“つる”の涙

2004年7月25日
 片岡安祐美内野手は日本代表のチームメートから“つる”と呼ばれている。
 3年前。当時、最年少で代表入りした際に
「片岡だったら鶴太郎でしょ。はい、“つる”で決まり」
 と先輩らの権限でニックネームが決まった。

“つる”は現在、熊本商高の3年生。高校野球連盟の規定で公式戦に出られないのを承知で硬式野球部に所属している高校球児である。
「もしかしたら規定が変わるかも知れない」
「私がプレーすることで契機になれば」
「女子でも男子に負けないプレーが出来る」
 小学、中学時代も男子の中に入って、レギュラーを張った力量と強い意思。また、両親や指導者の理解、周囲のサポートなどがあったことも忘れてはいけない。ただ、やはりそれは“つる”自身が野球を続けて来たことで培って来た“人間力”がそうさせた。“つる”のプレーを1度でも観れば、それがヒシヒシと伝わって来る。

 小柄(153?)ではあるが声は大きく、よく通る。ウォーミングアップの時は景気付けの声が出て、シートノックや試合になれば的確な指示を出す。ベンチにいても同様。打席を控えてのウェーティング・サークルではビュンビュンと素振りを繰り返し、打席に入れば
「さぁ、来いっ!」
 相手投手にバットの先端を向け、気合の雄叫びを上げる。
「私の取り柄は“元気”だけですから(笑)」
 と本人は語るが、集中力があり、野球をよく知っているから。そして、何よりも野球が大好きだから、そういうプレースタイルになる。
 余談ながら愛くるしい笑顔を絶やさないのも魅力。“動”と“明”が似合う選手だ。

 その“つる”がいつになく神妙な面持ち。間違いなく“静”と“暗”の表情を見せた。

 7月20日の日本×香港(予選3試合目)。
“つる”はこの試合、9番・二塁手でスターティング・メンバーに名を連ねていた。試合前セレモニーのスタメン発表で
「9番、セカンド、片岡安祐美。セカンドベースマン、アユミ・カタオカ」
 というアナウンスの声に一塁側ダグアウトから弾けんばかりの勢いでグラウンドへ飛び出した“つる”。メンバーと笑顔でハイタッチを交わしていた。
 しかし、国歌斉唱の時である。
 帽子をベルトの高さに両手で大事そうに抱え、やや俯き加減で目を閉じながら“君が代”を聴いていたのだ。前日の国歌斉唱時はメジャーリーガー風に帽子を胸の前に掲げ、いつもの笑顔を見せてポーズを取っていただけに、ギャップを感じざるを得なかった。ただ、それは“つる”の偽らざる心境を表していたのだ―。

 前述したように“つる”は全日本のメンバーである前に熊本商高の硬式野球部員であるのだが、この世界大会に参加するにあたって、甲子園大会を目指すチームから離れなければならなかった。だから、熊本で県予選を戦うチームメートと誓い合った。
「絶対、世界大会で金メダルを獲って来いよ。俺たちも負けないで頑張っているから」
「分かった。必ず金メダルを獲って帰って来る。そして、一緒に甲子園へ行こう」

 しかし、その誓いは果たされなかった。熊本商高の硬式野球部は“つる”が金メダルを獲って帰る前に敗れてしまう。この日の朝一番の試合で文徳高にサヨナラ負け(2×3)を喫したのである。
“つる”の父親・片岡安徳から聞いた話しではあるが、宿舎でその報を受けた“つる”は部屋の中で一人、涙を流し続けたそうである。

 約2年半。苦楽を共にした仲間との高校野球生活。甲子園への夢が断たれたのは勿論、最後の場に居合わすことが出来なかった。そして、チームでは“女子だから”という特別扱いこそ受けていなかったものの。やはり、“つる”は女子なのである。第三者には到底、推し量ることが出来ない想いで高校野球生活を送って来た。その胸中はいかに?

 いざ試合が始まると。“つる”はそのような現実を感じさせない程の活躍を見せた。そして、いつにも増して、大きな声を張り上げる。試合にも大勝。“つる”は本当に強かった。

 試合が終わり、当然のように報道陣にも囲まれる。報道陣に悪気はないが、厳しい質問も飛ぶ。それでも、“つる”は気丈に振舞う。気の利いた報道陣が取材の最後に
「ゴメンね。こんな時にキツイことも聞いちゃって」
 と一言入れるが
「全然、大丈夫ですよ」
 白い歯を見せて応えていた。

 その後、日本代表の円陣(試合後のミーティング)が解け、各選手は応援に駆け付けていた家族や友人などと束の間の安息時間を過越している。試合に勝利したこともあり、あちこちに喜びの輪が出来ていた。しかし、その片隅で…帽子で顔を覆い、号泣している選手がいた。“つる”である。ミーティングも終わり、一区切り付いたことで堪えていたものが一気に溢れて来たに違いない。その姿に気付いた報道陣は一斉にカメラを向ける。

 正直、僕も迷った。手にしていたビデオカメラを回すべきかどうか。でも、結果的にビデオカメラの電源を入れることは出来なかった。僕自身を正当化する訳ではないが、この“つる”の姿だけは撮ってはイケナイ。スポーツライター(端くれではあるが)として、これは映像で記録しておくのではなく、活字で表現するべきだと判断したからだ。

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 翌7月21日。
 日本代表チームは準決勝(×オーストラリア)、決勝(×アメリカ)を制して、世界大会2連覇を成し遂げた。
“つる”は
「必ず金メダルを獲って帰る」
 という熊本商高チームメートとの約束を守った。そして、前日とは違う涙が“つる”の頬を伝う。
「まだ消化出来ない部分はありますけど、何かホッとしています」
 言葉では言い表せないくらいキレイな涙であった。
「これは撮ってもええやろう」
 僕はそう心の中で呟いて、ビデオカメラの電源を入れた。

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 閉会式も終わり、金メダルを首からぶら下げた“つる”にようやく私的な立場で祝福の声を掛けることが出来た。
「色々あったけど、良かったなぁ」
 僕は自然に右手を差し出していた。大会期間中、大声を出し続けたせいだろう。
「ありがとうございます」
 と言う“つる”の声もさすがにしゃがれている。
 その“つる”と握手を交わして感じたことは。
 これまでにも人知れず、たくさんの涙を流して来たことだろう。でも、それ以上の努力を積み重ねて来た。高校生の女の子とは思えない“つる”のマメだらけでゴツゴツした感触が物語っていた。そして、それはこれまでに経験したことのない、とても心地が良い感触でもあった。

 これからも片岡の動向に注目したい。

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 実は…“つる”には決勝の試合中にもハッとさせられている。
 この試合、“つる”はベンチスタートでスコアを付けていた。でも、当たり前というか、大声を出し続けている。

 アメリカの攻撃時。走者が一塁にいて、打者が二ゴロを放った。誰もがダブルプレーと思ったが…打球が少しイレギュラーしたこともあり、二塁を守っていた和田有加内野手が後逸。日本代表のベンチも思わずシーンとしてしまう。
 その瞬間、1万人以上の観客が詰め掛けた桃山球場に“つる”の声だけが響き渡った。
「セカンドベース空けちゃダメーッ!ベース空けちゃダメーっ!和田さん、エラーした後ぉーっ!」

 この子はホンマに凄いと思った。生まれて初めて、ベンチの声を聴いて背筋がゾクゾクしたもんなぁ。

 今後、大学に進学しても野球を続けたいと語る“つる”。
 男子の中に入っても、充分に通用するモノ(力量、技量、心)を持っていると僕は信じている。
 あとは“受皿”だけだ。

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