価値ある7打席連続安打
2005年10月29日
【写真】
今秋の関西学生リーグ戦(立命館大?〜?回戦)にて。
連盟記録タイ(※1)となる7打席連続安打(新リーグ発足後)を
達成した阪田誠外野手(同志社大)。
※牧野光将外野手(近大)現・大阪ガス
95年秋・関西大?回戦〜京都大?回戦
***************
10月26日・同立3回戦(西京極球場)
4回表、無死走者1塁。
谷角剛投手(立命館大)から阪田誠外野手(同志社大)が中前安を打つと、記者席で観戦していた坂田穣監督(関西学院大)は
「阪田はホンマにセンター中心でええバッティングしよるなぁ。まぁ、名前(サカタ)がええわな。俺は“つちへん”やけどな(笑)」
と冗談を交えながら阪田を誉め讃える。そう、阪田はこれで7打席連続安打の連盟記録に肩を並べたのである。
それを聴いていた僕は
「自分も坂田さんと同じ名前(ユズル)なんですけど。“ごんべん”ですけどね(笑)」
そう返すと、坂田監督は
「おぉ、ホンマや。島尻もええ名前やな(笑)」
シッカリと!?応対してくれた。
***************
阪田は今秋半ばから中堅手の定位置をガッチリと掴み取る。
規定打席には到達しなかったものの29打数12安打で打率.414というシュアな打撃は同志社大のみならず、リーグでも際立っていた。
まだ阪田は3回生であるし、来季もきっと同志社大の中心選手としてプレーすることであろう。
***************
もっと早く活躍するはずであった−。
阪田は倉敷商高時代は三塁手で主に1番打者。高校通算11本塁打を放った。
大きな期待を受けて同志社大に入学して、早速、春のOP戦でも結果を残す。
「阪田を使うつもりです」
と吉川博敏監督(同志社大)が語っていたように、阪田は当時、三塁手であった主将・永山貴大内野手を押しのけてリーグ戦開幕スタメンに名を連ねるはずであったのだが、好事魔多し…。
03年3月。リーグ戦開幕直前の練習前に阪田は原付バイクで交通事故を起こしてしまった。で、右足大腿部を骨折する大ケガを負ったのである。
「こんなはずじゃなかった…」
同志社大の入学式も無機質な病院のベッドで迎えた阪田。
これから始まるキャンパスライフ。そして、希望に満ちた大学野球生活のスタートはまさに“ドン底”からであった。
***************
1年間はリハビリに費やし、練習に参加することは出来なかった。
練習に参加するようになっても、一人で同志社大野球部グラウンドの外周を黙々と走り続ける日々。
しかし、阪田は
「必ず復活するんだ。必ず試合に出るんだ」
という強い想いを胸に、苦しい時を乗り越えた。
そして、成し遂げた7打席連続安打なのである。(8打席目は一邪飛)
***************
「記録のことは全く知りませんでした」
と試合後に語っていたように、阪田は記録の為にプレーしていた訳ではない。
“グラウンドに立てる”、“ユニフォームが着られる”、“野球が出来る”、“試合に出られる”という喜びを噛み締めた結果がそうなったのだ。
阪田に大学野球生活で残されているのはあと1年のみ。“空白の期間”は決して埋められることはないだろうが、プレー出来る喜びを感じながら、今秋以上の頑張りを見せて欲しい。
陰ながらではあるが、応援している。
***************
《参考》
1 右前安 立命館大?回戦
2 中前安 立命館大?回戦
3 中前安 立命館大?回戦
4 三内安 立命館大?回戦
5 右前安 立命館大?回戦
6 右前安 立命館大?回戦
7 中前安 立命館大?回戦
で7打席連続安打。
今秋の関西学生リーグ戦(立命館大?〜?回戦)にて。
連盟記録タイ(※1)となる7打席連続安打(新リーグ発足後)を
達成した阪田誠外野手(同志社大)。
※牧野光将外野手(近大)現・大阪ガス
95年秋・関西大?回戦〜京都大?回戦
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10月26日・同立3回戦(西京極球場)
4回表、無死走者1塁。
谷角剛投手(立命館大)から阪田誠外野手(同志社大)が中前安を打つと、記者席で観戦していた坂田穣監督(関西学院大)は
「阪田はホンマにセンター中心でええバッティングしよるなぁ。まぁ、名前(サカタ)がええわな。俺は“つちへん”やけどな(笑)」
と冗談を交えながら阪田を誉め讃える。そう、阪田はこれで7打席連続安打の連盟記録に肩を並べたのである。
それを聴いていた僕は
「自分も坂田さんと同じ名前(ユズル)なんですけど。“ごんべん”ですけどね(笑)」
そう返すと、坂田監督は
「おぉ、ホンマや。島尻もええ名前やな(笑)」
シッカリと!?応対してくれた。
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阪田は今秋半ばから中堅手の定位置をガッチリと掴み取る。
規定打席には到達しなかったものの29打数12安打で打率.414というシュアな打撃は同志社大のみならず、リーグでも際立っていた。
まだ阪田は3回生であるし、来季もきっと同志社大の中心選手としてプレーすることであろう。
***************
もっと早く活躍するはずであった−。
阪田は倉敷商高時代は三塁手で主に1番打者。高校通算11本塁打を放った。
大きな期待を受けて同志社大に入学して、早速、春のOP戦でも結果を残す。
「阪田を使うつもりです」
と吉川博敏監督(同志社大)が語っていたように、阪田は当時、三塁手であった主将・永山貴大内野手を押しのけてリーグ戦開幕スタメンに名を連ねるはずであったのだが、好事魔多し…。
03年3月。リーグ戦開幕直前の練習前に阪田は原付バイクで交通事故を起こしてしまった。で、右足大腿部を骨折する大ケガを負ったのである。
「こんなはずじゃなかった…」
同志社大の入学式も無機質な病院のベッドで迎えた阪田。
これから始まるキャンパスライフ。そして、希望に満ちた大学野球生活のスタートはまさに“ドン底”からであった。
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1年間はリハビリに費やし、練習に参加することは出来なかった。
練習に参加するようになっても、一人で同志社大野球部グラウンドの外周を黙々と走り続ける日々。
しかし、阪田は
「必ず復活するんだ。必ず試合に出るんだ」
という強い想いを胸に、苦しい時を乗り越えた。
そして、成し遂げた7打席連続安打なのである。(8打席目は一邪飛)
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「記録のことは全く知りませんでした」
と試合後に語っていたように、阪田は記録の為にプレーしていた訳ではない。
“グラウンドに立てる”、“ユニフォームが着られる”、“野球が出来る”、“試合に出られる”という喜びを噛み締めた結果がそうなったのだ。
阪田に大学野球生活で残されているのはあと1年のみ。“空白の期間”は決して埋められることはないだろうが、プレー出来る喜びを感じながら、今秋以上の頑張りを見せて欲しい。
陰ながらではあるが、応援している。
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《参考》
1 右前安 立命館大?回戦
2 中前安 立命館大?回戦
3 中前安 立命館大?回戦
4 三内安 立命館大?回戦
5 右前安 立命館大?回戦
6 右前安 立命館大?回戦
7 中前安 立命館大?回戦
で7打席連続安打。
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