えーっ、早いものでHP『こちアマ』http://www.kochiama.com/を始めてから約6ヶ月が経過。
 尚、この『こちアマ』のアクセス統計は非常に細かいデータが出る。例えば、《アクセス数》は

《訪問数》
 05年01月 アクセス数/94164(1日平均/3037)
 04年12月 アクセス数/24982(1日平均/805)
 04年11月 アクセス数/49675(1日平均/1655)
 04年10月 アクセス数/21695(1日平均/699)
 04年09月 アクセス数/18153(1日平均/605)
 04年08月 アクセス数/12933(1日平均/417)
 
 となる。
 まぁ、基本的に…アクセス数は伸びていると考えて良いだろう。 ちなみに04年11月は“ドラフト”効果。05年01月は“ゴールデンゴールズ”と“片岡安祐美”であることが《検索文字列》や《ページ別アクセス数》などから分かる。
 その他にも《日別》、《時間帯別》、《ファイル別》の詳細などなど。果ては《アクセス元》とかも分かってしまうのだ。それをもっとHP作りに反映させたいのだが…余裕がないっす(汗)。

 とにかく色々なデータがある。これを今後、どう活かして行くかだ。

 徐々に作業にも慣れて来たとは言え、まだまだ拙いHP。頑張って行きたい。

 最近、日記の方は“手抜き気味や!”と指摘されることが多いが(苦笑)、こちらも少しでも多くの“会心作”を生めるようにという志は忘れていないので!???

 どうか御愛顧の程、宜しくお願い申し上げます。
 そろそろ『大学野球 増刊号』(ベースボール・マガジン社)の取材対象が決定する頃である。
 年末に企画や候補選手を挙げたが、どんな取材をすることになるのか? 今から非常に楽しみだ。

 ただ、毎シーズン(春・秋)。正直、日程調整には苦労する。まぁ、楽しいんやから、これくらいは我慢するべきか(笑)。

 あっ、もっと苦労することがあったわ…肝心な原稿を書くことっす(苦笑)。
 取材して終わりやったらええのに。って、それでは仕事にならへんっちゅうねん!

 乞う御期待!!
 1日は24時間。最近、この感覚がよく分からない。
 異常に長く感じる時もあれば(まぁ、起きている時間が長い)、アッという間に終わってしまう(それなりに忙しく、やることが多い)時もある。体内時計が確実に狂っているうえに、ここ数日の冷え込み。そして、何よりも不摂生(飲み過ぎ…)。風邪の引き初めと言うか、プチダウン気味である(苦笑)。

 まぁ、早期回復の為、昨夜から安静に努めているので大丈夫やとは思うが。

***************
 今、日本の野球界は水面下で新しいアクションが起こっている。
 トップシークレット事項も多々あるので詳しくは書けないが、
「野球を愛している人間がこれだけいるんや」
 ということを改めて感じ、嬉しく思う。
 よく比較されることではあるが、サッカー界と違い、ピラミッド形成が出来なかった野球界。今、このアクションが一つの転機になるように期待したい。
 ただ、この様々なアクションがこれまでの野球界と同様、足並みが揃わなくては無意味になってしまう。
 尚、これは全てを一括りにすれば良いという訳ではない。それぞれが目指すものを失わずに、リンク出来る部分は積極的に結び付いて行けば良いのだ。蹴落とす必要はない。“共存共栄”というところがキーになるであろう。

 昨日、大家友和ベースボールクラブのF氏と大阪某所で会った。非常に有意義な時間であった。
 また、来週には“ミスター社会人”(N生命のS氏ではありません)と呼ばれた方とも会う予定がある。
 僕が出来る範囲で色々と知恵を絞り、協力したいものだ。

 まだまだ書きたいことはあるんやけれども…いかんせんプチダウン気味(苦笑)。しかも、原稿も仕上げなくてはならない(汗)。
 今日はこんなところで。

***************
 あくまでも個人的な見解ということで。

 まず、昨夜の『報道ステーション』での野球界を考える討論会。
 キャスティングうんぬんではなく、非常に中途半端な印象を受けた。尺(時間)の問題なんか? MC(古舘伊知朗の仕切り)のせいか?

 次にベイスターズの石橋貴明エグゼクティブ・アドバイザー就任。
 一体、何を望んでのこと? 得るものがあるとは思えん。一つあるとすれば、TBSのギャラ対策!? もしくは石橋サイドの新境地開拓の営業に乗ってしまった?
 

シグナル

2005年2月2日
 う〜ん…まだ少々、頭痛が残るものの体調は回復気味。

 僕は体調を崩す時、幾つかのシグナルがある。

 まずは頭痛。眉間近辺に鋭い痛みが走る。
 次に僕は喫煙者であるのだが…タバコを吸うと喉にニコチンが絡むとでも言えば良いのか、喉がベッタリとしたような感覚に。
 で、右目の上がピクピクと痙攣。放っておくと“目バチコ”(ものもらい、結膜炎)にまで進行。
 そして、トドメは口角(唇の端)が切れる。

 今回はこの症状が短いスパンで押し寄せて来たので、早急に安静を取った次第。

 このような時は…必要以上にビタミン補給(ビタミンの過剰摂取は無意味なのだが)して、メッチャ厚着で、ひたすら寝る。

 これを知っていると、知っていないではエライ違いがある。って、日頃の不規則かつ不摂生な生活がアカンのやけれども(苦笑)。

 酒席が多いのは仕方ないんですわ。(と言い訳もしておきまひょ)まぁ、反省して、今週はおとなしくしておきます。

 さぁ、原稿を片付けな!!
 突発的ではあるのだけれども。
 日頃、お世話になっている西宮の高校野球の監督・T先生の仲介で伊丹の高校野球の練習を今から観に行く。

 詳細は夜にでも。
 今日は日頃、お世話になっている市立西宮高の徳山学監督の仲介で伊丹北高の練習を見学して来た。

 自主練習に充てられていたのだが、逆に後藤博雄監督とゆっくり話すことが出来たのは良かった。

 尚、余談ではあるが、後藤監督は僕の高校時代の大野道夫監督と日本体育大で同期生。
 よくよく思い出してみれば、高校時代の神戸遠征で伊丹北と練習試合をしたなぁ。こういう繋がりがあったからなんやね。世の中、ホンマに狭いっす。
※僕が伊丹北高との練習試合で覚えているのは我が校の広池浩司(現・カープ投手)が先頭打者本塁打を右翼に放ったのと、伊丹北高の長見賢司(元・ライオンズ、投手→外野手)が凄かったことくらい。自身の記憶は一切ない(苦笑)。

 その他にもなぜかライオンズ編成・鈴木照雄の話し(素晴らしいスカウトだという話題)でも盛り上がった。

***************
 この伊丹北高にも女子高校球児がいた!それは山本夏穂内野手である。
 ノックやティー打撃を観たのだが、パワーもあるし、体のバランスも良い。力量・技量は間違いなく下手な(差別的な意味ではない)男子部員より上。現在、副将を務めているというのにも納得であった。
 ただ、日本高野連の規定で試合出場は不可なんやね…。山本もそれに関してはストレスを感じているようであった。

 ねえねえ、誰が野球は男だけのスポーツって決めたん?

 この辺、女子野球というフィールドに出合ってから、つくづく感じるナンセンスな規約である。

 練習の区切りが良いところで、山本から色々なことを聴く。そして、僕も色々なことを話した。非常に良い機会やったと思う。徳山監督、後藤監督に感謝。

 話しが終わり、周囲は真っ暗になっていたが、山本はこれからウェートトレーニングに励むと言う。後藤監督も
「ホンマにコイツが一番練習しますよ。根性ありますわ」
 と山本のことを評していた。

***************
 伊丹北高にはプロ注目の好投手もいる。廣谷勇人投手だ。
 182?・75?と体躯のバランスも良く、非常に腕の使い方が柔らかいという印象。MAXは140?とのこと。あとは重心移動が巧くなれば、もっと球速も球威も伸びるはずだ。(ちょっと左膝が割れると言うか、体重が乗るのが速い)

***************
 誠にありがたいことで…メッチャ忙しいです。でも、たくさんの人に会うことが出来、非常に実りがある。こういう時期を大切にしたいものです。

2/3日記の訂正

2005年2月4日
 昨日の日記に誤りがありました。
 訂正致しますと共に、深くお詫び申し上げます。

 長見賢司(元ライオンズ、投手→外野手)の出身校は

 ×伊丹北高
 ○伊丹西高

 であります。
 さらに補足しますと後藤博雄監督は当時、伊丹西高にて指導しておりました。

本日は草津GSへ

2005年2月5日
 本日は草津GSへ行って来た。
 大家友和投手(ナショナルズ)が地域に根差したベースボールクラブ運営を目指している草津シニアリトルパンサーズの練習を見学する為である。

 大家は勿論、ベースボールクラブの関係者と話す機会に恵まれて本当に良かった。
 また、大学野球の取材でよく顔を合わせていた立命館大のM君もシッカリ取材に来ていたので、これまた色々と話した。

 詳しく書きたいのだが…明日(6日)、明後日(7日)の僕の動きともリンクする部分があるので、まとめて書きたいと思う。

 取り急ぎ、こんなところで。
 昨日は関西の女子硬式野球クラブチーム・Blessの練習に参加。
 Bless昨夏に立ち上げたチームであり、僕もこの日記やHP『こちアマ』http://www.kochiama.com/で何度か取り上げてもいるが、まだまだ世間に存在をアピールすることがあまり出来ていないのが現状。
 ということで、練習前のミーティング…僕は自身の仕事柄の人脈なども最大限に駆使した一つのプランを提案。関西圏に女子が硬式野球をプレー出来るチームがあることを訴えると共に、ハード・ソフト両面の環境を整える動きを展開したいと思う。
 このBlessというチームがシッカリとした流れに乗ることは勿論、最終的には女子野球界の発展。そして、野球界全体の“底辺拡大”に繋がって欲しい。

***************
 練習の方には『こちアマ』の敏腕記者・松こと松倉雄太も見学にやって来た。カメラマンとしてバッチリ働いてくれた。
 僕は練習の手伝いということだが…あまり働いてないなぁ(苦笑)。ウォーミングアップ時にトレーニングのタイムを計ったりする程度。あっ、でも、小西美加投手の遠投相手やブルペン捕手としてはソコソコ頑張ったかな!?

***************
 今日は履正社学園コミュニティ・スポーツ専門学校の練習見学へ行って来た。
 今季よりチームを立ち上げ、日本野球連盟にも登録申請。社会人野球界に参戦という形を取る。
 監督はかつて“ミスター社会人”と呼ばれた西正文(元・大阪ガス)。ソウル・バルセロナ五輪で大活躍していたので、覚えているファンも多いのでは?
 光栄なことに僕は西と以前から面識があり、チーム立ち上げの話しも昨秋に聴いていた。そして、この度、練習を開始するということで《お時間があれば、是非、お越し下さい》と西から連絡を貰っていたのだ。

 部員は履正社学園コミュニティ・スポーツ専門学校で学ぶ生徒たちで総勢22名。(あと、女子マネージャーが2人)初練習ということで遠慮がちでやや元気には欠けたが、次第に声も出て来るようになる。野球が続けられる環境があることに喜びを感じている若い選手たちの姿に感動を覚えた。

 さらに感動したのは西の指導。決して、教え過ぎるということはなく、要所で的確なアドバイスを与えるのだ。
 言っていることも難しいことではないが、ホンマに“目からウロコ”であった。
《キャッチボールとトスバッティングは基本。慌てることなく。自分が巧くなる気持ちと相手も巧くさせてやるという気持ちを忘れないように》
《時間を費やすだけの練習は要らない。キャッチボールやトスバッティングが大事なのは一番簡単だと思われる練習で投げる形を作る、捕る形を作る。一番優しい球をシッカリとした形で打ち返す》
《守備で右側の打球を処理する時は右足を運ぶように。運んでも右足が引けるような形になるならば、無理しないでワンハンド(逆シングル)で処理するように》
 などなど。
 これらを身振り手振りを交えながら、非常に分かり易く説明していたのが印象的だ。
 尚、右側の打球を処理する際のことを西に詳しく尋ねると
「まぁ、合っているとか間違っているとかじゃなくて、指導者によっては体の正面で処理しろという考え方もあるとは思うけど。無理に正面でクリアしようとすると、衝突してしまったり窮屈になったりするじゃないですか。確かに正面で処理しようという体の使い方や足の運びも大事だけど、試合で大事なのは一つのアウトを取ること。それとグラブの方が先に届くでしょ。お父さん、お母さんが汗水垂らして、せっかく4〜5万円もするグラブを買ってくれたんやから使わないとね(笑)」
 とこれまたボディアクション付きで丁寧に応えてくれた。また、その他にもたくさんの話しをしてくれて大収穫。多謝である。

 それにしても…西の素晴らしい指導が受けられる部員たちが羨ましいと思うのは僕だけではないはずや。

 尚、西は…僕が先週訪れた伊丹北高の後藤博雄監督の教え子でもある。ホンマ、色々なところで繋がってまんなぁ。

***************
 2/5(土)大家友和ベースボールクラブ
 2/6(日)女子硬式野球クラブチームBless
 2/7(月)履正社学園コミュニティ・スポーツ専門学校

 目が回るくらい忙しかったが、色々な人と濃い話しがたくさん出来て充実していた。

 現在、プロアマ問わずに野球界には大きな波が来ている。
 新聞・テレビなどで既報の動きは勿論のこと、水面下でもBIGプロジェクトが様々なブレーン、組織をバックにして進んでいるのである。現時点でここに書けないのが残念。機密事項やから。って、なんで僕が知ってんねん(苦笑)…まぁ、日頃の取材力・人脈でしょうなぁ!???

 とにかく、みんな野球を心の底から愛していて、どうにかしたいという気持ちを持っていて、実行に移し始めたのは事実。しかも従来の“くだらないシガラミ”に縛られていないのは良いことのようにも思える。
 日本の野球界はピラミッドが作れなかった。これからも恐らく、悲しいかな作れないであろう。その結果、表現が適切かどうかは分からないが…これからはプロレス界のような“インディーズ団体乱立”のような形になることも予想される。そこでポイントとなるのは前にも書いたけれども、蹴落とすのではなく、共存共栄という意識。運営する組織・団体が異なったとしても接点があれば、積極的に繋がりを持つべきなのである。それが野球界全体の“底辺拡大”になるんやから。少し時間は要するかも知れないが、野球界で“スタンダード”や“本流”なんて考え方はナンセンスになるだろう。

 この3日間、出会った人たちもこの僕の主張に耳を傾けてくれたところがあるように感じている。全ては受け入れて貰えなくても、少し理解して貰えただけでも幸いだ。
 まぁ、僕は大それたことは出来へんので(笑)。スポーツライターという仕事を通して、野球を愛してやまないみんなの“橋渡し”を。ちょっとでも役に立てるように活動して行きたい。
 本日は加藤学投手(関西学院大)の取材へ行く。
 雨天であった為、練習が予定より早く終わり、大学の正門前にある『カウカウ』でユックリと話しを聴くことが出来た。
 この取材は『大学野球 増刊号』(ベースボール・マガジン社)とHP『こちアマ』http://www.kochiama.com/に反映させます。

***************
 体調が芳しくない…一昨年秋の肺炎時よりはマシやけど。
 皆様もお体御自愛下さい。
 本日は龍谷大の瀬田Gへ。大型左腕・井村裕介投手の取材である。

 偶然、第6期女子硬式野球日本代表でもあり、Blessの小西美加投手がキャンパス内で練習(ソフトボール部)をしていたようで、最寄駅のJR・瀬田駅まで車で迎えに来てくれた。ドーモありがとう♪

 これまでにもリーグ戦時などにも何度か井村の話しを聴いたことがあるのだが、非常に“ざっくばらん”なトークで楽しい取材であった。

 また、椹木寛監督、柳瀬明宏投手とも話すことが出来て、ホンマに有意義であった。

***************
 明日は関西大へ取材。夕方からは関西テレビにて『野球狂のネタ6』の構成会議もある。今から取材準備と構成会議の宿題をせなアカンっ!!
 2/10(木)
 取材…岩田稔投手、田辺真悟捕手(関西大・高槻G)
 会議…『野球狂のネタ6』(関西テレビ)

 2/11(金)
 取材…関西国際大(三木)

***************
 こう書くとそうでもないんやけれども、それなりに忙しくて、濃密な2日間であった。
 この土・日は原稿執筆に専念するので家にカンヅメの予定。日記も改めて書きますぅ(苦笑)。
 2月10日
 前夜からの雨は降り止んでいたけれども、少々ぐずついた空模様。この日はプロ注目左腕・岩田稔投手と期待のルーキー・田辺真悟捕手の取材で関西大・高槻Gへ向かう。
 10:00に阪急・高槻市駅でカメラマン・Mと待ち合わせ。Mとはベースボール・マガジン社の仕事では初めてのコンビになるが、以前に集英社の仕事で一緒になったことがあるし、同い年でもある。
「敬語はやめようや」
 という“お気楽モード”(笑)で高槻Gに到着した。

 まずは明徳義塾高時代に4回甲子園出場。甲子園優勝投手の兄・田辺佑介の後を追い、今春より関西大に入学する田辺真悟捕手の取材。
 前日から関西大の練習に参加したばかりということもあって、やや緊張気味ではあったが、シッカリと受け応えしてくれた。
 明徳義塾高の3年時は外野なども守っていたが、関西大では捕手でやって行きたいという意向。関西大を率いる高岡淳監督も
「まだ粗いところはあるけれども期待している。兄弟バッテリーですか? 2人がちゃんとやってくれれば早い時期にあり得る話し」
 とコメント。
 新3回生になる兄・田辺佑は
「来るな!とは言ったんですけどねぇ(笑)。普通は弟の方が嫌がると思うんですけど。何か自分も恥ずかしいですし。ただ、弟も入って来たし、今年はちゃんと結果も残したい」
 と大きな刺激を受けているようであった。
 尚、高岡監督に“佑介”と呼ばれることに関しては
「今まで“田辺”でしたからね。ビックリしましたよ(笑)」
 ちょっと戸惑いを見せていた(笑)。

 続いて岩田の写真撮影。
「試合中、知らん間に撮られるのとは違いますよね。何か笑っちゃいます」
 とカメラマン・Mの注文でポーズを取る度、岩田は照れまくっていた。

 岩田とは正月明け早々にもインタビューをしていたので、雑談のような形。(いつもやん!?)
 現況や、これからの調整に関して話して貰ったのだが、大半はグラブについての話題になってしまった(笑)。
 写真撮影時に気付いたのだが、岩田の使用しているS社のグラブは投手用としては非常に小さいタイプなのである。
「高校時代からズーッとこれです。黒木さん(知宏投手、マリーンズ)モデルで手形も取ってないんで大きさも全く同じやと思います。右用と左用が違うくらいでしょうね」
 とのこと。尚、今季はこの黒木モデルをベースにした新しいグラブを発注。
「まだ届いていないんですけど、メッチャ楽しみにしています」
 と野球を始めたばかりの少年のような笑顔の岩田であった。

 その後、高岡監督と食事をしながら色々な話しを聴く。そして、午後の練習をしばし見学。

 僕が関西学院大OBということもあるのだろうが、関西学生リーグは“関関”に盛り上がって貰いたいという想いが心のどこかにあるのは正直なところ。
 特に好素材が集う関西大。SF(スポーツ・フロンティア)入試制度も3年目を迎えた。是非、頑張って欲しい。
 その中で僕が気になる選手は…小柄ながらパワフルな打撃が売りの瀬口大内野手。プレーは勿論、非常に愛嬌のある子でいつもニコニコしているので、僕もつい話し掛けてしまうのだ(笑)。
 2月11日
 今春より阪神大学リーグ一部昇格。関西国際大の取材へ三木Gに足を運ぶ。

 幼稚園、専門学校などを母体として関西女学院短期大学に。そして、98年に関西国際大学として開学した新しい大学である。

 野球部創部は98年で、阪神大学リーグには01年に加盟。
 02年に元ブルーウェーブ球団代表の井箟重慶が経営学部教授に就任したことが契機となり、野球部の活動に力を入れるようになった。
 03年より鈴木英之(PL学園高−駒澤大−神戸製鋼)が監督就任。翌04年には山野司(PL学園高−近畿大−三菱重工神戸)もコーチに就任して、早々に三部リーグ→二部リーグ→一部リーグとスピード昇格を果たした。そして、05年からは野村昌裕(高塚高−神戸製鋼−三菱自動車岡崎)が投手部門を指導することになり、さらなる飛躍が期待されるチームである。

 指導者が輝かしい球歴を持っているという予備知識は持っていたが、関西国際大はそれだけに頼っていないというのが練習を観て、すぐに感じ取ることが出来た。
 確かに指導者の“引き出しの多さ”はある。選手の個性を活かした指導法。ただ、本当にチームとしての基本が叩き込まれていると言うか、当たり前のことを当たり前にプレー出来るのは強味。
 鈴木監督は
「ウチなんかまだまだですよ」
 と謙遜していたが、大学野球の練習でこんなに良い練習を観たことがない。目的がハッキリしていて、効率が良くて(メイングラウンドのすぐ横にサブグラウンドやブルペンが隣接しているという好環境もある)、各々の選手が一つの練習メニューを通じて成長している。日頃は東京での活動がメインのカメラマン・K氏も
「こんな素晴らしいチームはないですよ。強くなりますよ」
 と大絶賛。
 部員が新1回生も含めて90名という大所帯であるが、グループ別(1軍とか2軍とかではない)で全部員がノックを受け、バッティングをして、ピッチングをして…と区別もされていない。
 そして、挨拶などの礼儀が徹底されているのだが、選手と首脳陣の間でもコミュニケーションがシッカリと形成。時には笑いもあって、“緊張感”と“和気藹々”のバランスが非常に良い。首脳陣も選手によく声を掛けていたし、選手も積極的に首脳陣にアドバイスを求めていた。
 個人的に感心したのは、打つ本数・回数の決まっているバッティング練習でも選手が
「もう1回打ちたいんですけど、宜しいでしょうか」
 と山野コーチにアピールして、それが認められていたところ。通常ならば
「自主練習で打っておけ」
 とか言われそうだが…“鉄は熱いうちに打て”と言ったところか。勿論、その選手は全体練習が終わった後も自主練習で打ち込んでいた。

 新進校で力量的に飛び抜けた選手がいる訳ではない。でも、キラリと輝く選手もたくさんいた。それは鈴木監督をはじめ、首脳陣の技術的なところだけでない野球に対する考え方が浸透しているからであろう。

 鈴木監督から色々な話しを聴くことが出来た。野球というスポーツの持つ魅力を改めて感じた次第。そして、
「簡単に1部では勝たせて貰えないですよ。そんなに甘い世界ではない。でもね…」
 という言葉が印象的だ。

 近い将来、関西国際大は関西だけに留まらず、大学野球界で名を轟かすに違いない。それだけの何かを持っている、目指しているチームである。自信を持って、断言しておこう。
 2月10日
 関西大の取材を終えて、大阪・梅田へ。で、ちょっと時間を潰して、テクテクと歩いてメディア・プルポ(兎我野町)まで。構成会議に出席する為である。
 一部熱狂的マニアに支持されている!?“伝説の番組”!?『野球狂のネタ』(関西テレビ)のパート6が3月下旬(詳細はまたの機会に)にOA決定!!(足掛け5年で6回目のOA。SP番組でもないし、OAも不定期。こんな番組ありまへん)
 しかも今回は本編(60分)の1週間前に事前番組(60分)があるうえに携帯サイトとも連動。内容はさらに濃密になること必至。ホンマ、関西ローカルなんが勿体ないくらいっす(笑)。まぁ、レギュラー化や全国ネットになったら、ある意味で大変やけどねぇ(爆笑)。

 ロケ地(球場)も決まり、出演者もほぼ固まる。さぁ、あとはスタッフ(通称・野球様)が楽しみながら、どんな番組に仕上げて行くか。乞う御期待!!

 僕は基本的に楽しい仕事ばかりしているんやけれども、この『野球狂のネタ』に勝るものはないでしょうな。メインMCのますだおかだが
「僕らの“ミャーン旅行”♪(正しくは“慰安旅行”)」
 と言えば、制作を取り仕切るメディア・プルポM氏も
「魂の第一回選択希望選手♪(正しくは“魂の洗濯”)」(こんなことは言ってないかぁ)
 と力強く語る。
 第一回目の構成会議も会議じゃなくて各人の“ネタ出し大会”及び“脱線ゲーム”やったもんなぁ(苦笑)。

 まぁ、何はともあれ、
 野球狂の 野球狂による 野球狂の為の 『野球狂のネタ6』

 楽しみにして戴ければ幸い。

(苦笑)ばかり日記

2005年2月16日
 2/14(月)
 朝一番の新幹線で東京入り(仕事)。
 夜は甲子園出場経験もある元社会人野球プレーヤー・Y君、松井稼頭央内野手(メッツ)とPL学園高野球部で同級生・T君、JABAでアナウンスをしているMちゃんらが取り仕切る西麻布の『鉄腕』で楽しくアホ飲み(苦笑)。

 2/15(火)
 僅かな睡眠時間(恵比寿のカプセルホテル泊)で…品川駅から新幹線に飛び乗り、京都へ向かう。
 そして、京都産業大で平野佳寿投手と市来悟内野手の取材。勝村法彦監督からも色々と話しを聴くことが出来てありがたい限り。
 尚、今回もカメラマンは同い年のM君。やや“お気楽モード”やった(苦笑)。
 西宮に戻って来て、行きつけの『番馬亭』でざるそばを食べ、帰宅後は当然のように爆睡。10時間も寝てしまった(苦笑)。

 で、本日は同志社大へ。雨、降り止むかいな???

***************
 毎年、無縁という言葉が当てはまりそうなバレンタインデー。
 でも、今年は結構、チョコレートやプレゼントを頂戴した次第。
 ホンマに、ホンマにありがとうございました。
 この場を借りまして、感謝と御礼申し上げます。

本日の予定変更

2005年2月16日
 同志社大へ取材へ出掛ける予定であったが。ワガママを言うて、明後日に変更して貰う。理由は悪天候の為。せっかくなのでグラウンドでの練習も観たいからだ。

 先週から取材で走り回っているが、全く原稿を書いていないっ(大汗)。ということで…取材内容を整理して、原稿を書き始めることにしませう。

取り急ぎ、秘密のみ

2005年2月17日
今日は取り急ぎ、秘密のみで。
 2月18日。
 前々日が悪天候であった為に取材日を変更して貰った取材。が、この日も午後から雨…という予報。部屋の窓から空を見れば、案の定、灰色の空が今にも泣き出しそうだ。
 しかし、また予定を変える訳にも行かない。天候が持ち堪えることを祈りながら、京田辺の同志社大グラウンドへ向かった。
 JR同志社前駅。確かに“前”ではあるんやけれども、結構、歩くんやなぁ(苦笑)。特に野球部のグラウンドは正門から入って、校内敷地の最も奥になる。しかも緩やかな上り坂が続く。ある意味、坂路調教ですわ(笑)。まぁ、夏場ではないので、体が温まって良い感じという解釈で(笑)。

 練習開始時刻(13:00)より少しばかり早く到着したので、寮の応接室でコーヒーをごちそうになる。最近、カフェイン摂取量が異常に多いのだが、目の前にあると…ついついガブ飲みしてしまう(苦笑)。
 吉川博敏監督に挨拶を済ませ、改めてグラウンドへ。吉川監督と色々と世間話しをしていると、スポーツニッポンの敏腕記者・Y氏も現れる。僕は荒川智則内野手の取材がメインであったのだが、Y氏は尾上幸也内野手の取材だとのこと。

 ウォーミングアップ→キャッチボール→トスバッティング→シートノック→フリー打撃とオーソドックスな流れの練習を寒さと格闘しながらも熱心に観る。Y氏は腰にカイロを貼り、ポケットにもカイロと用意周到。さすがやね。
 フリー打撃の途中、許可を得て、荒川のインタビューを行う。長?勇樹主務からは
「荒川は人見知りしますし、あんまりトークは得意じゃないと思います」
 と事前に聴いていたが、荒川はハキハキとあらゆる質問に応えてくれた。せやけど、僕と荒川は年齢が一回り(12歳)違うんやね。干支が一緒やもん(苦笑)。

 荒川は大学野球生活1年目を終えて、リーグ戦通算27安打。春は藤田一也(近畿大、現ベイスターズ内野手)と首位打者争いを演じ(結果は打撃成績2位)、秋は負傷(練習中、打撃投手を務めていた際にライナーを側頭部に受ける)で丸々1節休んでいたことも考慮すれば、素晴らしい数字である。
「そうですね。その記録は当然、意識しています」
 田口壮(関西学院大出身、現カージナルス外野手)の持つリーグ戦通算123安打という関西学生の連盟記録を塗り替える可能性も秘めているのだ。

 まぁ、詳細は3月下旬〜4月上旬発売予定の『大学野球 増刊号』(ベースボール・マガジン社)にて。
 
***************
 只今、今週2回目の東京滞在。
 明日はウェルネス レディース(女子硬式野球クラブチーム)の入団トライアウトを観て来ます。

“腐った”気持ち

2005年2月23日
 ドーモです。
 大阪⇔東京が多い今日この頃。“貧乏ナンチャラ”で忙しい日々であります。

 色々と書きたいこともあるんやけれども。今日は日記のタイトル通りに“腐った”気持ちということで。

***************
 僕の人生…失敗ばかり。冷静にならずとも振り返れば、その一言に尽きる。

 でも、最近はこう思うようにしている。例え、その時は苦いだけの事象であっても
「こういうことを経験して良かった」
「ああいうことがあって良かった」
(まぁ、ある人の受け売りなんやけれども)
 ってな具合に。とても楽観主義者のように思えるけれども。

 世の中で最も愚かなことは憎み合うこと。他人のことを悪く言うことやと僕は思っている。

 これを引きずったら、最低の極み。そして、必要以上に自己悲観に浸るのも良くない。だって、それは一番、簡単な“逃げ道”やから。

***************
 自分自身で言うのもおかしな話しやねんけれども。僕は野球選手として…高校生の頃までは有望な選手やったかも知れない。詳細は省くが、大学進学後は思いっ切り“腐った”。そして、当時はそれを他人のせいにしていた。
 時が流れて、その愚かさに気付かされる。やっぱり、僕自身が甘かったことに。無理なことやと分かっていても、やり直したい気持ちも生まれて来る。

 現在、何故なのかスポーツライターという職業を生業としている。端目から見れば、華やかな世界やと錯覚されがちやけれども、現状はそうでもない。
 確かに、華やかな世界の側面に触れることは出来る。でも、それだけでないのも現実。僕のように“腐っている選手”にも触れる機会は非常に多い。
 僕自身が“腐った”からではないが、僕なりに“腐った”者の気持ちは理解出来るところがある。
“腐った”という表現に語弊があるかも知れない。その場の“快楽”を優先してしまうところは若気の至りであることだ。
 それは“腐らない”方が良い。でも、それは仕方のないこと。自己防衛ではないが“腐る”にも様々な理由と背景があるんやから。ただ、簡単に“腐る”のは良くない。それは僕自身が経験しているから分かること。

 この数日。実に色々な人間と会い、話す機会があった。場合によっては僕の主張も通していることもある。そして、その時に感じたこと。
「あぁ、僕は“腐った”ことがあるから、こういうことが言えるんや。こういう仕事が出来ているんや」
 って。

“腐る”よりは“腐らない”方がええに決まっている。が、“腐る”ことで学ぶこともたくさんある。僕はそう思っている。

 過去も大事なことやけど、現在、未来へと繋げることの方が大事。都合がええ考え方かも知れへんけれども、過去は“水に流せる”こともあるんやから。“腐った”だけでは終わらん…“転んでもタダでは起きない”。そのような精神を持っていれば。絶対にええことありまっせ!
 僕はそう信じて生きて行きたい。

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