Baseball Kid パート?

2003年1月13日
 幼少時、夢中になった遊び。それはキャッチボール。
 近所に住んでいた清水さんという早稲田大工学部院生のお兄さんが、よく僕の相手をしてくれたものだ。

「よ〜し、今日も対戦チームはジャイアンツだ。1番センター松本匡史。“青い稲妻”は足が速いから、出塁させたら面倒だよ。必ず抑えるぞっ!」
 清水さんはそう言い、画用紙で作ってくれたホームベースを置く。そして、“島尻少年”は構えたミットに白球を投げ込む。あの頃の“島尻少年”はホンマに先発完投型の好投手だったなぁ。レジー・スミスから3打席連続三振も奪っていたし(笑)。原辰徳、中畑清もカモだった。しかし、前述の松本と、捕手の山倉和博にはよく打たれた。現在、冷静になって考えると、その理由が分かるような気がする。松本、山倉は早稲田大出身。清水さんも早稲田大だ。

 サイン交換という行為も幼心に面白かった。清水さんの出したサインに何度も首を振っては、“小便カーブ”ばかり投げていた。(今でも“小便カーブ”やけれどもね…)
 また、当時、プロ野球のバッテリー間では“乱数表” (試合時間遅延の原因となる理由で廃止)を用いたサイン交換をしていた。ミーハーな“島尻少年”はすぐに“乱数表”を作成。自身のグラブと、清水さんのミットに貼り付けていた記憶がある。

 僕の父親は立教中野球部在籍時に“全東京”のメンバーに選出され、日米親善少年野球大会ではレギュラー三塁手。立教大在学時も立教中野球部の監督をしており、東京都大会(1965年秋)で、チームを優勝へ導いたこともある。ちなみにこの時の立教中のエースは、後にプロ野球へ進んだ岡持和彦(東映→日本ハム、野手に転向して18年間プレー)。だから、僕は後楽園球場で行なわれるファイターズ戦に、しょっちゅう連れて行かれた。それで、“サモアの怪人”ことトニー・ソレイタの大ファンになったのである。
 って、話しが脱線しそうなので、元に戻そう。そう、父親の話しだ。
 上記したように、父親はそこそこ野球に覚えのある人間であった。そのような父親とキャッチボールをするのも“島尻少年”の大きな楽しみ。友人達の間でも
「“しまじぃ”(僕の当時の呼び名)のオヤジ、野球巧いよなぁ」
 と、もっぱらの評判であり、自慢の父親。グラブを持った父親は本当に格好が良く、
「僕もお父様(当時はそう呼んでいた)みたいに、野球が巧い大人になるんだ」
 たまの休みでノンビリくつろいでいる父親の腕を引っ張っては
「キャッチボールしようよぉ〜」
“島尻少年”はせがんでいた。そして、嬉しいことに父親はいつも相手をしてくれた。しかも、1時間でも2時間でも真剣に。

 父親との最後のキャッチボールはいつだろう?
 確か、高校に入学する直前のお正月明け。ちょうど今頃の時期である。
 自宅から車で15分程の河川敷のグラウンド。高校で野球部に入部することを決めた僕と、友人・ヤス(吉澤泰祐)の自主練習を父親は手伝ってくれたのだ。
 内野ノック、外野ノックを打ち、ティー打撃のトスも投げる。果てはフリー打撃の“バッピ”(打撃投手)までも務めた父親。そして、最後にクールダウンのキャッチボールをしていた時に
「お前とはキャッチボールしたくないよ。お父さんは手の平(グラブをはめている手)が痛い。それにお前も、もうお父さん相手では物足りないだろう。ヤス君と2人でやれば良い」
 父親はそう言って、フワリとしていたものの回転の良い球を僕の胸元に投じて、キャッチボールから抜ける。
「なんだよぉ、だらしねえなぁ。疲れたなら疲れたって、素直に言えよ。年齢だな、年齢なんじゃないの」
 ヤスと2人でキャッチボールを続けながら、僕は父親に悪態を付いたが、父親は黙ったままであった。そして、それ以来、父親とキャッチボールをした記憶は一切ない。

 今日、偶然、近所の道端で見知らぬ親子がキャッチボールをしている姿を見掛けた。祝日っぽい光景と、言ったところか。恐らく、子供は小学4〜5年生くらいだろう。僕は少しだけ歩く速度を落としながら、その親子の会話に聞き耳を立てる。
「どうやっ! ええ球やろう」
「何を言うてんねん。まだまだ“ヘナチョコ球”やないかい」
 フッと、あの日を思い出す。河川敷のグラウンドで父親が僕に投じた“最後の一球”の軌道が甦る。指先を離れ、僕のグラブに球が収まるまでのシーンがゆっくりと。
 もしかしたら、あの時の父親の
「お前とはキャッチボールしたくないよ―」
 という言葉は
「お前もだいぶ野球が巧くなったじゃないか。もうお父さんが教えることはないよ」
 の意味を含んだ、父親から僕への“キャッチボールの卒業証書”であったのかも知れない。

「気付かなくてゴメン。悪態まで付いて、申し訳なかった。やっと気付いたよ」
 早いもので、父親がこの世を去ってから、8年余りの時が流れた。僕が野球を大好きであるのは、父親の影響が多分にあるはずだ。しかも、野球を好きであることが、なんとか仕事にもなっている現実。たくさんの素晴らしい仲間にも恵まれている。
 感謝の言葉が見付からないじゃんか、お父様―。

 通りすがりの道端でキャッチボールをしていた親子。特に、子供には時間を費やしてでも感じ取って欲しい。親子でキャッチボールが出来ることの素晴らしさを。そして、いつか“キャッチボールの卒業証書”を父親から授かろう。それは、Baseball Kid にとって、最高の宝物になるのだから。

 これ以上、書き続けていると…。父親のことを思い出して、涙が溢れ出て来そうになる。今日はこの辺で御勘弁を。乱文の程、御容赦。

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