池内大輔捕手(阪南大)取材雑感/7月27日分
2004年7月29日 えーっ、大変、更新が遅くなりました…。
『写真館』http://www.alfoo.org/diary/shimajoe/は更新していましたが。
**************
「あ、暑ぃ…。か、体がと、溶けてまうぅ…」(溶けた方がええくらいやけど)
そのように心の中でうめき声を上げながら、阪急、JR、近鉄を乗り継いで、藤井寺へ。池内大輔捕手(阪南大主将)の取材である。
池内は相原一紀外野手(関西学院大主将)、中路將位(同志社大主務)、白石和也(大阪経済大前主務)と今治西高でチームメート。そのような関係もあり、これまでにも何度か簡単な話しだけはしたことがある。だから、気持ち的には少し楽であったというのが本音であった。
コーチの新井悟志に挨拶を済ませ(その前にちゃんと池内が「今日は宜しくお願いします」と挨拶に来てくれた)、練習を見学。シートノック、フリー打撃、特守、ティー打撃、サーキット・トレーニングなど。
意外にこういう場になると、シッカリと仕事をする僕!?
「熱中症にならんように」
と度々、女子マネージャーから冷たいお茶を頂戴しつつも、練習を観ていた。
昼過ぎには森本健治監督もグラウンドに現れたので
「今日は池内君の取材で参りました。『大学野球 増刊号』(ベースボールマガジン社)に掲載致します」
と丁重に挨拶。
そして、練習終了後、グラウンドの横にあるクラブハウスの玄関口でインタビューを開始した。
『大学野球 増刊号』との兼ね合いもあるので、詳細は省くが。
池内は小学校(城東野球少年団、2回戦敗退)、中学校(美須賀中、優勝)、高校(今治西高、2年時センバツでベスト4、3年時センバツ初戦敗退)と全国大会を経験。で、この6月も大学選手権大会(2回戦敗退)に出場した。しかも、各最高学年時にはチームの主将を務めている。
これまでに数多くの大学野球の選手を取材して来たが、小〜大で全国大会を経験して来た選手は初めて。(現在、JR東日本の小山良男捕手は中〜大で優勝という経歴を持つが、取材したことがありまへん)
大学では1年秋にデビューして、3年春に首位打者。3年秋、4年春はベストナインにも輝き、6月の関西5リーグ対抗戦ではMVPも獲得した。でも、池内は単なる“野球エリート”ではない。確かに華やかな球歴の持ち主ではあるが、数多くの挫折も味わった。特に阪南大に入学してからは野球の技術、環境、人間関係、故障などで思い悩んだ。それだけに
「神宮まではホンマに遠かったですし、キツかった。」
と大学野球生活を振り返る。また、
「東京(東京六大学や東都大学)や関西学生、関西六大学はマスコミに出る機会も多いから羨ましいと思う反面、ズーッと負けていないという気持ちでやって来た」
とも付け加えた。
その想いが強かったからこそ、神宮球場の右中間席に本塁打を放った時(1回戦の国際武道大戦)に
「思わず、手が上がっちゃいましたね(笑)」
と喜びを爆発させるガッツポーズも出たのだろう。
ストレートを待っていながらも変化球に対応出来る。勝負強く、ヘッドが残り、リストが利いた打撃がセールスポイント。だが、池内はこう言う。
「持ち味である打撃を評価して戴いているのは素直に嬉しいし、疎かに出来ない。でも、もっと捕手として認めて貰いたい。例えば、肩は急に強くならないかも知れないですけれども、素早い動作でカバー出来ると思って、努力していますから。そりゃ、チャンスがあるんやったら、二塁手でも三塁手でも外野手でもやる気持ちはある。だけど、今のチームで僕だけの進路の為に、それは出来ないですから」
社会人で野球を続けることは決まったが、秋のシーズンの活躍次第ではプロも視野に入れたいと池内。
個人的に感じたことではあるが、どこか平石洋介外野手(PL学園高‐同志社大‐トヨタ自動車)と同じ香りがする選手でもあった。人間的にも非常にシッカリしているし、語彙も豊富で自身の想いを表現する術も知っている。
恵まれた環境でプレー出来、高い壁を乗り越えて来たことがそうさせているのだろうが、それは何よりも本人の努力と人間性によるものである。僕はそう思いたい。
とにかく、良い選手だ。イチオシです!
***************
帰りは近鉄、御堂筋線(地下鉄)、阪急で帰る。こっちの方が電車賃が高いけれども、乗り換えが楽やわ。
1度、帰宅して、再び梅田へ。関西学院大硬式野球部のOB会に出席。
その後、坂田穣監督と一献。んでもって、その後は審判軍団とまた一献。
嗚呼、肝臓が重たいが、実りのある時間やったので良しとする。
『写真館』http://www.alfoo.org/diary/shimajoe/は更新していましたが。
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「あ、暑ぃ…。か、体がと、溶けてまうぅ…」(溶けた方がええくらいやけど)
そのように心の中でうめき声を上げながら、阪急、JR、近鉄を乗り継いで、藤井寺へ。池内大輔捕手(阪南大主将)の取材である。
池内は相原一紀外野手(関西学院大主将)、中路將位(同志社大主務)、白石和也(大阪経済大前主務)と今治西高でチームメート。そのような関係もあり、これまでにも何度か簡単な話しだけはしたことがある。だから、気持ち的には少し楽であったというのが本音であった。
コーチの新井悟志に挨拶を済ませ(その前にちゃんと池内が「今日は宜しくお願いします」と挨拶に来てくれた)、練習を見学。シートノック、フリー打撃、特守、ティー打撃、サーキット・トレーニングなど。
意外にこういう場になると、シッカリと仕事をする僕!?
「熱中症にならんように」
と度々、女子マネージャーから冷たいお茶を頂戴しつつも、練習を観ていた。
昼過ぎには森本健治監督もグラウンドに現れたので
「今日は池内君の取材で参りました。『大学野球 増刊号』(ベースボールマガジン社)に掲載致します」
と丁重に挨拶。
そして、練習終了後、グラウンドの横にあるクラブハウスの玄関口でインタビューを開始した。
『大学野球 増刊号』との兼ね合いもあるので、詳細は省くが。
池内は小学校(城東野球少年団、2回戦敗退)、中学校(美須賀中、優勝)、高校(今治西高、2年時センバツでベスト4、3年時センバツ初戦敗退)と全国大会を経験。で、この6月も大学選手権大会(2回戦敗退)に出場した。しかも、各最高学年時にはチームの主将を務めている。
これまでに数多くの大学野球の選手を取材して来たが、小〜大で全国大会を経験して来た選手は初めて。(現在、JR東日本の小山良男捕手は中〜大で優勝という経歴を持つが、取材したことがありまへん)
大学では1年秋にデビューして、3年春に首位打者。3年秋、4年春はベストナインにも輝き、6月の関西5リーグ対抗戦ではMVPも獲得した。でも、池内は単なる“野球エリート”ではない。確かに華やかな球歴の持ち主ではあるが、数多くの挫折も味わった。特に阪南大に入学してからは野球の技術、環境、人間関係、故障などで思い悩んだ。それだけに
「神宮まではホンマに遠かったですし、キツかった。」
と大学野球生活を振り返る。また、
「東京(東京六大学や東都大学)や関西学生、関西六大学はマスコミに出る機会も多いから羨ましいと思う反面、ズーッと負けていないという気持ちでやって来た」
とも付け加えた。
その想いが強かったからこそ、神宮球場の右中間席に本塁打を放った時(1回戦の国際武道大戦)に
「思わず、手が上がっちゃいましたね(笑)」
と喜びを爆発させるガッツポーズも出たのだろう。
ストレートを待っていながらも変化球に対応出来る。勝負強く、ヘッドが残り、リストが利いた打撃がセールスポイント。だが、池内はこう言う。
「持ち味である打撃を評価して戴いているのは素直に嬉しいし、疎かに出来ない。でも、もっと捕手として認めて貰いたい。例えば、肩は急に強くならないかも知れないですけれども、素早い動作でカバー出来ると思って、努力していますから。そりゃ、チャンスがあるんやったら、二塁手でも三塁手でも外野手でもやる気持ちはある。だけど、今のチームで僕だけの進路の為に、それは出来ないですから」
社会人で野球を続けることは決まったが、秋のシーズンの活躍次第ではプロも視野に入れたいと池内。
個人的に感じたことではあるが、どこか平石洋介外野手(PL学園高‐同志社大‐トヨタ自動車)と同じ香りがする選手でもあった。人間的にも非常にシッカリしているし、語彙も豊富で自身の想いを表現する術も知っている。
恵まれた環境でプレー出来、高い壁を乗り越えて来たことがそうさせているのだろうが、それは何よりも本人の努力と人間性によるものである。僕はそう思いたい。
とにかく、良い選手だ。イチオシです!
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帰りは近鉄、御堂筋線(地下鉄)、阪急で帰る。こっちの方が電車賃が高いけれども、乗り換えが楽やわ。
1度、帰宅して、再び梅田へ。関西学院大硬式野球部のOB会に出席。
その後、坂田穣監督と一献。んでもって、その後は審判軍団とまた一献。
嗚呼、肝臓が重たいが、実りのある時間やったので良しとする。
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