昔の仲間と
2003年2月9日 昨夜は小雨模様。
「傘、嫌いやねんなぁ」
そうボヤキながら、18:00ジャストに家を出る。18:30にJR大阪駅中央改札口前で待ち合わせをしていたからだ。
しかし、阪急・西宮北口駅前の通称・三角公園の前で、携帯電話を忘れたことに気付く。結局、一旦、家に引き返した為に、乗ろうと思っていた特急に乗ることは出来なかった。
約束の時間に3分遅れて、JR大阪駅中央改札口前到着。ここは大学野球部時代、よく集合場所になっていた。下級生の時はマネージャーの言った30分前(これに遅れたら遅刻→坊主頭)には整列していなければならず、続々と、やって来る先輩達に挨拶をしていたっけ。
「島尻〜、坊主じゃあ!」
先に待っていた正田靖人が冗談交じりの挨拶で先制パンチ。
「悪い、悪い。ロージンバッグとパインダー(バットのグリップ滑り止め)を忘れてしまったんや」
僕は笑いながら、意味不明な言い訳で返す。
「そうや、島尻はロージンとパインダーの係やったな」
正田も笑顔を見せる。
「まだ、他の連中は来てへんの?」
「もうすぐシノリキが来るはずなんじゃけど。貴戸、菊池、近間は遅れるみたいや」
正田がそのように話していると、?一起が
「久し振りやなぁ」
と、正田と僕の背後から登場。そして、すぐにシノリキこと篠原力もやって来た。
「よし、ひとまず4人で行っとくか」
正田の仕切りで、居酒屋へ向かった。
正田、?、篠原は昔の仲間。大学時代のチームメートである。
今回、
「ちょっと集まろうか」
という話しになったのは、正田が勤めていた会社を2月末日で退職し、故郷の広島で指導者(まずは中学校の野球部)の道を歩むことになったからである。まぁ、形式的なものではないが、集まれるメンバーだけで簡単な激励会を。そんな感じである。
居酒屋に入り、ビールで乾杯。僕以外のメンバーは既婚者で、子供がいたり、間もなく子供が産まれる連中。携帯電話の待ち受け画面に設定されている愛娘の画像に
「良かったやんかぁ。父親に似てなくて可愛い、可愛い」
と、チャチャを入れたり、
「自分の実家ばかり帰省する訳にも行かんしなぁ。ちゃんとヨメさんの実家にも顔を出しとかんとな。気を遣うわな」
そのような話題で、緩やかに時は流れて行った。僕以外はみんな、大人になっているなぁ…。
1時間程して、
「スマンのぉ。ヨメさんの実家から母親(義母)が来とってなぁ」
マネージャーであった近間康隆が現れ、僕の隣の席に腰を下ろす。考えてみれば、近間はいつも遅れてやって来る。大学時代から全く変わらない。
「そこ、巨体が並んで、暑苦しいねんっ!」
周囲からツッコミが入るが、これも大学時代から変わっていない。
近間のグラスに瓶ビールを注いでやると、
「おっ、ちゃんとラベルは上を向けているな」
と、一言。先輩にビールを注ぐ際は、必ずラベルを上に向けて、両手で注がなければいけなかったからだ。
その後、独身族の貴戸祐一、菊池淳もやって来て、正田の激励会は即席の同窓会に。多いに盛り上がった。
各々が近況報告をしつつも、
「島尻、投手に転向しようとしていたやんなぁ」
―うん、勘違いしとったから
「貴戸が背番号5を付けて以来、KGの背番号5はみんな長髪になったんやで」
―そんな訳ないでぇ
「?はいつもマイペース・橋本の犠牲者。待ち合わせをしては、待たされ続けていたやんな」
―ホンマやで。橋本のおかげでどれだけ時間を無駄にしたことか
などと、思い出話しに花が咲く。途中、篠原が
「もしもし、私、橋本の親戚の者ですけれども」
神妙な声色で、東京・水道橋のグリーンホテルで働いている橋本隆之に電話。そうそう、篠原はイタズラ電話の常習犯であった。電話に出た橋本も、しばらくしてから状況を把握。
「お前らなぁ…」
と、呆れ果てていた(苦笑)。
同じグラウンドで汗を流した、気を許せる昔の仲間と、久々に飲んだせいか???僕はいつになく酔いが回った。正直、宴の最後の記憶は断片的にしか思い出せない…。どうやって西宮まで戻って来たんやろう???阪急神戸線に乗ったような気はするんやけれども。まぁ、傘も失くしていないし、意外にも冷静な状態で帰って来たんかな???
ありきたりであるけれども、昔の仲間と出会ったことで活力が湧いて来た。是非、仕事へのエネルギーになれば良いな。と、思う次第。そして、また突発的でも構わないので、みんなと顔を合わせたいものだ。
この日記を読んで、貴方も昔の仲間に会いたくなったのでは???
「傘、嫌いやねんなぁ」
そうボヤキながら、18:00ジャストに家を出る。18:30にJR大阪駅中央改札口前で待ち合わせをしていたからだ。
しかし、阪急・西宮北口駅前の通称・三角公園の前で、携帯電話を忘れたことに気付く。結局、一旦、家に引き返した為に、乗ろうと思っていた特急に乗ることは出来なかった。
約束の時間に3分遅れて、JR大阪駅中央改札口前到着。ここは大学野球部時代、よく集合場所になっていた。下級生の時はマネージャーの言った30分前(これに遅れたら遅刻→坊主頭)には整列していなければならず、続々と、やって来る先輩達に挨拶をしていたっけ。
「島尻〜、坊主じゃあ!」
先に待っていた正田靖人が冗談交じりの挨拶で先制パンチ。
「悪い、悪い。ロージンバッグとパインダー(バットのグリップ滑り止め)を忘れてしまったんや」
僕は笑いながら、意味不明な言い訳で返す。
「そうや、島尻はロージンとパインダーの係やったな」
正田も笑顔を見せる。
「まだ、他の連中は来てへんの?」
「もうすぐシノリキが来るはずなんじゃけど。貴戸、菊池、近間は遅れるみたいや」
正田がそのように話していると、?一起が
「久し振りやなぁ」
と、正田と僕の背後から登場。そして、すぐにシノリキこと篠原力もやって来た。
「よし、ひとまず4人で行っとくか」
正田の仕切りで、居酒屋へ向かった。
正田、?、篠原は昔の仲間。大学時代のチームメートである。
今回、
「ちょっと集まろうか」
という話しになったのは、正田が勤めていた会社を2月末日で退職し、故郷の広島で指導者(まずは中学校の野球部)の道を歩むことになったからである。まぁ、形式的なものではないが、集まれるメンバーだけで簡単な激励会を。そんな感じである。
居酒屋に入り、ビールで乾杯。僕以外のメンバーは既婚者で、子供がいたり、間もなく子供が産まれる連中。携帯電話の待ち受け画面に設定されている愛娘の画像に
「良かったやんかぁ。父親に似てなくて可愛い、可愛い」
と、チャチャを入れたり、
「自分の実家ばかり帰省する訳にも行かんしなぁ。ちゃんとヨメさんの実家にも顔を出しとかんとな。気を遣うわな」
そのような話題で、緩やかに時は流れて行った。僕以外はみんな、大人になっているなぁ…。
1時間程して、
「スマンのぉ。ヨメさんの実家から母親(義母)が来とってなぁ」
マネージャーであった近間康隆が現れ、僕の隣の席に腰を下ろす。考えてみれば、近間はいつも遅れてやって来る。大学時代から全く変わらない。
「そこ、巨体が並んで、暑苦しいねんっ!」
周囲からツッコミが入るが、これも大学時代から変わっていない。
近間のグラスに瓶ビールを注いでやると、
「おっ、ちゃんとラベルは上を向けているな」
と、一言。先輩にビールを注ぐ際は、必ずラベルを上に向けて、両手で注がなければいけなかったからだ。
その後、独身族の貴戸祐一、菊池淳もやって来て、正田の激励会は即席の同窓会に。多いに盛り上がった。
各々が近況報告をしつつも、
「島尻、投手に転向しようとしていたやんなぁ」
―うん、勘違いしとったから
「貴戸が背番号5を付けて以来、KGの背番号5はみんな長髪になったんやで」
―そんな訳ないでぇ
「?はいつもマイペース・橋本の犠牲者。待ち合わせをしては、待たされ続けていたやんな」
―ホンマやで。橋本のおかげでどれだけ時間を無駄にしたことか
などと、思い出話しに花が咲く。途中、篠原が
「もしもし、私、橋本の親戚の者ですけれども」
神妙な声色で、東京・水道橋のグリーンホテルで働いている橋本隆之に電話。そうそう、篠原はイタズラ電話の常習犯であった。電話に出た橋本も、しばらくしてから状況を把握。
「お前らなぁ…」
と、呆れ果てていた(苦笑)。
同じグラウンドで汗を流した、気を許せる昔の仲間と、久々に飲んだせいか???僕はいつになく酔いが回った。正直、宴の最後の記憶は断片的にしか思い出せない…。どうやって西宮まで戻って来たんやろう???阪急神戸線に乗ったような気はするんやけれども。まぁ、傘も失くしていないし、意外にも冷静な状態で帰って来たんかな???
ありきたりであるけれども、昔の仲間と出会ったことで活力が湧いて来た。是非、仕事へのエネルギーになれば良いな。と、思う次第。そして、また突発的でも構わないので、みんなと顔を合わせたいものだ。
この日記を読んで、貴方も昔の仲間に会いたくなったのでは???
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