再会(後編)
2003年1月24日 僕は大学を卒業して、社会人になった。配属先は埼玉県の浦和市(現・さいたま市)。とてもお世話になった関口朋幸と連絡こそ取っていたが、次第にその間隔が開いて行く。お互いに遠いところに住んでいるし、それぞれの生活があるのだから、仕方のないことかも知れない。
それでも、示し合わせた訳でもないのに3〜4ヶ月に1度は、どちらかが電話連絡をすることで、親交は途絶えなかった。
「今度、引っ越すことになったんだよ。メチャクチャ近所なんだけどね。島尻君は元気で頑張っているかぁ?」
関口から電話を貰ったのは6月の中旬過ぎ。僕は3年と少しばかり勤めた会社を辞めることを決意していた。
「自分、今月末日で会社辞めるんですよ。まだ漠然としているんですけれども、“スポーツライター”を目指そうと、思っています」
「そうかぁ、一大決心をしたね。こっち(西宮)に来ることはないの? また、ゆっくりと話しながら、美味しい酒をガバガバ飲もうよ」
「学生時代の友達も何人かは西宮にいるんで、遊びに行く予定っす。その時は必ず連絡しますんで、大酒飲みましょう! 奥さんや、歩、拓、大にも会いたいですよ。大きくなっているんだろうなぁ」
「あぁ、みんな、大きくなっているよ。でも、勉強はオヤジに似て、アカンみたいやなぁ(笑)」
他愛もない会話であったが、僕は関口と再会の約束をしたのであった。しかし、僕は関口と大酒を飲むどころか、話しすら―。
7月に入って間もなく。僕は予定通り、西宮へ向かった。早朝、笹目通りを経由して、環状八号線へ出る。しかし、環八は既に大渋滞。用賀インターに着くまでに、2時間近くも要してしまった。
東名高速道路を走り始めてからは順調であった。かつての愛車、ブラック(色コード202)のハリアー3.0は西へ、西へ、進む。鼻歌はPet Shop Boysの『Go West』からドリフターズの『西遊記』になっている。
ニンニキニキニキ ニンニキニキニキ ニシンが三蔵〜♪
我がことながら、無職の身であるのに“お気楽”な奴だ。
浜名湖のSAにて30分ばかりの休憩を挟んだだけで、その後も快調に車を走らせる僕。
ちょうど正午を過ぎたくらいの頃、栗東のSAに着き、2度目の休憩。
「このまま行ったら、15:00前には西宮に着いてしまうなぁ。関口さんは仕事中だろうから、家の方に電話しておくか」
僕はブツブツ呟きながら、携帯のメモリーで“関口朋幸自宅”を探す。通話ボタンを押してから6回目くらいのコールで、電話は繋がった。
「あっ、奥さんですね。ごぶさたしております、島尻です。数日前に関口さんにもお伝えしたんですけれども、西宮に遊びに行くんです。って、実はもう滋賀県まで来ているので、あと2〜3時間もしたら着いてしまいますね」
みんなに久々に会えると思い、興奮していたのだろうか? 僕は一気にまくし立てた。
すると、奥さんは。僕と全く逆で、静かな口調で
「あぁ、島尻さん。お久し振り…」
と、切り出してから、ゆっくりと話し始めた。
「あのねぇ、主人…。一昨日、死んでしまったんですよ…。急なことで私も…」
声にならない声であったが、ハッキリと聞き取ることが出来た。
「一昨日、死んでしまったんですよ…」
僕はすぐに電話を切り、車のエンジンを掛けた。ハンドルを握る手の平は汗でベッチョリになっている。関口に引っ越し先の大体の場所は聞いていた。アクセルをベタ踏みして、何が何だか分からないまま西宮へ急いだ。
関口の自宅には14:00をちょっと回った頃には到着した。
奥さんに促されて、新居の玄関に入ると、かすかな線香の匂いがする。
一番奥の和室には、いかにも人の好さそうな満面の笑顔を浮かべた関口の遺影が、仏壇の前に立て掛けられている。交通事故であったらしく、遺体はまだ病院だと言う。
まだまだ心の整理が付かなかったが、関口の死を、改めて実感する。遺影と対面すると、涙が止まらない。
三男・大が学校から帰って来た。でも、状況が状況であったので、話しらしい話しも出来なかった。
「名前の通り、大きくなったね。僕のこと、覚えているかな?」
それくらいしか言えなかった。
「歩は市立西宮高の野球部に入っています。拓は甲陵中の野球部です。2人共、今日は練習に出ると、言っていましたよ」
奥さんは絞り出すような声で教えてくれた。僕はもう1度、遺影の前で手を合わせた後、市立西宮高と甲陵中へ車を走らせた。
歩は市立西宮高野球部の1年生。初めての県大会予選を前にして、練習に励んでいた。でも、練習を観ている限り、ベンチ入りのメンバーには入っていないようだ。もっぱら練習のサポートをしている。
しばらくして、歩がバックネット裏に面した道路にいた僕の存在に気付く。帽子を脱ぎ、一礼して来た。頭は青々と刈り込まれた坊主頭になっている。
「残念だけど、お父さんのことは聞いたよ」
そのように伝わったかどうかは不明であったが、僕は歩の礼に応え、市立西宮高のグラウンドを後にした。
次に、拓が通う甲陵中。車を止める場所に困りはしたが、なんとか野球部の練習をネット越しに観ることが出来た。しかも、拓は練習中にも関わらず、僕の方までやって来て、
「島尻さんでしょ?」
「そうだよ。今、お父さんに挨拶して来たよ。拓、歩兄ちゃんとお母さんを支えてあげるんだよ」
拓は目に涙をいっぱい浮かべて、大きく頷いた。
あれから、3年余の歳月が流れた。
1度だけ、歩、拓、大に宛てた手紙を書いたが、以来、関口家のみんながどのような日々を送っているかは分からなかった。
また、僕は西宮に引っ越して来てから約1年が経つけれども、挨拶に行きそびれてしまっている。たかが1駅しか離れていないのに…。
拓も兄・歩と同様、市立西宮高で白球を追い掛けている。そのことを、突拍子もなく市立西宮高に訪れたことで知る。そして、ヒョロヒョロと、背が伸びた拓と再会出来たことは“運命的”という言葉を使っても良いに違いない。
大学時代、僕のことをメチャクチャ可愛がってくれた関口。その恩返しという訳ではないけれども、これを契機にもっと市立西宮高の練習や試合を観に行きたいと思う。
偉そうなことを言える立場ではないが、1人の高校球児。また、男としての拓の成長が楽しみになった。
それでも、示し合わせた訳でもないのに3〜4ヶ月に1度は、どちらかが電話連絡をすることで、親交は途絶えなかった。
「今度、引っ越すことになったんだよ。メチャクチャ近所なんだけどね。島尻君は元気で頑張っているかぁ?」
関口から電話を貰ったのは6月の中旬過ぎ。僕は3年と少しばかり勤めた会社を辞めることを決意していた。
「自分、今月末日で会社辞めるんですよ。まだ漠然としているんですけれども、“スポーツライター”を目指そうと、思っています」
「そうかぁ、一大決心をしたね。こっち(西宮)に来ることはないの? また、ゆっくりと話しながら、美味しい酒をガバガバ飲もうよ」
「学生時代の友達も何人かは西宮にいるんで、遊びに行く予定っす。その時は必ず連絡しますんで、大酒飲みましょう! 奥さんや、歩、拓、大にも会いたいですよ。大きくなっているんだろうなぁ」
「あぁ、みんな、大きくなっているよ。でも、勉強はオヤジに似て、アカンみたいやなぁ(笑)」
他愛もない会話であったが、僕は関口と再会の約束をしたのであった。しかし、僕は関口と大酒を飲むどころか、話しすら―。
7月に入って間もなく。僕は予定通り、西宮へ向かった。早朝、笹目通りを経由して、環状八号線へ出る。しかし、環八は既に大渋滞。用賀インターに着くまでに、2時間近くも要してしまった。
東名高速道路を走り始めてからは順調であった。かつての愛車、ブラック(色コード202)のハリアー3.0は西へ、西へ、進む。鼻歌はPet Shop Boysの『Go West』からドリフターズの『西遊記』になっている。
ニンニキニキニキ ニンニキニキニキ ニシンが三蔵〜♪
我がことながら、無職の身であるのに“お気楽”な奴だ。
浜名湖のSAにて30分ばかりの休憩を挟んだだけで、その後も快調に車を走らせる僕。
ちょうど正午を過ぎたくらいの頃、栗東のSAに着き、2度目の休憩。
「このまま行ったら、15:00前には西宮に着いてしまうなぁ。関口さんは仕事中だろうから、家の方に電話しておくか」
僕はブツブツ呟きながら、携帯のメモリーで“関口朋幸自宅”を探す。通話ボタンを押してから6回目くらいのコールで、電話は繋がった。
「あっ、奥さんですね。ごぶさたしております、島尻です。数日前に関口さんにもお伝えしたんですけれども、西宮に遊びに行くんです。って、実はもう滋賀県まで来ているので、あと2〜3時間もしたら着いてしまいますね」
みんなに久々に会えると思い、興奮していたのだろうか? 僕は一気にまくし立てた。
すると、奥さんは。僕と全く逆で、静かな口調で
「あぁ、島尻さん。お久し振り…」
と、切り出してから、ゆっくりと話し始めた。
「あのねぇ、主人…。一昨日、死んでしまったんですよ…。急なことで私も…」
声にならない声であったが、ハッキリと聞き取ることが出来た。
「一昨日、死んでしまったんですよ…」
僕はすぐに電話を切り、車のエンジンを掛けた。ハンドルを握る手の平は汗でベッチョリになっている。関口に引っ越し先の大体の場所は聞いていた。アクセルをベタ踏みして、何が何だか分からないまま西宮へ急いだ。
関口の自宅には14:00をちょっと回った頃には到着した。
奥さんに促されて、新居の玄関に入ると、かすかな線香の匂いがする。
一番奥の和室には、いかにも人の好さそうな満面の笑顔を浮かべた関口の遺影が、仏壇の前に立て掛けられている。交通事故であったらしく、遺体はまだ病院だと言う。
まだまだ心の整理が付かなかったが、関口の死を、改めて実感する。遺影と対面すると、涙が止まらない。
三男・大が学校から帰って来た。でも、状況が状況であったので、話しらしい話しも出来なかった。
「名前の通り、大きくなったね。僕のこと、覚えているかな?」
それくらいしか言えなかった。
「歩は市立西宮高の野球部に入っています。拓は甲陵中の野球部です。2人共、今日は練習に出ると、言っていましたよ」
奥さんは絞り出すような声で教えてくれた。僕はもう1度、遺影の前で手を合わせた後、市立西宮高と甲陵中へ車を走らせた。
歩は市立西宮高野球部の1年生。初めての県大会予選を前にして、練習に励んでいた。でも、練習を観ている限り、ベンチ入りのメンバーには入っていないようだ。もっぱら練習のサポートをしている。
しばらくして、歩がバックネット裏に面した道路にいた僕の存在に気付く。帽子を脱ぎ、一礼して来た。頭は青々と刈り込まれた坊主頭になっている。
「残念だけど、お父さんのことは聞いたよ」
そのように伝わったかどうかは不明であったが、僕は歩の礼に応え、市立西宮高のグラウンドを後にした。
次に、拓が通う甲陵中。車を止める場所に困りはしたが、なんとか野球部の練習をネット越しに観ることが出来た。しかも、拓は練習中にも関わらず、僕の方までやって来て、
「島尻さんでしょ?」
「そうだよ。今、お父さんに挨拶して来たよ。拓、歩兄ちゃんとお母さんを支えてあげるんだよ」
拓は目に涙をいっぱい浮かべて、大きく頷いた。
あれから、3年余の歳月が流れた。
1度だけ、歩、拓、大に宛てた手紙を書いたが、以来、関口家のみんながどのような日々を送っているかは分からなかった。
また、僕は西宮に引っ越して来てから約1年が経つけれども、挨拶に行きそびれてしまっている。たかが1駅しか離れていないのに…。
拓も兄・歩と同様、市立西宮高で白球を追い掛けている。そのことを、突拍子もなく市立西宮高に訪れたことで知る。そして、ヒョロヒョロと、背が伸びた拓と再会出来たことは“運命的”という言葉を使っても良いに違いない。
大学時代、僕のことをメチャクチャ可愛がってくれた関口。その恩返しという訳ではないけれども、これを契機にもっと市立西宮高の練習や試合を観に行きたいと思う。
偉そうなことを言える立場ではないが、1人の高校球児。また、男としての拓の成長が楽しみになった。
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