最後の秋に学んだこと(訂正版)
【写真】
 右/柳瀬明宏投手(龍谷大)
 左/井上暢祐投手(龍谷大)

※詳細はHP『こちアマ』http://www.kochiama.com/を。

 関西地区代表決定戦(第二代表決定戦)で龍谷大は大阪体育大にサヨナラ負け。これによって明治神宮大会出場を逃してしまうと共にこの現チームでの最後の試合となってしまった。

 サヨナラ本塁打を打たれ、ショックに打ちひしがれる井上は閉会式が始まってもベンチから動けずに悔し涙を流していた。
 その井上を笑顔で励まし続けていた柳瀬の姿が実に印象的であった。

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《リーグ戦成績》
 39試合 178回2/3 12勝6敗 防御率2.01

《獲得タイトル》
 03年秋・平古場賞(新人賞)
 04年春・最優秀選手賞
 
《連盟記録》
 1試合最多奪三振18個(03年秋/大阪経済大?回戦)
 
 上記は柳瀬の4年間での主なリーグ戦成績である。

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 柳瀬は2回生秋(03年)くらいから先発投手として台頭。
 まるでキャッチボールでもしているかのようなユッタリとした投球フォームからキレのあるボールを投げ込む投手である。
 2回生秋、3回生春(04年)は先発投手としてリーグ優勝に貢献。そして、3回生秋はクローザーで活躍して、プロ注目投手にもリストアップされていた。

 ラストイヤーとなる4回生春。柳瀬は再び先発投手に戻った。
 だが、6試合に登板(全て先発)して、3勝2敗で防御率は2.66という成績は本来の柳瀬の姿ではなかった。そう、この頃から柳瀬は右肘に違和感を覚えていたのである。右肘の違和感は俗に言う“勤続疲労”によるものであった。

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 大学野球生活最後の秋。
 柳瀬は常にブレザー姿であり、一度もベンチ入りすることがなかった。

 椹木寛監督(龍谷大)も
「将来のある子ですから。全てお医者さんに任せています。柳瀬がいないのは痛いけれども無理をさせられない」
 と、苦しい投手事情でありながらも実績のある柳瀬に頼らず。それでも、チームの力を束ねて関西六大学リーグで優勝。今回の関西地区代表決定戦も“柳瀬抜き”で臨み、04年春以来の神宮出場を狙ったのである。

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 今日、龍谷大は大阪体育大に敗れ、04年のチームはピリオドを打った。
 柳瀬は“最後の秋という文章”に一度も出て来ることなく…いやいや、それは間違い。表向きには出て来なかったかも知れないが、グラウンド以外の場所で柳瀬は重要な鍵を握る“文章や単語”の役目を存分に果たしていたのだから。

 最上回生で実績のある柳瀬。しかし、そのようなプライドを振りかざすことは一切なく、両手にメガホンを持ってスタンドから懸命にグラウンドでプレーする選手に声援を送っていた。

 そして、

「よく投げたよ」
「お前は悪くないよ」
「お前がいたから、ここまで来れたんだろ」
「気にすんな」
「あと2年あるだろう」
 
【写真】にあるように泣き崩れて最後までベンチから動けない2回生投手・井上を励まし続けていた。

 また、その後もトレーナーやマネージャーなどの裏方の肩を抱き、温かい言葉を掛けていたのである。

 これは簡単に出来ることではない。

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「肘は疲労ですからね…自分が甘かったところはあると思います。反省しています」
 ラストシーズンを振り返る柳瀬。悔しいという表現はなかったが、不完全燃焼で終わったことには自分自身が一番もどかしさを感じているはずだ。だが、その感情を表に出さないところがクールなマウンドさばきが信条の柳瀬らしいところなのかも知れない。そして、最後に。
「メンバーから離れることで分かったこと。学んだことはたくさんありますよ。今後の野球人生に活かしたいですね」
 いつも通りのクールな口調と面持ちで柳瀬は語った。

 具体的に筆舌することは難しいけれども、柳瀬の言わんとしていることは充分に伝わって来た。

 是非、今後の野球人生に活かして欲しいっ!
 いや、きっと活かせるだろうっ!
 

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