真意『野球ノ歩キ方』
2003年4月27日 プロアマ問わずに野球場へ足を運ぶことで、実に、たくさんの人間と接する機会に恵まれる。
選手、監督、コーチ、チーム関係者(広報、マネージャーなど)に始まり、野球評論家、テレビ、ラジオ、新聞といった報道に携わる面々。また、スカウトマンに選手の家族。足繁く、時間さえ見付ければ、野球場に足を運んでいる熱心な野球ファンもいる。
大学野球の場合―。
「記者席に入って戴いても構わないですよ」
関西学生、関西六大学の連盟委員は、記者バッチを持っていない僕に心遣いをしてくれる。でも、僕は記者席よりもスタンドで観る方が好きだ。ベンチワーク、ポジショニング、ブルペンの動きなどが分かりやすいのも大きな理由であるが、スタンドにいた方が触れ合いも多い。
次に試合を控えている選手や(ウォーミングアップ前)マネージャーと雑談。試合を観ながらなので堅苦しい雰囲気にならないし、ちょっとした裏情報も仕入れることが出来る。
スカウトマンの何気ない一言、表情も聞き読み取れるのも貴重。
また、選手の家族よりお弁当や缶コーヒーを戴いた時は素直に嬉しいし、方々に足を運んでいる野球ファンからの情報は非常に為になるものだ。
よく会う顔馴染の野球ファン。詳細なスコアを付けている人間もいれば、気ままに試合を楽しんでいる人間もいる。本当、みんな感心する程にネタが溢れ出て来る事情通。マジで同業者じゃなくて良かったと、いつも思う(笑)。
ただ、根っこはみんな同じ。野球を心の底から好きなのである。
この日記のタイトルは『野球ノ歩キ方』である。
気付いているかも知れないが、あの海外旅行の定番本『地球の歩き方』(ダイヤモンド・ビッグ社)を引っ掛けている(パクった)…一字違い。とりあえず、ひらがな部はカタカナに変えているけれども(苦笑)。
しかし、他にも訳がある。
まずは、野球の観戦術を考えたいということだ。
これも再三に渡って書いているのだけれども…勝った、負けた。打った、打てなかった。抑えた、抑えられなかった。というような結果以上に、グラウンドに流れている空気を感じることで野球はもっと面白くなる。よくブルーウェーブの編成・谷村智啓に
「シマちゃんよぉ、どんな試合展開になると思う?この場面では何が考えられる?何が恐い?」
と、穏やかな口調ではあるけれども、核心に迫る問いを不意に投げ掛けられる。
「そうですねぇ…」
野球に関して海千山千のツワモノに応えるのは恐れ多いのだけれども、尋ねられたからには僕なりの見解を述べる。
「やっぱり、そう思うか」
「まだまだ甘いわな」
谷村の返事は、その時々によって異なるが、正解というものはない。僕はそう思っている。
結果的に、発言したような展開になる。野球にはセオリーというものもあるし、何よりも空気を感じる経験を積んでいれば。それはそんなに難しいことではない。知らず知らずのうちに、野球が読めるようになるのである。だけど、僕は占い師や予想屋ではないので“アタリ”、“ハズレ”に一喜一憂することはない。野球には(野球だけではないが)空気を打ち破る要素が唐突に発生するのも醍醐味。それが、本塁打や三振であることもあれば、平凡な内野ゴロの時もある。何の変哲もない1球の牽制球、タイムを取るタイミングだったりもする。だから、飽きることがなく、野球にハマってしまうのだろう。
ただ、上記の観戦術だけを究めたい訳でもない。どちらかと言えば、それ以外の。冒頭に述べた野球が好きで仕方のない人間との触れ合いを追求したい気持ちの方が強い。野球と付き合って、得ることはたくさんある。人生の大きなヒントになることも。僕なんて、幸せなことに仕事にまでなっている。
いつまで続くか分からない。僕の『野球ノ歩キ方』はアテのない旅になることは必至。終章を書き綴ることなく、この旅を終える可能性も高い。(まぁ、その際は棺に何を入れて貰おう?)それでも、何かを知りたい、感じたい、見出したい。上手く説明出来ないけれども、そんなところだ。
最近、色々なHPの掲示板やメールにて
「もしかして、シマジョーさんでした?」
といったような内容のモノが、以前にも増して多くなっている。
「人違いだったら」
「仕事の邪魔をしてはイケナイ」
「日記のイメージと重ならない」
「外見が恐そうだったので遠慮しました」←おいおい!
様々な声が。
えぇ、日焼けして、無駄にデカイ物体。よくサングラスもしています。あと、やたら各校のマネージャーを捕まえている。尚、全く恐くありません。
お気軽に声を掛けて貰えれば幸い。結構、愛想は良い方(と言うか、シャベリ)。出来れば、イニングか試合の合間に。
本日は西京極球場(関西六大学リーグ、京都産業大×龍谷大)に出没予定。
選手、監督、コーチ、チーム関係者(広報、マネージャーなど)に始まり、野球評論家、テレビ、ラジオ、新聞といった報道に携わる面々。また、スカウトマンに選手の家族。足繁く、時間さえ見付ければ、野球場に足を運んでいる熱心な野球ファンもいる。
大学野球の場合―。
「記者席に入って戴いても構わないですよ」
関西学生、関西六大学の連盟委員は、記者バッチを持っていない僕に心遣いをしてくれる。でも、僕は記者席よりもスタンドで観る方が好きだ。ベンチワーク、ポジショニング、ブルペンの動きなどが分かりやすいのも大きな理由であるが、スタンドにいた方が触れ合いも多い。
次に試合を控えている選手や(ウォーミングアップ前)マネージャーと雑談。試合を観ながらなので堅苦しい雰囲気にならないし、ちょっとした裏情報も仕入れることが出来る。
スカウトマンの何気ない一言、表情も聞き読み取れるのも貴重。
また、選手の家族よりお弁当や缶コーヒーを戴いた時は素直に嬉しいし、方々に足を運んでいる野球ファンからの情報は非常に為になるものだ。
よく会う顔馴染の野球ファン。詳細なスコアを付けている人間もいれば、気ままに試合を楽しんでいる人間もいる。本当、みんな感心する程にネタが溢れ出て来る事情通。マジで同業者じゃなくて良かったと、いつも思う(笑)。
ただ、根っこはみんな同じ。野球を心の底から好きなのである。
この日記のタイトルは『野球ノ歩キ方』である。
気付いているかも知れないが、あの海外旅行の定番本『地球の歩き方』(ダイヤモンド・ビッグ社)を引っ掛けている(パクった)…一字違い。とりあえず、ひらがな部はカタカナに変えているけれども(苦笑)。
しかし、他にも訳がある。
まずは、野球の観戦術を考えたいということだ。
これも再三に渡って書いているのだけれども…勝った、負けた。打った、打てなかった。抑えた、抑えられなかった。というような結果以上に、グラウンドに流れている空気を感じることで野球はもっと面白くなる。よくブルーウェーブの編成・谷村智啓に
「シマちゃんよぉ、どんな試合展開になると思う?この場面では何が考えられる?何が恐い?」
と、穏やかな口調ではあるけれども、核心に迫る問いを不意に投げ掛けられる。
「そうですねぇ…」
野球に関して海千山千のツワモノに応えるのは恐れ多いのだけれども、尋ねられたからには僕なりの見解を述べる。
「やっぱり、そう思うか」
「まだまだ甘いわな」
谷村の返事は、その時々によって異なるが、正解というものはない。僕はそう思っている。
結果的に、発言したような展開になる。野球にはセオリーというものもあるし、何よりも空気を感じる経験を積んでいれば。それはそんなに難しいことではない。知らず知らずのうちに、野球が読めるようになるのである。だけど、僕は占い師や予想屋ではないので“アタリ”、“ハズレ”に一喜一憂することはない。野球には(野球だけではないが)空気を打ち破る要素が唐突に発生するのも醍醐味。それが、本塁打や三振であることもあれば、平凡な内野ゴロの時もある。何の変哲もない1球の牽制球、タイムを取るタイミングだったりもする。だから、飽きることがなく、野球にハマってしまうのだろう。
ただ、上記の観戦術だけを究めたい訳でもない。どちらかと言えば、それ以外の。冒頭に述べた野球が好きで仕方のない人間との触れ合いを追求したい気持ちの方が強い。野球と付き合って、得ることはたくさんある。人生の大きなヒントになることも。僕なんて、幸せなことに仕事にまでなっている。
いつまで続くか分からない。僕の『野球ノ歩キ方』はアテのない旅になることは必至。終章を書き綴ることなく、この旅を終える可能性も高い。(まぁ、その際は棺に何を入れて貰おう?)それでも、何かを知りたい、感じたい、見出したい。上手く説明出来ないけれども、そんなところだ。
最近、色々なHPの掲示板やメールにて
「もしかして、シマジョーさんでした?」
といったような内容のモノが、以前にも増して多くなっている。
「人違いだったら」
「仕事の邪魔をしてはイケナイ」
「日記のイメージと重ならない」
「外見が恐そうだったので遠慮しました」←おいおい!
様々な声が。
えぇ、日焼けして、無駄にデカイ物体。よくサングラスもしています。あと、やたら各校のマネージャーを捕まえている。尚、全く恐くありません。
お気軽に声を掛けて貰えれば幸い。結構、愛想は良い方(と言うか、シャベリ)。出来れば、イニングか試合の合間に。
本日は西京極球場(関西六大学リーグ、京都産業大×龍谷大)に出没予定。
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