背番号

2002年12月12日
 私事ではあるが、これまでに幾つの背番号を背負ったのだろうか?
 リトルリーグに入った小学3年生、初めて手渡された背番号は《39》であった。その後、ボーイズリーグ、中学、高校ではポジションの関係もあって《2》、《3》、《12》、《13》を付ける機会が多かったような気がする。
 大学では運良く、1回生の春からベンチ入りすることが出来た。その際に貰った背番号は《33》。本当は一桁の“軽い背番号”が欲しかったのだが、ユニフォームのサイズ上の問題(ただ単に体がデカかっただけ)で《33》になったというのが真相ではあるのだが(苦笑)。
 とても気に入っていた背番号《33》であったのだが、2回生からは様々な事情!?で《10》に変更。それから、僕の野球人生は転落するばかり。って、背番号のせいにしてはイケマセン。
 サラリーマン時代、草野球を始めた時には《24》を選んだ。そして、御縁があって野球漫画の大御所・水島新司先生の草野球チームBOTTSでは《23》、現在のCBGBイージーズでは《7》を付けている。ちなみに時折、助っ人に行く神戸のチームでは《14》である。

 野球における背番号の由来、歴史などを調べたこともあるのだが、この日記のスペース(3000字以内)を考えると…。省略させて戴きたい。

「10番、何してるんですかぁ〜!」
「ナイスバッティングやで、10番」
 大学時代、試合や練習中、背番号で声を掛けられることが多かった。特に後輩からは、ほとんど背番号で呼ばれていたような記憶がある。
 よくよく考えてみれば、僕も先輩の名前を
「11番、頑張って行こうっ!」
「2番、頼みましたよ」
 などと、背番号で呼んでいたものだ。プレー中とは言えども、先輩の名前を“呼び捨て”には出来ない。また、中継プレーなどで声を繋ぐ時に
「○○さん、もうちょっと右です」
 なんて、悠長に言っていられない。
「31番、もうちょい奥」
 の方が、円滑なのは明らか。
 余談ながら、今日は社会人野球・大阪ガスの練習を観に行っていたのだが、
「1番、4番、7番、バテテるんちゃいますかぁ〜。もっとダッシュ、ダッシュ」
 と、若い選手が先輩に激を飛ばしていた。

 イチロー(マリナーズ)外野手がブルーウェーブ時代、《51》から《7》に背番号変更の打診を受けた時に
「《51》=イチロー。自分の番号にしたい」
 と、断ったケースもあれば、藤川球児(タイガース)は心機一転。自身の名前にちなんで《92》に変更する場合もある。また、井端弘和のように実績を残して、来年は《6》に出世(今年までは《48》)。逆に田中総司(ホークス)の《21》から《54》という例もある。
 たかが背番号、されど背番号。様々な想い、愛着、意図…など。そして、ドラマが存在するのだ。

 現在、プロ球団の新入団選手発表会見のピーク。
「早くファンの皆様に、顔と名前を覚えて貰えるように頑張ります」
 そのようなコメントをする選手も多い。これに加えて、是非、背番号も早く覚えて貰おう。背番号はもう一つの顔なのだから。

「背番号《7》が可哀相やわ、島尻の背中だと」
「えっ、どうしてですか?」
「なんか小さく見えんねん。遠くからやと《1》と見間違えてまうわ」
「・・・・・」

 僕の大きな背中(ムダな横幅???)には一桁の背番号はどうやら似合わないらしい。でも、僕は《7》が好きやねんっ!

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