“腐った”気持ち

2005年2月23日
 ドーモです。
 大阪⇔東京が多い今日この頃。“貧乏ナンチャラ”で忙しい日々であります。

 色々と書きたいこともあるんやけれども。今日は日記のタイトル通りに“腐った”気持ちということで。

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 僕の人生…失敗ばかり。冷静にならずとも振り返れば、その一言に尽きる。

 でも、最近はこう思うようにしている。例え、その時は苦いだけの事象であっても
「こういうことを経験して良かった」
「ああいうことがあって良かった」
(まぁ、ある人の受け売りなんやけれども)
 ってな具合に。とても楽観主義者のように思えるけれども。

 世の中で最も愚かなことは憎み合うこと。他人のことを悪く言うことやと僕は思っている。

 これを引きずったら、最低の極み。そして、必要以上に自己悲観に浸るのも良くない。だって、それは一番、簡単な“逃げ道”やから。

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 自分自身で言うのもおかしな話しやねんけれども。僕は野球選手として…高校生の頃までは有望な選手やったかも知れない。詳細は省くが、大学進学後は思いっ切り“腐った”。そして、当時はそれを他人のせいにしていた。
 時が流れて、その愚かさに気付かされる。やっぱり、僕自身が甘かったことに。無理なことやと分かっていても、やり直したい気持ちも生まれて来る。

 現在、何故なのかスポーツライターという職業を生業としている。端目から見れば、華やかな世界やと錯覚されがちやけれども、現状はそうでもない。
 確かに、華やかな世界の側面に触れることは出来る。でも、それだけでないのも現実。僕のように“腐っている選手”にも触れる機会は非常に多い。
 僕自身が“腐った”からではないが、僕なりに“腐った”者の気持ちは理解出来るところがある。
“腐った”という表現に語弊があるかも知れない。その場の“快楽”を優先してしまうところは若気の至りであることだ。
 それは“腐らない”方が良い。でも、それは仕方のないこと。自己防衛ではないが“腐る”にも様々な理由と背景があるんやから。ただ、簡単に“腐る”のは良くない。それは僕自身が経験しているから分かること。

 この数日。実に色々な人間と会い、話す機会があった。場合によっては僕の主張も通していることもある。そして、その時に感じたこと。
「あぁ、僕は“腐った”ことがあるから、こういうことが言えるんや。こういう仕事が出来ているんや」
 って。

“腐る”よりは“腐らない”方がええに決まっている。が、“腐る”ことで学ぶこともたくさんある。僕はそう思っている。

 過去も大事なことやけど、現在、未来へと繋げることの方が大事。都合がええ考え方かも知れへんけれども、過去は“水に流せる”こともあるんやから。“腐った”だけでは終わらん…“転んでもタダでは起きない”。そのような精神を持っていれば。絶対にええことありまっせ!
 僕はそう信じて生きて行きたい。

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