ファーストグラブ
2002年12月15日 今日の話しは“ファーストグラブ”。初めて手にするグラブのことである。一塁手用の“ファーストミット”にまつわる話しではない。
幼い頃の記憶なので、曖昧な部分も多いのだが。僕はかつて左手でボールを投げていたような気がする。
現在でも、多少はギコチないフォームではあるけれども、左でもそこそこ(40〜50mくらい)はボールを放ることが可能。また、箸も左で使うことが出来る。
元来、僕は“左利き”だったのでは?
実際にその名残か、僕は腕時計を右腕にはめている。左腕に時計をはめて時刻を見ようとすると、左脇が不細工に開いてしまうのだ。右腕ならば、自然な動作。まぁ、ただ単純に“馴れ”の問題なのかも知れないが。
親に言われて、直した訳ではない。小学校に入学して間もない時。僕は周囲の仲間と違うことに気付いたのである。ドッチボールで、僕だけボールを投げる手が逆であった。子供心にみんなと同じでないことは不安で仕方がなく、自身の意思で左投げを封印したのだ。
ある日、父親と住んでいたマンション内の公園でボール遊びをしていた。
「あれっ、お前、いつから右で投げるようになったんだ?」
父親は僕の変化にすぐ気付くと、僕の手を引いて、すぐ近所にあったスポーツ店へ向かった。そして、買って貰ったのが深い緑色のグラブ。勿論、右利き用のもので、オーソドックスな子供用であった。残念ながら、どこのメーカー(ミズノだったかな?)のものであったかまでは覚えていない。
生まれて初めて手にしたグラブは、僕の宝物になった。毎日、学校や同じマンションに住む友達と野球をして遊び、夜は一人(一人っ子だったので)で壁当てに没頭した。寝る時も、いつもグラブを枕元に置いていたものだ。
小学3年生になって、リトルリーグに入った。硬式用のグラブに買い替えて貰ったので、宝物であった“ファーストグラブ”は全く手にしなくなった。いや、それどころか、いつの間にかどこかへ消えてしまった。
今になって、つくづく後悔している。あの“ファーストグラブ”を、ちゃんと保管しておかなかったのか? 大事にしておかなかったのだろう? 野球人生の“はじめの一歩”を踏み出したグラブであったのに…。
康平君と健吾君。僕の彼女の甥っ子(お姉さんの子供)である。
12月末に弟の健吾君が3歳の誕生日を迎える。これまで、兄の康平君にはNIKEのスニーカーを買ってあげたこともある。さて、健吾君へのプレゼントは何が良いものか?
この夏、康平君、健吾君の2人と遊ぶ機会があった。ゴムボールでキャッチボールをしたり、僕の投げたボールをバトミントンのラケットで打って貰ったり。記録的な猛暑の中、僕の着ていたTシャツも汗でグッチャリになってしまった。
5歳になる康平君は小さなグラブを持っていた。ところが、2歳の健吾君はグラブを持っていなかった。
「ケンちゃんは多分、左利きやと思うねん」
彼女はそう言い、さらに小さな子供向けの左利き用グラブが売っていない(見付からない)ことを付け加えた。確かに健吾君は左でボールを投げていたし、康平君のグラブを借りても、右にはめる。
「ふ〜ん、それやったら作ったらええやんか」
「グラブって、作れるん?」
「手形とか取って、革とかも好きな色を選べるんやで」
「へぇ〜、そうなんや。知らんかった」
そのような僕と彼女とのやり取りがあって、健吾君の誕生日プレゼントは“ファーストグラブ”に決定。
携帯電話のメモリーから、高校時代の同級生である広池浩司(カープ)の名前を呼び出す。そして、広池にグラブを作りたい旨を説明。
「どこのメーカーでも良いから、カープに出入りしている道具担当者に頼んでくれへんかな」
「でも、あまり小さすぎてもダメだろう。小学生の中学年くらいまでは使えるヤツを頼んだ方が良いと思うんだけどなぁ」
という広池の助言も参考にして、グラブをオーダーした。“KENGO”と、刺繍を入れるのも忘れずに。
携帯電話のディスプレイに見覚えのない電話番号が表示された。
「本当、ありがとうね。ちょっと早いけど、健吾の誕生日プレゼントが届いたんよ。健吾がお礼を言いたいそうじゃけぇ、ちょっと代わるから待っとってね」
電話の声の主は、彼女のお姉さんであった。そして、
「オイちゃん、赤いグローブ、カッコいいよ。僕、頑張るね。オイちゃんもお仕事、頑張ってね。また、一緒に野球やろうね。ありがとう。どうもありがとうございました。バイバイ」
まだ3歳になっていない健吾君がシッカリとした口調でお礼を言ってくれた。恐らく、ママ(彼女のお姉さん)が電話の向こう側で“こう言うんよ”と、教えているのだろう。それでも、健吾君が喜んでくれているのは存分に伝わって来て、グラブをプレゼントして良かった。と、心底から思った。
健吾君にとっての“ファーストグラブ”。果たして、どれだけの意味を持つのだろうか?
これがきっかけになって、将来はプロ野球選手に…なんていうのは出来すぎた話しではあるが、少なくとも野球をはじめ、スポーツに興味を持つようになれば。それだけで嬉しいものだ―。
幼い頃の記憶なので、曖昧な部分も多いのだが。僕はかつて左手でボールを投げていたような気がする。
現在でも、多少はギコチないフォームではあるけれども、左でもそこそこ(40〜50mくらい)はボールを放ることが可能。また、箸も左で使うことが出来る。
元来、僕は“左利き”だったのでは?
実際にその名残か、僕は腕時計を右腕にはめている。左腕に時計をはめて時刻を見ようとすると、左脇が不細工に開いてしまうのだ。右腕ならば、自然な動作。まぁ、ただ単純に“馴れ”の問題なのかも知れないが。
親に言われて、直した訳ではない。小学校に入学して間もない時。僕は周囲の仲間と違うことに気付いたのである。ドッチボールで、僕だけボールを投げる手が逆であった。子供心にみんなと同じでないことは不安で仕方がなく、自身の意思で左投げを封印したのだ。
ある日、父親と住んでいたマンション内の公園でボール遊びをしていた。
「あれっ、お前、いつから右で投げるようになったんだ?」
父親は僕の変化にすぐ気付くと、僕の手を引いて、すぐ近所にあったスポーツ店へ向かった。そして、買って貰ったのが深い緑色のグラブ。勿論、右利き用のもので、オーソドックスな子供用であった。残念ながら、どこのメーカー(ミズノだったかな?)のものであったかまでは覚えていない。
生まれて初めて手にしたグラブは、僕の宝物になった。毎日、学校や同じマンションに住む友達と野球をして遊び、夜は一人(一人っ子だったので)で壁当てに没頭した。寝る時も、いつもグラブを枕元に置いていたものだ。
小学3年生になって、リトルリーグに入った。硬式用のグラブに買い替えて貰ったので、宝物であった“ファーストグラブ”は全く手にしなくなった。いや、それどころか、いつの間にかどこかへ消えてしまった。
今になって、つくづく後悔している。あの“ファーストグラブ”を、ちゃんと保管しておかなかったのか? 大事にしておかなかったのだろう? 野球人生の“はじめの一歩”を踏み出したグラブであったのに…。
康平君と健吾君。僕の彼女の甥っ子(お姉さんの子供)である。
12月末に弟の健吾君が3歳の誕生日を迎える。これまで、兄の康平君にはNIKEのスニーカーを買ってあげたこともある。さて、健吾君へのプレゼントは何が良いものか?
この夏、康平君、健吾君の2人と遊ぶ機会があった。ゴムボールでキャッチボールをしたり、僕の投げたボールをバトミントンのラケットで打って貰ったり。記録的な猛暑の中、僕の着ていたTシャツも汗でグッチャリになってしまった。
5歳になる康平君は小さなグラブを持っていた。ところが、2歳の健吾君はグラブを持っていなかった。
「ケンちゃんは多分、左利きやと思うねん」
彼女はそう言い、さらに小さな子供向けの左利き用グラブが売っていない(見付からない)ことを付け加えた。確かに健吾君は左でボールを投げていたし、康平君のグラブを借りても、右にはめる。
「ふ〜ん、それやったら作ったらええやんか」
「グラブって、作れるん?」
「手形とか取って、革とかも好きな色を選べるんやで」
「へぇ〜、そうなんや。知らんかった」
そのような僕と彼女とのやり取りがあって、健吾君の誕生日プレゼントは“ファーストグラブ”に決定。
携帯電話のメモリーから、高校時代の同級生である広池浩司(カープ)の名前を呼び出す。そして、広池にグラブを作りたい旨を説明。
「どこのメーカーでも良いから、カープに出入りしている道具担当者に頼んでくれへんかな」
「でも、あまり小さすぎてもダメだろう。小学生の中学年くらいまでは使えるヤツを頼んだ方が良いと思うんだけどなぁ」
という広池の助言も参考にして、グラブをオーダーした。“KENGO”と、刺繍を入れるのも忘れずに。
携帯電話のディスプレイに見覚えのない電話番号が表示された。
「本当、ありがとうね。ちょっと早いけど、健吾の誕生日プレゼントが届いたんよ。健吾がお礼を言いたいそうじゃけぇ、ちょっと代わるから待っとってね」
電話の声の主は、彼女のお姉さんであった。そして、
「オイちゃん、赤いグローブ、カッコいいよ。僕、頑張るね。オイちゃんもお仕事、頑張ってね。また、一緒に野球やろうね。ありがとう。どうもありがとうございました。バイバイ」
まだ3歳になっていない健吾君がシッカリとした口調でお礼を言ってくれた。恐らく、ママ(彼女のお姉さん)が電話の向こう側で“こう言うんよ”と、教えているのだろう。それでも、健吾君が喜んでくれているのは存分に伝わって来て、グラブをプレゼントして良かった。と、心底から思った。
健吾君にとっての“ファーストグラブ”。果たして、どれだけの意味を持つのだろうか?
これがきっかけになって、将来はプロ野球選手に…なんていうのは出来すぎた話しではあるが、少なくとも野球をはじめ、スポーツに興味を持つようになれば。それだけで嬉しいものだ―。
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