習を行っていたのを覚えている。
ウォーミングアップやキャッチボールが終わり、まず投内連携(外野手が走者役になり、投手もノックに入った内野ノック)が始まった。高校生と大学生が入り混じった投内連携。歴然とした実力差は感じなかったが、基本的にミスをした後のプレーに関しては大学生の方が上。高校生はミスをすると残念がってしまい、プレーがそこで完全に途切れてしまう。ノックバットを握っていた関西学院大の本荘雅章監督も
「残念がっている暇はないでぇ! 次のプレーがあんねんから」
と、指摘していた。
大学生は本荘の意識が浸透している。“ミスはミス”と割り切り、まだ生きている走者の存在を忘れていない。結果的にアウトを一つも取ることが出来なくても、プレーを簡単かつ勝手に中断させないのだ。まぁ、この辺は単純に経験差も出て来ているのかも知れない。
高校生と大学生の合同練習。正直、大学生のメリットはそんなに大きくない。技術的なことで、高校生から吸収するものは皆無と言って良く、限られた練習時間の中に高校生が加わることで、ノックを受ける本数やバッティング練習の時間は削減されてしまう。強いて挙げるとすれば、高校生の“ひたむきな態度”くらいであろう。
かたや高校生。ワンランク上の野球に接することは有意義であるのだが、正味、半日とちょっと大学生と一緒に練習するだけだ。数日間に渡る強化合宿ならまだしも、技術的に大きな“伸びしろ”は見込めそうもない。さらに“お客さん”的な扱いになってしまうので、厳しさを求めることも出来ない。
しかし、僕はこのような機会をもっと頻繁に作るべきだと思う。ただし、一つの条件を付ける。お互いにもっとコミュニケーションを取ることである。
僕が今回、残念に感じたのは、ただ大学生と高校生が同じグラウンドで練習をしているだけ。大学生と高校生の会話がほとんど見られなかったことだ。
「今のプレー、どうでしたか?」
などと、高校生から大学生に話し掛けるのは相当、勇気を要する行為だ。それならば、大学生から声を掛ければ良い。
「おぉ、今のナイスプレーやな」
「ちょっと慌ててしまったんかな」
「ほら、もっと声出そうぜ」
最初は他愛のない一言で構わない。そのようにコミュニケーションを取り始めることで、練習の合間に技術的なことに少しでも触れる会話が出来るようになるのではないか。
他人にアドバイスを与える。それはシッカリと観察をして、自身と照らし合わさないと出来ないもの。大学生にとっては客観的に自身のプレースタイルを見つめ直す絶好の機会なのだ。
アドバイスを受ける方も全てを短時間で自身のものにするのは困難だが、いくつかの選択肢の中から、自身に合ったものを模索する力が必要となる。高校生にとっても、漠然と“打ちました”、“投げました”、“走りました”という練習よりも明らかに中身は濃い。それによって、お互いにもっと野球が楽しくなる。僕はそう思うのだけれども。
恐らく、大学生はアドバイスを与える術をあまり知らない。きっと、これまでにそういった機会が少なかったのだ。そこで一つの提案。
合同練習は効率の悪さも否めないので、派遣スタイルの野球教室を積極的に実施すれば良い。
大学生はバッテリー(投手、捕手)、内野手、外野手の4人1組くらいで、近所の小学校、中学校、高校に赴く。現実に授業もあるし、リーグ戦も戦わなくてはならない。でも、全く時間がない訳ではない。野球教室の“先生”をすることも、前述したように実りがある。特に、才能に恵まれながらも、くすぶっている選手はそこで何かヒントを得る可能性があるのではないか。また、高校生は日頃、指導を受けている監督やコーチ、関係者のアドバイスよりも新鮮な気持ちで耳を傾けることが出来るような気もする。
規模も小さく、プロや社会人の野球教室と比べてしまえば見劣りはするが、大学に入っても野球を続けている者の経験とハートを少しでも下の世代に伝えること。それは野球界全体の底上げになるはずだ。
僕の考えは、あくまでも第三者の意見。現場サイドの人間が試行錯誤とアレンジを加えることで、もっと理想的な形態が浮かび上がって来るだろう。是非、真剣に検討、追求して欲しい。
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