ベストゲーム

2002年12月5日
「今年のベストゲームは?」
 最近、このような質問をよく受ける。
 無名校同士の高校野球地区予選、優勝を決める大学野球のリーグ戦、休部決定の社会人野球チーム、ホームラン記録の懸かったプロ野球の試合…などなど。
 1年間でプロアマ問わず、170試合超も野球観戦をした。友人であるフジテレビアナウンサー・八馬淳也から貰ったスコアブックもすぐに使い果たし、舎弟!?のTBSアナウンサー・藤森祥平、熱血虎党のGAORA・薦田一行からも譲り受けた。テレビ局のスコアブックは市販のものよりもマスが大きくて、非常に記入し易いのだ。
 3冊のスコアブックを目前に並べるだけで、様々なシーンが思い浮かぶ。だから、ベストゲームを1試合だけ挙げるのは困難ではあるが―。

 時計の針を戻そう。5月12日のGS神戸、関西学生リーグの立命館大−京都大、近畿大−同志社大(共に2回戦)のカードが組まれていた。
 前日、同志社大は最終回に追い上げるが、近畿大が4−2で振り切り、先勝した。そして、この2回戦で近畿大が勝ち、勝ち点を挙げれば、京都大との対戦を残すのみでリーグ優勝に大きく前進。逆に同志社大が勝てば、3回戦にもつれ込むのは勿論のこと、同志社大が勝ち点を挙げる可能性も膨らむ。そうなると、この時点で近畿大、同志社大、関西学院大の3校が優勝争いに踏みとどまり(勝ち点、勝率で肩を並べ)、関西学生リーグ史上初の“三つ巴プレーオフ”の実現も考えられる。そのような背景があって、プレーボールは告げられたのだ。
 負けは許されぬ同志社大は前日に5回ノックアウトを食らったエース・渡辺亮が2試合連続となる先発のマウンドに登る。自慢の速球も冴え、スピードガン表示は148?を計時する。チェンジアップも要所で決まり、強力な近畿大打線を相手に8回まで散発の3被安打、7奪三振。ほぼ完璧と言って良い内容であった。また、打線も奮起して、7番打者の桑原宏弥捕手がチャンスメイク。これを1番・執行貴義内野手、2番・藤村太地内野手が適時打を放ち、小刻みに得点を重ねる。

 僕は『週刊ベースボール』(ベースボールマガジン社)から“大学野球リポート”の依頼を受けていたので、珍しく原稿用紙にペンを走らせていた。原稿の締切はこの日の20時だ。ノートパソコンを持ち歩くのも面倒臭かったし、夜は知人の結婚式2次会でミナミ(大阪)まで行かなくてはならない。記者席で下書きだけは済ませておこうという魂胆であったのだ。
《同志社大雪辱。この結果、関西学生リーグは史上初の“三つ巴プレーオフ”までもつれ込む可能性も出て来た〜》
 星取表とにらめっこをして、近畿大、同志社大、関西学院大の勝率を計算。スコアブックもボールカウントは書き込まず、結果だけを記入するのみ。試合が終わる前に、原稿の下書きも書き終わった。後はゲームセットを待つだけ。しかし、そこから劇的なドラマは始まったのだ。

 9回裏、近畿大は先頭打者の9番・藤田一也内野手に代打を送る。福島幸嗣外野手が左打席から放った打球はファーストへの内野安打となる。続く、大西宏明外野手はライト前ヒットで、代走に出ていた広瀬亮外野手も積極的な走塁を見せる。ノーアウト1、3塁の状況で田中雅彦捕手がキッチリとライト前にタイムリーヒット。林威助外野手も4連打となるショートへの内野安打で繋ぎ、ノーアウト満塁と依然、近畿大はチャンスを迎えている。
「おいおい、こっちは原稿も書き終わっているんやから」
 正直、浅はかな僕は近畿大の粘りを自分勝手な理由で迷惑に感じていた。
 4番の中村真人内野手はセンターに大飛球。三塁ランナーの大西はタッチアップで悠々とホームインをするが、2塁ランナーの田中雅が判断を誤り、飛び出していた。同志社大のセンターで主将も努める平石洋介外野手は慌てることなく、2塁に返球。犠牲フライで1点は追加したものの、ダブルプレーも成立。ノーアウト満塁がツーアウト1塁になってしまった。スコアは前日と同じ4−2。
「さすがに近畿大もここまでやな」
 近畿大の“イケイケムード”が田中雅の走塁ミスによって一気にしぼんだ。その瞬間である。渡辺がここまでノーヒットの田中篤史外野手に投じた初球、真ん中高目のやや甘いストレート。田中篤は迷いもなくブッ叩いた。打球は低い弾道のまま、広いGS神戸(中堅122?、両翼99.1?)のライトスタンド中段にアッという間に突き刺さった。まさかの同点ツーランホームランが飛び出したのだ。両拳を突き上げて、お祭り騒ぎのナインに迎えられる田中篤。マウンドでうずくまる渡辺。あまりにも対照的。
 尚も近畿大は攻撃の手を緩めない。主将・米田甚哉内野手が渡辺の足元を抜く、センター前ヒット。ようやく同志社大の吉川博敏監督がダグアウトから出て来て、渡辺の降板が告げられた。しかし、2番手・吉田智彦投手も予想外の登板だったのだろう。きっと15分前までは同僚の渡辺が完投すると思っていたに違いない。そのような動揺を突かれて、米田に盗塁を許す。さらに制球の定まらない吉田はワイルドピッチで米田を3塁まで進めたうえに松丸文政内野手にはフォアボールを与える。そして、右バッターボックスには米倉佑典投手に代わる代打・栗本優司外野手が立つ。また初球であった。吉田のストレートにやや差し込まれながらも、打球は一塁手・藤村の右横を抜け、二塁手・中江拓雄内野手も飛び付く。中江の差し出したグラブにゴロは収まるかと思われたが、僅かに届かない。代打逆転サヨナラタイムリーヒットで近畿大は狂喜乱舞。殊勲打の栗本はチームメイトから手荒な祝福を受けている。榎本保監督と南栄治コーチまでもが手を取り合って、飛び跳ねている。同志社大のライト・松田尚樹外野手は無造作に、今にも止まってしまいそうな打球を拾い上げた。同志社大のダグアウトは一様に呆然と立ち尽くし、守備に就いていた選手は天を仰いだり、肩を落としたり。主将・平石はセンターの定位置で膝まずき、しばらく動けない。

「スゴイ試合を観てしまったな。“勝負は下駄を履くまで分からない”ってことは、こういうことなんや」
 僕は同志社大が勝つであろうという前提の元、書かれた原稿用紙をグシャグシャに丸めた。

 帰り際、平石と通路ですれ違った。
「すみません、無様な試合で…」
 平石は僕に頭を下げたが、何も言えなかった。いや、何と応えて良いのか分からなかった。ただ、
「無様な試合ではなかったぞ」
 と、心の中で呟くのが精一杯であった。
 体育座りで頭を抱え込んだままの渡辺を新聞記者達が取り囲んでいる。しかし、僕は悪夢の敗戦を喫してしまったエースの横を足早に通り過ぎ、神戸市営地下鉄の改札へ急いだ。

 確かに、たくさんの野球の試合を観ていると、漠然とグラウンドの空気や雰囲気で展開が読める時がある。でも、これは根拠がなく、絶対ではない。そのことを痛感させられた一戦。僕はそれ以来、試合終了前に原稿を書き始めるという愚かな行為はしていない。

 近畿大硬式野球部 島和也マネージャー殿
 同志社大硬式野球部 土井慎太郎マネージャー殿
―三宮駅に着いても、まだ鳥肌が引きませんでした。素晴らしい試合をありがとう。感謝です。
 
 僕は野球の試合を観て、生まれて初めて手紙を書いた。

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