高校野球の思い出

2005年8月19日
高校野球の思い出
※なぜ、写真の僕(高校時代に部室にて)は竹刀を持っている?

 多分、1ヶ月くらい前のはず!?
 バーのカウンターでモータージャーナリストのT氏と杯を傾けながら各々の経験を語り合っていた。

 T氏は僕より7歳年上やけれども、僕と同じ県(要するに埼玉っす)で高校球児だった。だから、TVのニュースで高校野球各地方大会の結果を観ながら、自然と“最後の試合”の話題になったのである。

***************
 T氏は熊谷公園球場でコールド負けを喫して号泣したらしい。
 僕は大宮市営球場にて僅差で敗れたのだが…涙はなかった。
「この違いは何やねん?」
 ということで、高校球児の涙の理由を思い出話しを軸に追及して行ったのだ。で、出た結論が“3年間、共に汗を流したメンバーたちともう一緒に野球が出来なくなる”という気持ちから来るものだと。決して“自身の力が発揮出来なかった”とか“負けてしまったから”などの悔しさではないのだ。(まぁ、それも少しはあるんやろうけど)要は焦燥感からの涙ということだ。

***************
 僕は最後の試合…負けると思っていなかったし、正直、不完全燃焼(14打数3安打4打点0本塁打)。当然、悔しい気持ちはあったけれども、ちょっと左手首を痛めていたこともあって
「やっと休めるわ」
 というのも素直な心情あった。
 こう書くと、僕は無気力な高校球児のようであるが…負けるとは思っていなかったと前述したもののそれなりの覚悟をしていた。それは僕とチームメート(同期)の進路ことがあったからである。
 僕らのチームメートの大半は立教大へ進学する。そして、その約半分が立教大で硬式野球を続ける。それゆえに“このメンバーでもう野球が出来ない”という雰囲気は他校より確実に希薄。ただ、僕はお恥ずかしながら高校3年になった時点で立教大への推薦権を失効していたので、希薄な雰囲気の中でも随分と前から“このメンバーで野球が出来ない”という気持ちは持ち続けていた。現に5月〜6月は立教大進学説明会にも顔を出さずに(正しくは“出せずに”)1人だけ下級生と練習をしていたこともあったからなぁ(苦笑)。
 であるから、負けた時点では“今さら”的なところがあったんやと思う。泣いているメンバーが数人いたから“貰い泣き”しそうにもなったが、主将の広池浩司(現C)の実にサバサバした表情を観ていたら
「泣いてたまるか!」
 という想いにもなったし(笑)。まぁ、今、思えば、お互いに“精一杯の強がり”やったんやろうけれどもね。

 大宮市営球場から高校へ戻るバスの中。どの道を通ったのか?どれくらいの時間が掛かったのか?何を考えていたのか?具体的な記憶はほとんどない。
 ただ、シ〜ンと静まった車内の中、いつもの指定席(バスの最後部座席左端に)でボーッと車窓に映る風景を放心状態で眺めていた。涙はいつまで経っても流れて来なかったが、喪失感だけは徐々に募って来る。アスファルトの上で叩き潰されたトマトみたいな感じかな。
 そうそう、シッカリ覚えているのは小学生の頃(ボーイズリーグ)に練習していた河川敷のグラウンド上の陸橋を渡った時。思わず
「俺、ここで野球を始めたんだよなぁ」
 と呟いてしまったこと。隣の隣に座っていた後輩・Iが
「そうなんですか」
 と律儀にリアクションしてくれんかったら、僕の発した言葉はどこの空間を彷徨っていたんやろうか?

***************
 涙を流したのはそれから5ヶ月と少しが経ってから。年明け早々であった。
 無事に関西学院大への進学も決まり、運転免許も取得した。で、1月末から関西へ引っ越し、大学での練習に参加するのでボチボチと高校のグラウンドで体を動かし始めていた頃。
 大学で野球を続けない二塁手・Kが数日間、しつこく家に電話を掛けて来る。しまいには高校のグラウンドにまでやって来やがる。何か怪しい。
「○日の夜は必ず予定を空けておいてよ。池袋に集合」
「なんでぇ?」
「う〜ん、合コンをセッティングしてるんだよ」
「俺、もう今月末には関西へ引っ越すから、合コンとか無意味なんだけどぉ」
「いや、シマジリのファンが来るんだって。俺の顔も立ててよ」
 みたいな感じで、結局は“合コン&ファン”に負けた(笑)。約束の日、約束の時間、指定された待ち合わせ場所で二塁手・Kと落ち合って、池袋西口のある店の個室へ入る。すると、合コン&ファンはどこへやら…実にムサクルシイ野球部同期メンバーが全員集まっていたではないか!広池とか素知らぬ顔でいやがる。昼間、一緒に高校のグラウンドで練習していたのに何も聴いてなかったっちゅうねん。
 さすがに花束までは用意されていなかったけれども、一番のお調子者であった補欠右翼手・Iの
「シマジリ〜、関西に行っても頑張れよぉ〜!」
 という音頭で“シマジリ・コール”が男だらけの個室に吹き荒れる。で、僕はビー○を立て続けに(5杯くらいかな)一気したら涙が止まらなかった。“みんなともう野球が出来ない”という忘れていた感情が溢れ出して来る。もしかしたら、無理矢理に押さえ付けていたのかも知れない。でも、それは本当に悲しい涙じゃなかった。“みんなともう野球が出来ない”から“みんなと野球が出来て良かった”という嬉しい涙にすぐ変わったからだ。

 約2時間、合コン&ファンはどこへやら(シツコイなぁ)…ムサクルシイながらも楽しい宴が終わった後。みんなは店の外で僕のことを胴上げまでしてくれた。その時も泣いたねぇ。

 これが高校野球の思い出かな。まぁ、他にもイッパイあるけどなぁ。

コメント

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

最新のコメント

日記内を検索