学習能力の大切さを知る(雨の京都にて)
2003年3月1日 あいにくの雨模様。ではあったが、今日は京都大へ取材に出掛けた。
京都大に足を運ぶのは初めてである。阪急・河原町からタクシーに乗り、主務・帖佐和人から送って貰っていたFAXの地図を見せたのだが、全く違う場所で降ろされた…。おかげで
「スミマセン、野球部のグラウンドはどこですかねぇ?」
と、生協のオッチャンや学生らしき若者に聞きながら、雨中を20分以上も歩き回るハメになったやないかいっ!(-_-メ)
やっとの思いで辿り着いたグラウンドでは京都大−大阪大のOP戦が既に始まっている。しかし、3回を迎えた時点で雨足がさらに激しくなり。雨天コールドゲームとなってしまった。
グラウンドの一塁側後方にある部室に招かれ、まずは新監督に就任したばかりの村井保雄に挨拶をする。
村井は興国高の野球部監督として、68年の全国高校野球選手権で初出場初優勝に導いた実績を持つ名将。96年に監督を退いた村井は近畿大OBということで、関西学生リーグの理事(総務担当理事)に名を連ねていた。しかし、京都大の前任監督・来田宣幸(余談ながら、僕と同学年で学生時代に対戦したことがある)が研究職に専念するので、次期監督候補の1人として村井の名前が挙がる。68歳という年齢や家族の反対もあったが、村井は要請を受諾。自身の次男が京都大のエースを務めていた際に
「リーグ戦で1勝しただけやけやねんけれども、みんなで大泣きしたで」
という言葉に、京都大の追い求める野球に“純粋な姿”を感じていたし、連盟理事時代にも京都大の戦い振りに心を揺り動かされていた。
「この年齢になっても、結局は野球が大好きなんですわ」
深いシワに刻まれてはいるが、少年のような屈託のない笑顔はまさに“永遠の野球小僧”。
「大学生を指導するんは初めてやから不安は多いんやけれども、野球の基本は変わらない。そのことを伝えて行きたいんですわ。基本が出来ていれば、無駄な失点は防げる。そうなれば、実力差があっても、良い勝負が出来るはずや」
そう語る村井に、今シーズンの京都大のビジョン、輪郭が浮かび上がって来る。現に、京都大はエース・河村浩輔投手、変則右腕・土屋真司投手が残り、投手陣の軸は固定。谷口真一捕手も経験を積んでいるうえに、課題であった盗塁阻止の為にスローイング精度も高くなって来ている。バッテリーが例年以上にシッカリしているので、あとはバックが村井の理想を噛み砕けば。というところがポイントになるだろう。
昨シーズンも、京都大は粘り強い戦いで、関西学院大(春)や立命館大(秋)から勝ち点を奪っている。それだけに新監督・村井の手腕にも期待が掛かる。
次に、新主将の藤田慎也外野手のインタビュー。なんせ部室なので、他の部員が着替えていたり、食事をしている。多少、やり辛さもあったのだけれども…^_^;
藤田の印象は
「やっぱり頭がええなぁ〜」
の一言に尽きる。勉強が出来るのは当たり前のことではあるが、とにかく喋っている内容が理路整然としている。ちゃんと起承転結が成り立っているのだ。
テープ起こしをすると、よく分かるのだけれども。人間の会話なんてメチャクチャ“ええ加減”なもの。話題がポンポンと、飛躍しているし、接続詞なんか適当である。僕なんかも質問事項を用意しているにも関わらず、しばしば流れから“脱線”していることが多い。ホンマ、自己嫌悪に陥ってしまうくらいに“ええ加減”…。だから、テープ起こしという作業が嫌いなのだ。と、喋りだけでなく、書いていることも“脱線”しがちだ(苦笑)。
藤田もごく普通の“野球小僧”であった。地元(滋賀県大津市)南郷小のスポーツ少年団で野球に出会い、エースで4番。
「あんまり強くないチームでしたけれどもね」
と、南郷中に進んでも同様に中心選手であった。
「深くは考えていなかったんですけれども、高校野球はやりたい。憧れていた部分はありました」
進学校の膳所高に進むことが決まると、春休みから野球部の練習に参加。しかし、5月になると、勉学と部活の両立のペースが掴めず、心臓を患い、入院をする羽目に。
「どっちも全力で打ち込んでいましたからね」
知らず知らずのうちにストレスが蓄積されていたらしい。しかし、新チーム1年生秋には外野手のレギュラーに定着。
「投手としても自信はあったんです。コントロールも良かったし、球威もそこそこあるはず。でも、高校に入って『俺、球速くないんや…』って、気付きました。ちょっと限界を感じるのが遅かったんですかね」
と、藤田は頭を掻いた。
高校時代の通算本塁打は8本。滋賀県大会でもベスト4まで進んだのが最高である。最後の夏の地方予選2回戦で敗れると
「人生で最も勉強した時期ですね」
猛勉強の末、京都大法学部の難関を現役合格。しかも、“京都大一本”であったのだから、驚きである。
「現役で合格したならば野球を続けよう。浪人したら野球は諦めよう」
という風に考えていたので、京都大でも硬式野球部の門を叩く。
「でも、高校時代にスタートでつまづいていますからね(苦笑)。大学では生活のペースを掴んでから、野球部に入りました。5月くらいです」
う〜ん、学習能力があるなぁ。賢い、賢い。
「野球も勉強もダラダラやっても効果がない。メリハリと集中力が大事やと思うんです」
京都大は主将が練習メニューの大筋を決定する。現在、藤田は自身の主張を反映させ、短期集中のメニューを提案、作成、実施している次第だ。
「野球は今年が最後です。司法書士の試験を受けることも考えていますし。一応、法学部の学生ですから(笑)」
だからこそ、藤田は野球の楽しさを満喫したいという想いが人並み以上に強い。
「チームとしては最下位脱出。これは絶対ですし、チャンスはあります。個人的には良い成績を残したい。昨年が散々でしたからね。でも、数字よりも走攻守の全てでチームに貢献出来るプレーが最優先。その辺の役割は心得ています」
最後に主将らしい言葉でまとめてくれた。
「我が母校・関西学院大もウカウカ出来へんな」
まだ雨が降り続く京都の街を眺めながら、帰路に着くが、田んぼの中でも歩いて来たかのように靴がドロドロになってしまっている。タクシーに乗る前に、まずはウェットティッシュで靴の汚れを落とした。
以前、悪天候の際、汚れたままの靴で帰らざるを得ないことがあった。それなので、今日はこのような反省を活かして、予めウェットティッシュを持参していたのである。藤田程ではないにしろ、僕にも少しは学習能力がある!???
原稿を書くのも短期集中でありたいものなんやけれどもなぁ…。
京都大に足を運ぶのは初めてである。阪急・河原町からタクシーに乗り、主務・帖佐和人から送って貰っていたFAXの地図を見せたのだが、全く違う場所で降ろされた…。おかげで
「スミマセン、野球部のグラウンドはどこですかねぇ?」
と、生協のオッチャンや学生らしき若者に聞きながら、雨中を20分以上も歩き回るハメになったやないかいっ!(-_-メ)
やっとの思いで辿り着いたグラウンドでは京都大−大阪大のOP戦が既に始まっている。しかし、3回を迎えた時点で雨足がさらに激しくなり。雨天コールドゲームとなってしまった。
グラウンドの一塁側後方にある部室に招かれ、まずは新監督に就任したばかりの村井保雄に挨拶をする。
村井は興国高の野球部監督として、68年の全国高校野球選手権で初出場初優勝に導いた実績を持つ名将。96年に監督を退いた村井は近畿大OBということで、関西学生リーグの理事(総務担当理事)に名を連ねていた。しかし、京都大の前任監督・来田宣幸(余談ながら、僕と同学年で学生時代に対戦したことがある)が研究職に専念するので、次期監督候補の1人として村井の名前が挙がる。68歳という年齢や家族の反対もあったが、村井は要請を受諾。自身の次男が京都大のエースを務めていた際に
「リーグ戦で1勝しただけやけやねんけれども、みんなで大泣きしたで」
という言葉に、京都大の追い求める野球に“純粋な姿”を感じていたし、連盟理事時代にも京都大の戦い振りに心を揺り動かされていた。
「この年齢になっても、結局は野球が大好きなんですわ」
深いシワに刻まれてはいるが、少年のような屈託のない笑顔はまさに“永遠の野球小僧”。
「大学生を指導するんは初めてやから不安は多いんやけれども、野球の基本は変わらない。そのことを伝えて行きたいんですわ。基本が出来ていれば、無駄な失点は防げる。そうなれば、実力差があっても、良い勝負が出来るはずや」
そう語る村井に、今シーズンの京都大のビジョン、輪郭が浮かび上がって来る。現に、京都大はエース・河村浩輔投手、変則右腕・土屋真司投手が残り、投手陣の軸は固定。谷口真一捕手も経験を積んでいるうえに、課題であった盗塁阻止の為にスローイング精度も高くなって来ている。バッテリーが例年以上にシッカリしているので、あとはバックが村井の理想を噛み砕けば。というところがポイントになるだろう。
昨シーズンも、京都大は粘り強い戦いで、関西学院大(春)や立命館大(秋)から勝ち点を奪っている。それだけに新監督・村井の手腕にも期待が掛かる。
次に、新主将の藤田慎也外野手のインタビュー。なんせ部室なので、他の部員が着替えていたり、食事をしている。多少、やり辛さもあったのだけれども…^_^;
藤田の印象は
「やっぱり頭がええなぁ〜」
の一言に尽きる。勉強が出来るのは当たり前のことではあるが、とにかく喋っている内容が理路整然としている。ちゃんと起承転結が成り立っているのだ。
テープ起こしをすると、よく分かるのだけれども。人間の会話なんてメチャクチャ“ええ加減”なもの。話題がポンポンと、飛躍しているし、接続詞なんか適当である。僕なんかも質問事項を用意しているにも関わらず、しばしば流れから“脱線”していることが多い。ホンマ、自己嫌悪に陥ってしまうくらいに“ええ加減”…。だから、テープ起こしという作業が嫌いなのだ。と、喋りだけでなく、書いていることも“脱線”しがちだ(苦笑)。
藤田もごく普通の“野球小僧”であった。地元(滋賀県大津市)南郷小のスポーツ少年団で野球に出会い、エースで4番。
「あんまり強くないチームでしたけれどもね」
と、南郷中に進んでも同様に中心選手であった。
「深くは考えていなかったんですけれども、高校野球はやりたい。憧れていた部分はありました」
進学校の膳所高に進むことが決まると、春休みから野球部の練習に参加。しかし、5月になると、勉学と部活の両立のペースが掴めず、心臓を患い、入院をする羽目に。
「どっちも全力で打ち込んでいましたからね」
知らず知らずのうちにストレスが蓄積されていたらしい。しかし、新チーム1年生秋には外野手のレギュラーに定着。
「投手としても自信はあったんです。コントロールも良かったし、球威もそこそこあるはず。でも、高校に入って『俺、球速くないんや…』って、気付きました。ちょっと限界を感じるのが遅かったんですかね」
と、藤田は頭を掻いた。
高校時代の通算本塁打は8本。滋賀県大会でもベスト4まで進んだのが最高である。最後の夏の地方予選2回戦で敗れると
「人生で最も勉強した時期ですね」
猛勉強の末、京都大法学部の難関を現役合格。しかも、“京都大一本”であったのだから、驚きである。
「現役で合格したならば野球を続けよう。浪人したら野球は諦めよう」
という風に考えていたので、京都大でも硬式野球部の門を叩く。
「でも、高校時代にスタートでつまづいていますからね(苦笑)。大学では生活のペースを掴んでから、野球部に入りました。5月くらいです」
う〜ん、学習能力があるなぁ。賢い、賢い。
「野球も勉強もダラダラやっても効果がない。メリハリと集中力が大事やと思うんです」
京都大は主将が練習メニューの大筋を決定する。現在、藤田は自身の主張を反映させ、短期集中のメニューを提案、作成、実施している次第だ。
「野球は今年が最後です。司法書士の試験を受けることも考えていますし。一応、法学部の学生ですから(笑)」
だからこそ、藤田は野球の楽しさを満喫したいという想いが人並み以上に強い。
「チームとしては最下位脱出。これは絶対ですし、チャンスはあります。個人的には良い成績を残したい。昨年が散々でしたからね。でも、数字よりも走攻守の全てでチームに貢献出来るプレーが最優先。その辺の役割は心得ています」
最後に主将らしい言葉でまとめてくれた。
「我が母校・関西学院大もウカウカ出来へんな」
まだ雨が降り続く京都の街を眺めながら、帰路に着くが、田んぼの中でも歩いて来たかのように靴がドロドロになってしまっている。タクシーに乗る前に、まずはウェットティッシュで靴の汚れを落とした。
以前、悪天候の際、汚れたままの靴で帰らざるを得ないことがあった。それなので、今日はこのような反省を活かして、予めウェットティッシュを持参していたのである。藤田程ではないにしろ、僕にも少しは学習能力がある!???
原稿を書くのも短期集中でありたいものなんやけれどもなぁ…。
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