初めてのオーダー・バットは
2004年10月7日 今から13年前。
大学で野球を続けるにあたって、木製バットを初めてオーダーメイドした。
当時、よく面倒を見てくれていた某メーカーの厚意もあって、その某メーカーの東京本社へチームメートであった広池浩司(現カープ投手)と細かい秋雨が降りしきる中、足を運んだのである。すると、バット作り名人・K氏がいるではないか(驚)。
「これまで金属バットはどんなのを使っていたのかな?」
優しい口調で尋ねて来る名人・K氏。僕と広池は重量、長さ、形状、バランスなどを事細かに説明。また、何本かのサンプルのバットをスイングさせて貰い
「これはヘッドが走らないなぁ」
「ちょっとグリップが太いかも」
と30分程、悩みに悩みまくる。
で、結局、広池は今まで使っていた金属バットをベース(特にグリップ部)に石井浩郎(当時バファローズ)モデルをアレンジしたもの。
僕は長さだけ金属バットと同じ(84?)でバットの形状は篠塚利夫モデル(当時ジャイアンツ)で、バランスとグリップはある選手のモデルを採り入れることにした。
広池は
「マジで?よく分かんないんだけどさぁ。明らかにタイプ(打者としての)違うし」
とビックリしている。僕は
「俺もよく分かんねえよ。でも、何かシックリ来たんだから、しょうがねえだろう」
そう応えるしかない。
2人の高校生の意見を聞いて、目の前で横に回転する“ろくろ”のようなものにバットの原木を挟み、鮮やかに削って行く名人・K氏。まずは“広池モデル”のバットが出来上がった。
広池は某メーカーのロゴも入っていない真っ白なバットをスイングしながら
「おぉ、超良い感じ!良いよぉ〜!!最高だぁ♪」
と御満悦。
そして、次に僕のバットが出来上がる。
「うわっ、何だこれっ!!“島尻モデル”だよぉ♪」
広池とほぼ同様のリアクション。
「じゃあ、これと同じバットを○本、数日後には送りますんで」
と某メーカー営業に声を掛けて貰い、僕と広池は大学野球での活躍を夢見ながら、帰路に着いた。
数日後、箱に入ったバットが宅配便で送られて来た。
僕は1本だけビニールシートをはがし、すぐに素振りをした。
「うん、やっぱりシックリ来るよ」
改めて、オーダーメイドのバットを手にした喜びを噛み締めた。確認してはいないけれども、多分、広池もそうであっただろう。
その後、広池は立教大で1年生ながら開幕4番を務めた。
僕は…えーっ、書くの辞めておきますわ(苦笑)。
広池はどうか知らんが、僕の野球人生でバットをオーダーメイドしたのはこの時が最初で最後。○本のバットは1年もしないうちに全て“木片”になってしまったのだ…。
***************
明日(天気は大丈夫かいな???)、1人のプロ野球選手が惜しまれながらユニフォームを脱ぐ。
ファンから“神様”と崇められた八木裕内野手(タイガース)である。
前述した僕が最初で最後のオーダーメイドしたバットのバランスとグリップは“八木モデル”が原型であった。
「せやから、どうした!」
と言われてしまえば、それまでだが。何だか野球の青春がまた一つ消えてしまうようで…八木の引退は少しばかり寂しい気がしているのである。
>八木選手
18年間、ホンマにお疲れ様でした。
大学で野球を続けるにあたって、木製バットを初めてオーダーメイドした。
当時、よく面倒を見てくれていた某メーカーの厚意もあって、その某メーカーの東京本社へチームメートであった広池浩司(現カープ投手)と細かい秋雨が降りしきる中、足を運んだのである。すると、バット作り名人・K氏がいるではないか(驚)。
「これまで金属バットはどんなのを使っていたのかな?」
優しい口調で尋ねて来る名人・K氏。僕と広池は重量、長さ、形状、バランスなどを事細かに説明。また、何本かのサンプルのバットをスイングさせて貰い
「これはヘッドが走らないなぁ」
「ちょっとグリップが太いかも」
と30分程、悩みに悩みまくる。
で、結局、広池は今まで使っていた金属バットをベース(特にグリップ部)に石井浩郎(当時バファローズ)モデルをアレンジしたもの。
僕は長さだけ金属バットと同じ(84?)でバットの形状は篠塚利夫モデル(当時ジャイアンツ)で、バランスとグリップはある選手のモデルを採り入れることにした。
広池は
「マジで?よく分かんないんだけどさぁ。明らかにタイプ(打者としての)違うし」
とビックリしている。僕は
「俺もよく分かんねえよ。でも、何かシックリ来たんだから、しょうがねえだろう」
そう応えるしかない。
2人の高校生の意見を聞いて、目の前で横に回転する“ろくろ”のようなものにバットの原木を挟み、鮮やかに削って行く名人・K氏。まずは“広池モデル”のバットが出来上がった。
広池は某メーカーのロゴも入っていない真っ白なバットをスイングしながら
「おぉ、超良い感じ!良いよぉ〜!!最高だぁ♪」
と御満悦。
そして、次に僕のバットが出来上がる。
「うわっ、何だこれっ!!“島尻モデル”だよぉ♪」
広池とほぼ同様のリアクション。
「じゃあ、これと同じバットを○本、数日後には送りますんで」
と某メーカー営業に声を掛けて貰い、僕と広池は大学野球での活躍を夢見ながら、帰路に着いた。
数日後、箱に入ったバットが宅配便で送られて来た。
僕は1本だけビニールシートをはがし、すぐに素振りをした。
「うん、やっぱりシックリ来るよ」
改めて、オーダーメイドのバットを手にした喜びを噛み締めた。確認してはいないけれども、多分、広池もそうであっただろう。
その後、広池は立教大で1年生ながら開幕4番を務めた。
僕は…えーっ、書くの辞めておきますわ(苦笑)。
広池はどうか知らんが、僕の野球人生でバットをオーダーメイドしたのはこの時が最初で最後。○本のバットは1年もしないうちに全て“木片”になってしまったのだ…。
***************
明日(天気は大丈夫かいな???)、1人のプロ野球選手が惜しまれながらユニフォームを脱ぐ。
ファンから“神様”と崇められた八木裕内野手(タイガース)である。
前述した僕が最初で最後のオーダーメイドしたバットのバランスとグリップは“八木モデル”が原型であった。
「せやから、どうした!」
と言われてしまえば、それまでだが。何だか野球の青春がまた一つ消えてしまうようで…八木の引退は少しばかり寂しい気がしているのである。
>八木選手
18年間、ホンマにお疲れ様でした。
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