努力する者は

2003年3月5日
『大学野球 増刊号』(ベースボールマガジン社)の最後の取材は齋藤伸介投手(龍谷大)。

 3月4日、昼過ぎにJR瀬田駅(滋賀県、琵琶湖のちょっと手前)に到着するが、寒い…。って、雪が降っているのだから当たり前だ。
 タクシーで龍谷大のグラウンドに向かうが、対向車の大半が雪を乗せて走行している。
「ホンマに明け方、グワーッと、降って来たんですよ。せやけど、この時期の雪は水っぽいから解けるのが早いんですわ」
 と、タクシーの運転手。
「でも、ほとんど解けてないやん…」
 僕は心の中で小さく呟いた。

 案の定、グラウンドは使用不可。ここ数日の悪天候で、龍谷大もオープン戦中止が続いていると言う。
 コーチに来ていた(ちゃんと手続きを取っているので、プロアマ協定には引っ掛からない)野田浩司(野球評論家)も
「これじゃあ、練習出来ないよなぁ〜」
 と、嘆いていた。

 齋藤は決して華やかな球歴をたどって来ていない。野球を始めた小学4年生から中学時代は主に捕手をやらされていた。そして、高校に入って、本格的に投手に専念。でも、エースナンバーを手渡されたのは3年生の春。
「背番号が1だっただけですよ。2〜3人で順番に投げていましたから。球は速かったんですけれども、コントロールがねぇ…。真のエースにはなれなかったんですよ」
 
 龍谷大入学後も、齋藤になかなか出番は巡って来ない。1学年上には杉山直久投手(→阪神)、植大輔投手(→中日)という力量のある先輩がいた影響もある。
「下級生時代、バックネット裏でスコア係をやっているじゃないですか。リーグ戦だけでなく、神宮球場(大学選手権、神宮大会)でもスコア係です。とても勉強になりましたよ。高いレベルの投手の投球を目前で観れるんですから。その中でも、杉山さんのストレートの威力。植さんの変化球とコーナーワークは凄かった。自分なんて投げれるはずがない。いや、投げる機会がなくて良かったですよ。そう思っていましたね」
 
 ただ、齋藤は漠然と、データ係をしていた訳ではない。特に、高レベルの投手達の配球を頭に叩き込んだ。そして、自身の制球難を克服する為に、上手投げを横手投げにも変えてみた。
「高津(臣吾投手、スワローズ)のビデオは擦り切れる程、観ましたね。あの腕の振り、肘の抜き方は真似出来ないけれども、近付きたいとは思います」
 と、研究熱心であったのだ。

 そして、昨年。3年生になった齋藤は、新監督に就任した椹木寛にチャンスを与えられ、春のリーグ戦でデビュー。
「監督のおかげですね。監督は野球がヘタクソでも努力している者は認めてくれるんです。感情的な好き嫌いで選手も起用しない。あと、口やかましいくらいに『男の子なら前に出ろ、勇気を持て』って、言うんですよ。それで遠慮なく、打者の内角に球を投げること出来るようにもなったんです。だから、監督を胴上げしたい気持ちが強いんです。優勝出来なかったら監督はクビになっちゃうかも知れませんし(笑)」
 関西六大学リーグで、2連覇を果たしていた 龍谷大。しかし、昨秋は屈辱のBクラス4位に転落した。だからこそ、新エース・齋藤は努力を怠らないつもりだ

「だけど、努力は監督に見せるものではない。自分自身の為ですよ。だって、努力を怠った人間は勝負所で“抑えられない”、“打てない”、“エラーする”じゃないですか。そういうシーンを自分はこれまでにもいっぱい観て来ました。“野球の神様”が許してくれないんです」
 明るくて、ノリが良い受け応え。インタビューの合間に冗談も挟む齋藤であったが、野球に対して、心の芯から真面目であった。

 レギュラーになる、エースになる、プロに注目される選手になる、プロに入れる選手になる。これらも大事なことではあるが、齋藤は野球というスポーツを通じて、もっと大切なことを学んでいるな。帰りの電車で、窓外の雪景色を眺めながら、そのように感じた次第である。

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