不快指数
2002年12月11日 夕刻、今日こそはスポーツライターらしい視点で(!?)日記を書くんやっ! と、意気込む。
スポーツ新聞を再読した後、読みかけであった先週号の『週刊ベースボール』(ベースボールマガジン社)を手に取った時。携帯電話が鳴った。
“門田健二→着信”
門田は僕より2歳年上で、学習塾を経営。雀友(雀敵)、草野球仲間、飲み友達と、非常に接点が多い人物で、お互いに昼間の時間帯は融通が利く。今日も一緒に昼食(とんかつ)を食べたばかり。何かあったんかな?
「さっきはドーモ。ところで、朝日新聞(大阪本社版)の夕刊は読んだ?」
「いや、スポーツ新聞しか購読してないんで(苦笑)」
「あのねぇ、一面の特集記事があるんやけれども…」
門田と話し終えると、僕は急いで阪急西宮北口駅へ向かう。普段ならば徒歩で4〜5分の距離なのだが、2〜3分しか要さなかった。それは僕の不快指数のゲージが“レベル4.5”まで達していたから。気付かぬうちに小走りになっていたのだ。
切符の券売機横の売店で、朝日新聞の夕刊を手に取る。
「50円やで」
新聞、雑誌、ガム、キャンディなどの山の向こうにいるおばちゃんの声に
「夕刊って、安いんやね」
僕は愛想の良いフリだけをして50円玉を手渡す。そして、すぐに一面の記事を読み始めた。いや、読み始めるまでもなかった。朝日新聞【夕刊】というすぐ横にあった“さらば西宮スタジアム”というデカデカとした文字が目に飛び込んで来たからだ。その時点で、不快指数ゲージは一気に最高値である“レベル5.0”まで上がった。
2週間前の11月25日、僕はこの日発売の総合スポーツ誌『Sportiva 1月号』(集英社)に寄稿。
“サヨナラの秋”という特集の一環で、営業停止になる西宮スタジアムにスポットを当てた読み物。タイトルはズバリ“さらば西宮スタジアム”であった。
構想は西宮スタジアムの営業停止が発表された5月中旬から抱いており、6月には、秋頃の『Sportiva』で発表することも決まった。取材もゆっくりとではあるが進めていたことは言うまでもない。
個人的にも、西宮スタジアムは学生時代にプレーした球場であるから、思い入れも強い。そして、担当のK氏と何度も打ち合わせを重ねて、満を持しての入稿。反省点もたくさんあるのだが、愛着のある僕の分身(作品)である。それだけに不快感は鎮まらなかった。ただ単にタイトル、見出しが“かぶって”しまっただけでなく、内容も若干は“かぶって”いるように思えてしまう。テーマがテーマだけに、これは仕方のないことかも知れないし、僕のような無名スポーツライターが書いた駄文など知らない。『Sportiva』(※今年の3月に創刊)という雑誌は読んだこともない。そう言われてしまえば、それまで。しかし、頭で理解していても、心が理解出来ない。しかも、向こうは天下の朝日新聞であり、スポーツ部の担当記事。歯がゆいとは、こういうことを言うのだろう。
朝日新聞大阪本社のスポーツ部に電話を掛けた。ケンカを売った訳ではない。事情を説明して、ただ、やり場のない不快感と、大新聞社としてはチェックが甘いのではないかという旨を口にした。
そして、数分後。スポーツ部のデスクと名乗るヒグチたる人物から連絡が入った。
「この度は…。すぐにでもお会いして、こちらも記事掲載の経緯を説明したいですし、島尻さんのお話もお伺いしたいと思っているのですが」
迅速な応対だ。不快指数ゲージの針は“レベル2.7”くらいまでに下がった。
しかし、難しい問題である。僕も知らないうちに、同じようなことを冒している可能性もあるのだから。ただでさえ多岐に渡る媒体が存在しているうえに、この日記のようにネット上のものまでも含めると、まさに“星の数”という表現は大袈裟ではない。その全てを網羅して、チェックするのは至難の業。冷静になり、そのように考え直すと、また不快指数ゲージが僅かながら上昇。今度は“レベル3.2”程度。でも、それは朝日新聞に対してではない。僕自身の“小さな器”を痛感したからである。
そして、スポーツライターらしい日記は今日も書けなかった…。併せて、自己嫌悪っす(>_<)
スポーツ新聞を再読した後、読みかけであった先週号の『週刊ベースボール』(ベースボールマガジン社)を手に取った時。携帯電話が鳴った。
“門田健二→着信”
門田は僕より2歳年上で、学習塾を経営。雀友(雀敵)、草野球仲間、飲み友達と、非常に接点が多い人物で、お互いに昼間の時間帯は融通が利く。今日も一緒に昼食(とんかつ)を食べたばかり。何かあったんかな?
「さっきはドーモ。ところで、朝日新聞(大阪本社版)の夕刊は読んだ?」
「いや、スポーツ新聞しか購読してないんで(苦笑)」
「あのねぇ、一面の特集記事があるんやけれども…」
門田と話し終えると、僕は急いで阪急西宮北口駅へ向かう。普段ならば徒歩で4〜5分の距離なのだが、2〜3分しか要さなかった。それは僕の不快指数のゲージが“レベル4.5”まで達していたから。気付かぬうちに小走りになっていたのだ。
切符の券売機横の売店で、朝日新聞の夕刊を手に取る。
「50円やで」
新聞、雑誌、ガム、キャンディなどの山の向こうにいるおばちゃんの声に
「夕刊って、安いんやね」
僕は愛想の良いフリだけをして50円玉を手渡す。そして、すぐに一面の記事を読み始めた。いや、読み始めるまでもなかった。朝日新聞【夕刊】というすぐ横にあった“さらば西宮スタジアム”というデカデカとした文字が目に飛び込んで来たからだ。その時点で、不快指数ゲージは一気に最高値である“レベル5.0”まで上がった。
2週間前の11月25日、僕はこの日発売の総合スポーツ誌『Sportiva 1月号』(集英社)に寄稿。
“サヨナラの秋”という特集の一環で、営業停止になる西宮スタジアムにスポットを当てた読み物。タイトルはズバリ“さらば西宮スタジアム”であった。
構想は西宮スタジアムの営業停止が発表された5月中旬から抱いており、6月には、秋頃の『Sportiva』で発表することも決まった。取材もゆっくりとではあるが進めていたことは言うまでもない。
個人的にも、西宮スタジアムは学生時代にプレーした球場であるから、思い入れも強い。そして、担当のK氏と何度も打ち合わせを重ねて、満を持しての入稿。反省点もたくさんあるのだが、愛着のある僕の分身(作品)である。それだけに不快感は鎮まらなかった。ただ単にタイトル、見出しが“かぶって”しまっただけでなく、内容も若干は“かぶって”いるように思えてしまう。テーマがテーマだけに、これは仕方のないことかも知れないし、僕のような無名スポーツライターが書いた駄文など知らない。『Sportiva』(※今年の3月に創刊)という雑誌は読んだこともない。そう言われてしまえば、それまで。しかし、頭で理解していても、心が理解出来ない。しかも、向こうは天下の朝日新聞であり、スポーツ部の担当記事。歯がゆいとは、こういうことを言うのだろう。
朝日新聞大阪本社のスポーツ部に電話を掛けた。ケンカを売った訳ではない。事情を説明して、ただ、やり場のない不快感と、大新聞社としてはチェックが甘いのではないかという旨を口にした。
そして、数分後。スポーツ部のデスクと名乗るヒグチたる人物から連絡が入った。
「この度は…。すぐにでもお会いして、こちらも記事掲載の経緯を説明したいですし、島尻さんのお話もお伺いしたいと思っているのですが」
迅速な応対だ。不快指数ゲージの針は“レベル2.7”くらいまでに下がった。
しかし、難しい問題である。僕も知らないうちに、同じようなことを冒している可能性もあるのだから。ただでさえ多岐に渡る媒体が存在しているうえに、この日記のようにネット上のものまでも含めると、まさに“星の数”という表現は大袈裟ではない。その全てを網羅して、チェックするのは至難の業。冷静になり、そのように考え直すと、また不快指数ゲージが僅かながら上昇。今度は“レベル3.2”程度。でも、それは朝日新聞に対してではない。僕自身の“小さな器”を痛感したからである。
そして、スポーツライターらしい日記は今日も書けなかった…。併せて、自己嫌悪っす(>_<)
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