ナイスガイ!“ハマの番長”
2004年12月6日“ハマの番長”こと三浦大輔投手(ベイスターズ)は昨日の日記にも書いた通り、あまりにもハードなルックス&スタイルなので…内心、僕も少しばかりビビっていたのだが。非常に物腰が柔らかく、応対も丁寧。
まぁ、僕も一番最初に“48年会”(同級生)であることをアピっておいたし、偶然にも僕の中学・高校の後輩・松井朋(NHK)がベイスターズ担当。三浦のインタビューは事前から決まっていたので
「ヨロシク言うといてくれよぉ」
と松井には伝えておいた。
そのことも確認すると、三浦は
「ゴルフの時に聴いていましたよ」
と言っていたので、松井はシッカリと任務を遂行していた。良く出来た後輩だ(笑)。
“48年会”同士と言えども、互いに面と向かって話しをするのは初めて。ましてや僕は取材者なので“タメ口”は叩けない。せやけど、“48年会”と言うてる以上、僕がかしこまりすぎても三浦が困るだろうと思ったので。極力、堅苦しくならないようには心掛けた。その辺も三浦は頭の回転が早く、察知してくれたようだ。砕け過ぎない範囲でフレンドリーに接してくれたのはありがたかった。
取材内容(依頼主・ミズノ)に関してはこれから仕上げなくてはならないので、あまり触れられないが…三浦はまず企画力がある。ミズノの用具担当社・田中隆一も
「本当に色々な感想や新しいアイデアもくれるんですよ。スタッフ会議にもアドバイザー契約を結んでから、6年間、皆勤賞ですし。ありがたい限りです」
と三浦をベタ誉めしていた。時にはアイデアをイラストに描いて、FAXとかも送ってくれるらしい。
「いやいや、デザインなんて…人に見せられるもんちゃうけど。ホンマ、落書きレベル」
と三浦は謙遜していたが、選手の“生の声”であることに間違いはない。メーカーとしては貴重なものであろう。
また、セルフ・プロデュースにも長けている。極端に言えば、トレードマークであるリーゼントもその一環だと思っても良いのでは。
公式HP『baseball Net Club』http://daisuke18.com/も同様だ。
まぁ、この辺は親交のあるプロレスラー・蝶野正洋などからも吸収しているようでもあった。
そして、何よりも感心させられたのが、ファンを大事にすること。
「何か出来へんかなってね。特に子供たちには。まぁ、成績で応えるのが一番なんやけど」
と真剣な眼差しで語る三浦。今年からは自腹を切って、“三浦モデル”(軟式少年用)のグラブを購入。それをベイスターズの主催試合(70試合)で1試合2個ずつ(小学生以下、抽選)プレゼントしていると言う。
「やっぱり、グラブって嬉しいでしょ。僕も親に買って貰って、大事にしたよ。今でもあのドロース(手入れ用油)の匂いを嗅ぐと、野球を始めたばかりの頃を思い出すもん。で、試合前に抽選の結果がバックスクリーンに出るんだよね。始めたばかりの頃は110番、120番とかだったのが、シーズン終盤には440番、450番って。結構、評判良いみたい。球団からも『もっとやってくれ、プレゼントの数を倍にしないか』って。『じゃあ、購入費を半分、持って貰えるんですか?』って聞いたら『いや、それは…』って(爆笑)」
新潟県中越地震の被災者にも自費で食糧を送った。また、近々、投手陣を引き連れて、ボランティア(球団の了承済み)で野球教室も開催すると言う。
「球場に招待するってのも良いんやけど、こういう時期に家を空けるのも不安でしょ。じゃあ、僕らが行けば良いやって」
ホンマに心の温かい選手であった。
その他にも少年時代の思い出話し、ベイスターズ選手会副会長として考えること、アテネ五輪、球界再編、プレーオフなどについても熱く語ってくれた。そして、また、話しは戻って(インタビューは終わったのだが、コーヒーを飲みながら)
「こんなファンサービスって出来へんのかなぁ?」
と色々なアイデアを出したり、求めたり。
「完成形はないからね」
という三浦の一言が印象に残る。
尚、気になる“ハマの番長”の発端は。
「髪型はズーッと坊主頭やったから、リーゼントにしてみたかったんだよね。で、プロ入り2年目か3年目のキャンプの時。ある新聞社のカメラマンが『三浦君、単車好き?』って聴いて来るから『好きですよ』って。それで宿舎に戻ってから単車にまたがった写真を撮ったら…次の日にその写真と一緒に“ハマの番長”って見出しが(苦笑)。最初は『オイオイ』やったけど、定着したからね(笑)。今では気に入っていますよ。清原さん(和博内野手、ジャイアンツ)より先やから」
ということだそうだ。
04年シーズンを終えて、通算86勝の三浦。
「来季中に達成したいっすね」
05年、その右腕に注目したい。
まぁ、僕も一番最初に“48年会”(同級生)であることをアピっておいたし、偶然にも僕の中学・高校の後輩・松井朋(NHK)がベイスターズ担当。三浦のインタビューは事前から決まっていたので
「ヨロシク言うといてくれよぉ」
と松井には伝えておいた。
そのことも確認すると、三浦は
「ゴルフの時に聴いていましたよ」
と言っていたので、松井はシッカリと任務を遂行していた。良く出来た後輩だ(笑)。
“48年会”同士と言えども、互いに面と向かって話しをするのは初めて。ましてや僕は取材者なので“タメ口”は叩けない。せやけど、“48年会”と言うてる以上、僕がかしこまりすぎても三浦が困るだろうと思ったので。極力、堅苦しくならないようには心掛けた。その辺も三浦は頭の回転が早く、察知してくれたようだ。砕け過ぎない範囲でフレンドリーに接してくれたのはありがたかった。
取材内容(依頼主・ミズノ)に関してはこれから仕上げなくてはならないので、あまり触れられないが…三浦はまず企画力がある。ミズノの用具担当社・田中隆一も
「本当に色々な感想や新しいアイデアもくれるんですよ。スタッフ会議にもアドバイザー契約を結んでから、6年間、皆勤賞ですし。ありがたい限りです」
と三浦をベタ誉めしていた。時にはアイデアをイラストに描いて、FAXとかも送ってくれるらしい。
「いやいや、デザインなんて…人に見せられるもんちゃうけど。ホンマ、落書きレベル」
と三浦は謙遜していたが、選手の“生の声”であることに間違いはない。メーカーとしては貴重なものであろう。
また、セルフ・プロデュースにも長けている。極端に言えば、トレードマークであるリーゼントもその一環だと思っても良いのでは。
公式HP『baseball Net Club』http://daisuke18.com/も同様だ。
まぁ、この辺は親交のあるプロレスラー・蝶野正洋などからも吸収しているようでもあった。
そして、何よりも感心させられたのが、ファンを大事にすること。
「何か出来へんかなってね。特に子供たちには。まぁ、成績で応えるのが一番なんやけど」
と真剣な眼差しで語る三浦。今年からは自腹を切って、“三浦モデル”(軟式少年用)のグラブを購入。それをベイスターズの主催試合(70試合)で1試合2個ずつ(小学生以下、抽選)プレゼントしていると言う。
「やっぱり、グラブって嬉しいでしょ。僕も親に買って貰って、大事にしたよ。今でもあのドロース(手入れ用油)の匂いを嗅ぐと、野球を始めたばかりの頃を思い出すもん。で、試合前に抽選の結果がバックスクリーンに出るんだよね。始めたばかりの頃は110番、120番とかだったのが、シーズン終盤には440番、450番って。結構、評判良いみたい。球団からも『もっとやってくれ、プレゼントの数を倍にしないか』って。『じゃあ、購入費を半分、持って貰えるんですか?』って聞いたら『いや、それは…』って(爆笑)」
新潟県中越地震の被災者にも自費で食糧を送った。また、近々、投手陣を引き連れて、ボランティア(球団の了承済み)で野球教室も開催すると言う。
「球場に招待するってのも良いんやけど、こういう時期に家を空けるのも不安でしょ。じゃあ、僕らが行けば良いやって」
ホンマに心の温かい選手であった。
その他にも少年時代の思い出話し、ベイスターズ選手会副会長として考えること、アテネ五輪、球界再編、プレーオフなどについても熱く語ってくれた。そして、また、話しは戻って(インタビューは終わったのだが、コーヒーを飲みながら)
「こんなファンサービスって出来へんのかなぁ?」
と色々なアイデアを出したり、求めたり。
「完成形はないからね」
という三浦の一言が印象に残る。
尚、気になる“ハマの番長”の発端は。
「髪型はズーッと坊主頭やったから、リーゼントにしてみたかったんだよね。で、プロ入り2年目か3年目のキャンプの時。ある新聞社のカメラマンが『三浦君、単車好き?』って聴いて来るから『好きですよ』って。それで宿舎に戻ってから単車にまたがった写真を撮ったら…次の日にその写真と一緒に“ハマの番長”って見出しが(苦笑)。最初は『オイオイ』やったけど、定着したからね(笑)。今では気に入っていますよ。清原さん(和博内野手、ジャイアンツ)より先やから」
ということだそうだ。
04年シーズンを終えて、通算86勝の三浦。
「来季中に達成したいっすね」
05年、その右腕に注目したい。
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