1日遅れの日記ですが
2005年3月15日 取材者という身でも。また、ヘボイながらも大学まで野球をプレーして来た身としても。スポーツは“素晴らしい!”、“楽しい!”だけで片付けられない厳しい世界であることをしばしば痛感する。
この3月12〜13日は第7期日本代表(女子硬式野球)のセレクションに張り付いて、色々な発見・興奮・感動があった。だが、その反面で疑問に感じたり、やり場のない心が引き裂かれるような感情も少なからず抱いたのも事実だ。
ただ、それは誰が悪い訳でも理不尽な訳でもない。各々の立場によっては“納得イカン”となるところもあるだろうが、スポーツというフィールドの根底(スポーツに限った話しではないが)には血が通ったものが存在するのだから。
確かに結果・数字は大事。せやけど、仮に現時点で結果・数字を残せなかったとしても計り知れない何かを掴むチャンスは出来る。それは冷静な心であったり、向上心であったり、思いやりであったり。
これはバリバリの“成果主義者”からは“体の良い楽観論”だとか“現実逃避”と非難されることだろう。でも、人間として絶対に失ってはイケナイ部分である。僕はそう信じたい。
迷うことなく
嘆くことなく
焦ることなく
驕ることなく
腐ることなく
実践するのは非常に難しい。ただ、スポーツと真摯に向き合うことで。時間を要す、要さないは別にして、感じ取ることが出来る日は来る。そして、人生にもきっと反映される。
この3月12〜13日は第7期日本代表(女子硬式野球)のセレクションに張り付いて、色々な発見・興奮・感動があった。だが、その反面で疑問に感じたり、やり場のない心が引き裂かれるような感情も少なからず抱いたのも事実だ。
ただ、それは誰が悪い訳でも理不尽な訳でもない。各々の立場によっては“納得イカン”となるところもあるだろうが、スポーツというフィールドの根底(スポーツに限った話しではないが)には血が通ったものが存在するのだから。
確かに結果・数字は大事。せやけど、仮に現時点で結果・数字を残せなかったとしても計り知れない何かを掴むチャンスは出来る。それは冷静な心であったり、向上心であったり、思いやりであったり。
これはバリバリの“成果主義者”からは“体の良い楽観論”だとか“現実逃避”と非難されることだろう。でも、人間として絶対に失ってはイケナイ部分である。僕はそう信じたい。
迷うことなく
嘆くことなく
焦ることなく
驕ることなく
腐ることなく
実践するのは非常に難しい。ただ、スポーツと真摯に向き合うことで。時間を要す、要さないは別にして、感じ取ることが出来る日は来る。そして、人生にもきっと反映される。
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