【写真】
田林正行投手(同大)
05年4月30日(関大戦)以来の白星☆
ウィニングボールを手にして笑顔を見せる
***************
02年夏の甲子園の準優勝投手。
名前を覚えている野球ファンも多いことだろう。
田林が智辯和歌山高を卒業して
同大に入学してから早いもので4年の月日が流れた。
田林は2回生春からベンチ入り。
182センチの長身を折り曲げるサイドハンド投手は
染田賢作(現YB)と並んで、同大の先発投手として活躍するようになった。
特にデビュー直後は2試合連続完封と幸先の良いスタート。
だが、決して順風満帆な大学野球生活ではなかった。
元々、ストレートとスライダーのコンビネーションが生命線。
球威で勝負するタイプでないだけに
“一発勝負の高校野球”とは違って、
“データ重視の大学野球”では球を見極められるようになる。
次第に田林の投球自体のテンポも遅くなり、
持ち味が存分に発揮出来ないという壁にぶつかってしまったのだ。
***************
だが、この日の田林は違った。
5月24日(立命戦)は前日に惜敗しており、同大にとっては負けられない一戦。
そこで田林は4月9日(関大戦)以来、約1ヶ月振りとなる先発のマウンドに上がる。
立ち上がりは手探りの状態だというのが
カメラマン席で観ていた僕にもよく分かった。
いきなり先頭打者の中塚浩太に死球を与えてしまったくらいだ。
試合後に聴いたら
「マウンドの傾斜が少し変わっていた」
と田林。
要するにそれだけ田林は登板間隔が空いていたということの裏付けにもなる。
そのような状況の中、
田林は3回裏に自軍の2つの失策も絡んで立命に先制点を許してしまった。
だが、田林は自分のストレートが走っていることを確信。
また、味方がいつか逆転してくれる自信があった。
テンポ良く捕手・佐谷崇行のブルーのミットに投げ込み、
ストライク先行で投球テンポも良い。
デビュー当時の颯爽とした姿を彷彿とさせたものである。
その田林の好投に応えるかのように
同大は6回表に4番・安井正也の中前適時打でまず同点に追い付く。
8回表には3番・土井一也が左翼席へソロ本塁打を放って勝ち越し。
そして、この1点のリードを田林は最後まで守り切った。
最後の打者・森脇光を空振り三振に仕留めると
軽く右拳でグラブを叩き、満面の笑みを見せた―。
***************
06年4月18日。
田林の父・保秀は急性心筋梗塞で他界した(享年54)。
「なかなか結果が出ない時でも『まぁ、頑張れ』と励ましてくれた。
もう言って貰えないのは寂しいですけれども仕方ないですね」
そう田林は言って、少し目を潤ませる。
このような背景もあって初めての先発のマウンド。
だから、田林はどうしても勝ちたかった。
いや、良い投球を亡き父に見せたかったのだ。
そこで不思議なことに気負いは生まれず。
「大学で一番のピッチング。楽しかった、チームのみんなが勝たせてくれた」
9回 114球 被安打4 奪三振8 与四死球3 失点1 自責0
数字で表せば、上記のような投球内容。
だが、それ以上に田林が掴んだモノは大きかったはずだ。
***************
高校野球、大学野球とスポットライトを浴びた田林であるが、
同大卒業後は野球を続けないことを決意した。
既に内定を貰い、就職活動も終えている。
であるから、田林が真剣勝負でマウンドに上がる機会は秋のシーズンのみ。
この残り少ない機会の一球、一球を当然、大事にするであろう。
そして、少しでも多くのウイニングボールを
父の墓前に捧げられるように力投するに違いない。
田林正行投手(同大)
05年4月30日(関大戦)以来の白星☆
ウィニングボールを手にして笑顔を見せる
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02年夏の甲子園の準優勝投手。
名前を覚えている野球ファンも多いことだろう。
田林が智辯和歌山高を卒業して
同大に入学してから早いもので4年の月日が流れた。
田林は2回生春からベンチ入り。
182センチの長身を折り曲げるサイドハンド投手は
染田賢作(現YB)と並んで、同大の先発投手として活躍するようになった。
特にデビュー直後は2試合連続完封と幸先の良いスタート。
だが、決して順風満帆な大学野球生活ではなかった。
元々、ストレートとスライダーのコンビネーションが生命線。
球威で勝負するタイプでないだけに
“一発勝負の高校野球”とは違って、
“データ重視の大学野球”では球を見極められるようになる。
次第に田林の投球自体のテンポも遅くなり、
持ち味が存分に発揮出来ないという壁にぶつかってしまったのだ。
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だが、この日の田林は違った。
5月24日(立命戦)は前日に惜敗しており、同大にとっては負けられない一戦。
そこで田林は4月9日(関大戦)以来、約1ヶ月振りとなる先発のマウンドに上がる。
立ち上がりは手探りの状態だというのが
カメラマン席で観ていた僕にもよく分かった。
いきなり先頭打者の中塚浩太に死球を与えてしまったくらいだ。
試合後に聴いたら
「マウンドの傾斜が少し変わっていた」
と田林。
要するにそれだけ田林は登板間隔が空いていたということの裏付けにもなる。
そのような状況の中、
田林は3回裏に自軍の2つの失策も絡んで立命に先制点を許してしまった。
だが、田林は自分のストレートが走っていることを確信。
また、味方がいつか逆転してくれる自信があった。
テンポ良く捕手・佐谷崇行のブルーのミットに投げ込み、
ストライク先行で投球テンポも良い。
デビュー当時の颯爽とした姿を彷彿とさせたものである。
その田林の好投に応えるかのように
同大は6回表に4番・安井正也の中前適時打でまず同点に追い付く。
8回表には3番・土井一也が左翼席へソロ本塁打を放って勝ち越し。
そして、この1点のリードを田林は最後まで守り切った。
最後の打者・森脇光を空振り三振に仕留めると
軽く右拳でグラブを叩き、満面の笑みを見せた―。
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06年4月18日。
田林の父・保秀は急性心筋梗塞で他界した(享年54)。
「なかなか結果が出ない時でも『まぁ、頑張れ』と励ましてくれた。
もう言って貰えないのは寂しいですけれども仕方ないですね」
そう田林は言って、少し目を潤ませる。
このような背景もあって初めての先発のマウンド。
だから、田林はどうしても勝ちたかった。
いや、良い投球を亡き父に見せたかったのだ。
そこで不思議なことに気負いは生まれず。
「大学で一番のピッチング。楽しかった、チームのみんなが勝たせてくれた」
9回 114球 被安打4 奪三振8 与四死球3 失点1 自責0
数字で表せば、上記のような投球内容。
だが、それ以上に田林が掴んだモノは大きかったはずだ。
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高校野球、大学野球とスポットライトを浴びた田林であるが、
同大卒業後は野球を続けないことを決意した。
既に内定を貰い、就職活動も終えている。
であるから、田林が真剣勝負でマウンドに上がる機会は秋のシーズンのみ。
この残り少ない機会の一球、一球を当然、大事にするであろう。
そして、少しでも多くのウイニングボールを
父の墓前に捧げられるように力投するに違いない。
コメント
田林は高3のセンバツから見る機会の多かった選手なんで、久々の快投が聞けてうれしく思ってます。
大学2年春の同立第3戦、逆転した直後に元チームメートの西村にサヨナラヒットを打たれ、ベンチでしばらく放心状態だった姿を忘れられません。
秋は佐川との2枚看板で優勝争いを!
している者です。同志社後輩の田林の快投は何より嬉しいです。
入学後の活躍からしばらく遠のいていただけに、最後の学年に復活し、秋に向けて意を強くしています。若くして亡くなったお父上の遺志に応えるためにも一層がんばってください、応援します。
某所ではお世話になっております(笑)。
かつてのチームメート・西村(立)に打たれたシーンは確かに印象的ですね。
同大は他の投手もこの春に経験を積んだので楽しみですね。
打線は元々、繋がりがあるだけに☆
>seiichiさん
はじめまして。
駄文ばかりですが、御愛顧に心より感謝申し上げます。
技量や体力は勿論のこと、「気持ち」も大事なところですからね。
自分もラストシーズンの活躍に期待しております。
おぉ、嬉しいコメントっすね♪
ごぶさたです。
詳しくは知らないけれども、業界だけは聴いています。
多分、そうなのではないでしょうか。
頑張って欲しいね!!