寂し気な秋の訪れ
2003年9月24日 メッチャ忙しい訳ではない。せやけど、何だかせわしなく、バタバタしている。
昨日も何本かの原稿と格闘。まぁ、これが仕事やから頑張らなアカンのやけれどもね。
気候もここ数日で秋の気配を感じさせる。暑さがこもる僕の部屋でフル可動であった扇風機の電源を入れることもなくなった。
そのような秋の訪れと共に、野球界の話題も寂し気なものが目立つ。
プロ野球界最年長選手・広澤克実内野手(タイガース)が日本シリーズを最後に、19年の現役生活に終止符を打つことを決意。
今春キャンプ、年齢が約半分の選手がいる中でも圧倒的な存在感を示していた広澤。
「元気やなぁ。あと5年くらい、プレー出来そうやなぁ」
キャンプ取材を終えて、近隣の飲み屋でも
「広澤さんがメッチャ元気でしたよ。40歳を超えたとは思われへん」
と、酒の肴に提供していたくらいである。
また、今シーズンも故障者が相次いだところで一軍昇格。そして、広澤の活躍が下降気味であったチームを救ったのは記憶に新しい。
体力の限界と言うよりは(動体視力の衰えは感じているようだが)、世代交代が進むチーム事情を考慮。加えて、リーグ優勝(当然、日本一のチャンスもある)を“花道”に有終の美を飾るという背景も整っている。報道の丸飲みながら、それが引退決意の真意であるようだ。
僕が中学生であった時、野球4コマ漫画がとても流行っていた。『がんばれ!タブチ君』で有名ないしいひさいちを筆頭に、ちょっとした“アホキャラ”で描かれることが多かった広澤であるけれども。紛れもなく、スワローズの90年代黄金期を支えた主力で、一時代を築いた選手。その後、FAでジャイアンツ入り→自由契約→タイガース入団という経緯の中でも野球ファンに愛され続けた。
“時代の流れ”と。そう言ってしまえば簡単ではあるが―。また、1人のサムライがユニフォームを脱ぐ。全盛期を目の当たりにしていた世代としては、ちょっとばかりシンミリしてしまう。
日本シリーズでの広澤の勇姿をシッカリと、脳裏に焼き付けておきたい。
関西圏の学生野球界を牽引し続けている近畿大の前々監督である松田博明が23日22:20分、心不全の為に亡くなった(享年77歳)。心より御冥福をお祈り致します。合掌―。
近畿大監督時代に築き上げた輝かしい実績、育て上げた名選手は数知れず。アマチュア野球界の要職も務めるなど、その功績が大きいことは改めて言うまでもないだろう。
僕が関西学院大に入学した当時、まだ松田は近畿大の監督であった。正直に言うと、既に“オジイチャン”の域に達していたはずだけれども、グラウンド、ベンチ内ではシャンと、指揮を執っていた印象が強い。
現在、関西学生リーグで4連覇中の近畿大。しかし、前々節で同志社大に2連敗して、勝ち点を落としてしまい、苦しい展開になっていることはこの日記にも書いた。
新リーグ結成後(82年)からも、87年春〜89年秋(6連覇)、96年秋〜98年秋(5連覇)をはじめ、24度のリーグ成し遂げている“王者”の巻き返し。5連覇達成が一番の供養星になるに違いない。
昨日も何本かの原稿と格闘。まぁ、これが仕事やから頑張らなアカンのやけれどもね。
気候もここ数日で秋の気配を感じさせる。暑さがこもる僕の部屋でフル可動であった扇風機の電源を入れることもなくなった。
そのような秋の訪れと共に、野球界の話題も寂し気なものが目立つ。
プロ野球界最年長選手・広澤克実内野手(タイガース)が日本シリーズを最後に、19年の現役生活に終止符を打つことを決意。
今春キャンプ、年齢が約半分の選手がいる中でも圧倒的な存在感を示していた広澤。
「元気やなぁ。あと5年くらい、プレー出来そうやなぁ」
キャンプ取材を終えて、近隣の飲み屋でも
「広澤さんがメッチャ元気でしたよ。40歳を超えたとは思われへん」
と、酒の肴に提供していたくらいである。
また、今シーズンも故障者が相次いだところで一軍昇格。そして、広澤の活躍が下降気味であったチームを救ったのは記憶に新しい。
体力の限界と言うよりは(動体視力の衰えは感じているようだが)、世代交代が進むチーム事情を考慮。加えて、リーグ優勝(当然、日本一のチャンスもある)を“花道”に有終の美を飾るという背景も整っている。報道の丸飲みながら、それが引退決意の真意であるようだ。
僕が中学生であった時、野球4コマ漫画がとても流行っていた。『がんばれ!タブチ君』で有名ないしいひさいちを筆頭に、ちょっとした“アホキャラ”で描かれることが多かった広澤であるけれども。紛れもなく、スワローズの90年代黄金期を支えた主力で、一時代を築いた選手。その後、FAでジャイアンツ入り→自由契約→タイガース入団という経緯の中でも野球ファンに愛され続けた。
“時代の流れ”と。そう言ってしまえば簡単ではあるが―。また、1人のサムライがユニフォームを脱ぐ。全盛期を目の当たりにしていた世代としては、ちょっとばかりシンミリしてしまう。
日本シリーズでの広澤の勇姿をシッカリと、脳裏に焼き付けておきたい。
関西圏の学生野球界を牽引し続けている近畿大の前々監督である松田博明が23日22:20分、心不全の為に亡くなった(享年77歳)。心より御冥福をお祈り致します。合掌―。
近畿大監督時代に築き上げた輝かしい実績、育て上げた名選手は数知れず。アマチュア野球界の要職も務めるなど、その功績が大きいことは改めて言うまでもないだろう。
僕が関西学院大に入学した当時、まだ松田は近畿大の監督であった。正直に言うと、既に“オジイチャン”の域に達していたはずだけれども、グラウンド、ベンチ内ではシャンと、指揮を執っていた印象が強い。
現在、関西学生リーグで4連覇中の近畿大。しかし、前々節で同志社大に2連敗して、勝ち点を落としてしまい、苦しい展開になっていることはこの日記にも書いた。
新リーグ結成後(82年)からも、87年春〜89年秋(6連覇)、96年秋〜98年秋(5連覇)をはじめ、24度のリーグ成し遂げている“王者”の巻き返し。5連覇達成が一番の供養星になるに違いない。
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