“本能と感性”、“知識と経験”
2005年6月28日 少し時計の針を戻す。
6月26日の南港中央球場での第1試合は第12回関西地区大学野球5リーグ対抗戦の3位決定戦(近畿学生リーグ−関西六大学リーグ)。
試合は2−2の同点で延長10回裏、二死走者2塁。マウンドには今回の日米大学野球選手権のメンバー(大阪D開催限定)にも選ばれている彦田剛投手(阪南大/近畿学生)。打席には5番打者・政田義範外野手(京都産業大/関西六大学)が入っていた。ボールカウント1−2から政田は彦田の変化球を3本続けてファール。そして、7球目の外寄り高目のストレートを躊躇なく振り切ると、打球は打った瞬間に中堅手を越えるものと分かった。文句なしのサヨナラ安打である。
サヨナラ安打を放った政田自身が気持ち良かったことは勿論だろうが、ネット裏で観ていた僕も非常に爽快な気分になった。それはこの一打が単なる豪快なサヨナラ安打だったからではなく、バッティングに必要な“本能と感性”と“知識と経験”が凝縮されたものであったからだ。
***************
試合後、それを裏付けるかのように政田のコメントはとても深いものであった。
「前の打席(空振り三振)が全て変化球だったので変化球を狙っていました。あと、監督さん(勝村法彦/京都産業大)からの指示もあって、バッターボックスの前(投手寄り)に構えていました。変化球を待っていたんですけどボールカウントも2−2で、ストレートにも自然に反応出来た感じです。こういう大会は知らない投手が多くて、変化球の球筋どころか何を持っているのかも分からない。でも、どんな投手でも必ずストレートは投げて来る。そういう意味で価値があったし、自信にも繋がるヒットでした」
***************
かつてファイターズで活躍したトニー・ソレイタ外野手(故人)は
「本塁打は俺にとって麻薬みたいなものだ」
と語った。で、次に僕ごときが語るのもおかしいが。一応、野球人生で30本以上の本塁打を打っている経験からオーバーフェンスした打球を確認しながらダイヤモンドを悠然と周る時は何にも代えられない高揚感がある。さすがに僕は麻薬を経験したことはないので分からないが、エッチしての射精よりも気持ちが良いような感覚。最高のエクスタシーであると断言出来る。
バッティングの話しをしていて…エッチして射精などという表現は不謹慎だと眉をひそめる人間もいるかも知れないが、ホンマやねんから仕方がない(苦笑)。
***************
不謹慎ついでに、僕が大学時代にOBのO氏(故人)からレクチャーされたバッティング理論を。
『バッティングもエッチも同じやねん』
バッティングとエッチを同義で語るとは野球人の風上にも置けないと思われてしまうが、解釈は下記の通り。
僕は男の立場でしか分からないが。
《はい、元気になりました→入れました→出しました》で得られるエクスタシーというものも確かにあるかも知れないが、それは非常に味気なく、虚しいものだ。
バッティングも同様で。
《はい、バッターボックスに立ちました→バット振りました→ヒットになりました》で得るエクスタシーは何か物足りなさを覚えてしまう。
やはり、バッティングもエッチも結果(エクスタシー)に至るまで様々な過程があってのもの。安易にエクスタシーを得ることは出来ない。様々な肉体の反応、真理的な読み合いや駆け引きがあるからこそ気持ち良いのである。
ここで重要なのは“本能と感性”だけが先走ってはいけないし、“知識と経験”で頭デッカチになってもならない。要は“本能と感性”。そして、“知識と経験”が程好いバランスで融合と調和。噛み合わさることで最高のエクスタシーへと導かれるのだ。
で、バッティングにおける融合と調和は何が根幹になるかと言うと。バットがシッカリ振れるというのが大前提で、打席に入るまでの準備、ルーティーン、状況判断によるものだというのが現時点での僕の結論。
これは大学OBのO氏から“痴的なレクチャー”を受けた影響もあるだろうが、スポーツライターという仕事で実に多くの試合を観戦して、指導者や選手からたくさんの理論や経験を聴いて、形になって来たもの。但し、まだ噛み砕きかけているものだから、正直なところメッチャ自信がある訳でもない。だから、僕の考えに異論がある人間もいるだろうし、賛同してくれる人間もいるだろう。また、賛同してくれる人間でも修正、補足すべき点があると感じるのではないか。
***************
幸いなことに、この日記はたくさんの指導者や選手などにも御高覧して戴いているようであります。もしも機会がございましたら、御感想や御意見を率直に述べて戴けるとありがたい限りであります。
僕も現場で真剣に野球を観て、考えているつもりではありますが、所詮は第三者の分際です。生の声をもっと聴かせて戴ければ、とても勉強になりますので。
図々しいお願いではありますが、どうか宜しくお願い申し上げます。
***************
僕が述べて来たことと合致するかどうかは分からないけれども。かつてイチロー外野手(マリナーズ)が日本でプレーしていた時にバッティングのヒントを掴んだ打席(二ゴロ)があったと言う。結果的には凡打であるが、イチローにとっては“本能と感性”と“知識と経験”が融合・調和して、ある種のエクスタシーを得た打席だったのではないだろうか。僕はそう思いたい。
結局、何を書いているのか分からなくなってしまったが(苦笑)。
バッティングとは。いや、野球とは奥が深くて非常に難しい。せやけど、シンプルに面白いということですわ。
***************
余談ながら。
僕は知的な人間でないだけに“痴的”な表現に頼ってしまうところがある。
これがバシッとハマればええんやけど、ハマらないことの方が多い…しばしば誤解される(苦笑)。
開高健、忌野清志郎、桑田佳祐らのハードルの高さを痛感する次第。
6月26日の南港中央球場での第1試合は第12回関西地区大学野球5リーグ対抗戦の3位決定戦(近畿学生リーグ−関西六大学リーグ)。
試合は2−2の同点で延長10回裏、二死走者2塁。マウンドには今回の日米大学野球選手権のメンバー(大阪D開催限定)にも選ばれている彦田剛投手(阪南大/近畿学生)。打席には5番打者・政田義範外野手(京都産業大/関西六大学)が入っていた。ボールカウント1−2から政田は彦田の変化球を3本続けてファール。そして、7球目の外寄り高目のストレートを躊躇なく振り切ると、打球は打った瞬間に中堅手を越えるものと分かった。文句なしのサヨナラ安打である。
サヨナラ安打を放った政田自身が気持ち良かったことは勿論だろうが、ネット裏で観ていた僕も非常に爽快な気分になった。それはこの一打が単なる豪快なサヨナラ安打だったからではなく、バッティングに必要な“本能と感性”と“知識と経験”が凝縮されたものであったからだ。
***************
試合後、それを裏付けるかのように政田のコメントはとても深いものであった。
「前の打席(空振り三振)が全て変化球だったので変化球を狙っていました。あと、監督さん(勝村法彦/京都産業大)からの指示もあって、バッターボックスの前(投手寄り)に構えていました。変化球を待っていたんですけどボールカウントも2−2で、ストレートにも自然に反応出来た感じです。こういう大会は知らない投手が多くて、変化球の球筋どころか何を持っているのかも分からない。でも、どんな投手でも必ずストレートは投げて来る。そういう意味で価値があったし、自信にも繋がるヒットでした」
***************
かつてファイターズで活躍したトニー・ソレイタ外野手(故人)は
「本塁打は俺にとって麻薬みたいなものだ」
と語った。で、次に僕ごときが語るのもおかしいが。一応、野球人生で30本以上の本塁打を打っている経験からオーバーフェンスした打球を確認しながらダイヤモンドを悠然と周る時は何にも代えられない高揚感がある。さすがに僕は麻薬を経験したことはないので分からないが、エッチしての射精よりも気持ちが良いような感覚。最高のエクスタシーであると断言出来る。
バッティングの話しをしていて…エッチして射精などという表現は不謹慎だと眉をひそめる人間もいるかも知れないが、ホンマやねんから仕方がない(苦笑)。
***************
不謹慎ついでに、僕が大学時代にOBのO氏(故人)からレクチャーされたバッティング理論を。
『バッティングもエッチも同じやねん』
バッティングとエッチを同義で語るとは野球人の風上にも置けないと思われてしまうが、解釈は下記の通り。
僕は男の立場でしか分からないが。
《はい、元気になりました→入れました→出しました》で得られるエクスタシーというものも確かにあるかも知れないが、それは非常に味気なく、虚しいものだ。
バッティングも同様で。
《はい、バッターボックスに立ちました→バット振りました→ヒットになりました》で得るエクスタシーは何か物足りなさを覚えてしまう。
やはり、バッティングもエッチも結果(エクスタシー)に至るまで様々な過程があってのもの。安易にエクスタシーを得ることは出来ない。様々な肉体の反応、真理的な読み合いや駆け引きがあるからこそ気持ち良いのである。
ここで重要なのは“本能と感性”だけが先走ってはいけないし、“知識と経験”で頭デッカチになってもならない。要は“本能と感性”。そして、“知識と経験”が程好いバランスで融合と調和。噛み合わさることで最高のエクスタシーへと導かれるのだ。
で、バッティングにおける融合と調和は何が根幹になるかと言うと。バットがシッカリ振れるというのが大前提で、打席に入るまでの準備、ルーティーン、状況判断によるものだというのが現時点での僕の結論。
これは大学OBのO氏から“痴的なレクチャー”を受けた影響もあるだろうが、スポーツライターという仕事で実に多くの試合を観戦して、指導者や選手からたくさんの理論や経験を聴いて、形になって来たもの。但し、まだ噛み砕きかけているものだから、正直なところメッチャ自信がある訳でもない。だから、僕の考えに異論がある人間もいるだろうし、賛同してくれる人間もいるだろう。また、賛同してくれる人間でも修正、補足すべき点があると感じるのではないか。
***************
幸いなことに、この日記はたくさんの指導者や選手などにも御高覧して戴いているようであります。もしも機会がございましたら、御感想や御意見を率直に述べて戴けるとありがたい限りであります。
僕も現場で真剣に野球を観て、考えているつもりではありますが、所詮は第三者の分際です。生の声をもっと聴かせて戴ければ、とても勉強になりますので。
図々しいお願いではありますが、どうか宜しくお願い申し上げます。
***************
僕が述べて来たことと合致するかどうかは分からないけれども。かつてイチロー外野手(マリナーズ)が日本でプレーしていた時にバッティングのヒントを掴んだ打席(二ゴロ)があったと言う。結果的には凡打であるが、イチローにとっては“本能と感性”と“知識と経験”が融合・調和して、ある種のエクスタシーを得た打席だったのではないだろうか。僕はそう思いたい。
結局、何を書いているのか分からなくなってしまったが(苦笑)。
バッティングとは。いや、野球とは奥が深くて非常に難しい。せやけど、シンプルに面白いということですわ。
***************
余談ながら。
僕は知的な人間でないだけに“痴的”な表現に頼ってしまうところがある。
これがバシッとハマればええんやけど、ハマらないことの方が多い…しばしば誤解される(苦笑)。
開高健、忌野清志郎、桑田佳祐らのハードルの高さを痛感する次第。
コメント