ミズノ大阪本社へ

2004年12月5日
 仕事でミズノ大阪本社(南港/コスモスクエア)へ行く。
 WTCのすぐ近くで超高層ビル。それにしても…南港は空地が多く、一昔前の台場みたいやけれども。これ以上、開けなそうな気がするのは僕だけやろうか!???

 28階の一室で宮本慎也内野手(スワローズ)と小笠原道大内野手(ファイターズ)のインタビュー。あと、石川雅規投手(スワローズ)とも少し話しをする。

「ウチは若い選手が多いから(笑)」
 と前置きしながらも、宮本の話し方や内容はとても若々しい。また、同志社大時代の思い出話しなどもしてくれたのは嬉しかった。

 小笠原は印象通り、まさに“漢”といった感じ。プロ意識も高く、一言に重みがある。僕と年齢が一緒やのにエライ違いやった(苦笑)。

 石川は見たまんまの好青年。今回の取材は撮影もあったのだが、パーカーとスエットがよく似合うっ!

 御存知の通り、この3選手は五輪経験者。宮本、小笠原はアテネ。石川はシドニーである。その辺の話しも色々と聴きたかったんやけれども、今回の取材の主旨からは外れてしまうので聴けず…残念。
 昼過ぎからシトシトと小雨が降りしきる。
 僕は身支度を整え、家を出る。駅へ向かう途中、花屋に寄る。そして、行きつけのカレー屋でビーフシチューを食べた。

 阪急・宝塚駅で近間康隆、篠原力(共に大学野球部同期)、田代孝之(3学年後輩)と待ち合わせ。少し遅れてから貴戸祐一(同期)も合流。5人は元・敏腕主務の近間のメールで集まったのだ。
 近間は人を集める才能に長けている。ただ、自分自身で指定した約束時間に必ず遅れるという“得意技”も持っている(笑)。この日も待ち合わせ時間に遅れたが、今さら文句を言う気にもならん(苦笑)。

 近間が僕らを集めた目的は墓参り。12月4日は…大学時代、みんながお世話になった大塚公二の命日であった。

 大塚は関西学院大硬式野球部のOB。僕らが大学生の時は関西学生リーグの審判員を務めていたし、練習や合宿にもよく顔を出した。
 大塚の愛称は“チャップ”。なぜ“チャップ”だが理由は知らないけれども、誰もが“チャップ”と呼んでいた。
“チャップ”は物凄い体が大きかった。うん、実に横に大きい人であった(笑)。推定体重130????吸っていた煙草(ショートホープ)がより小さく、短く見えたのが印象深い。

 僕は“チャップ”にとても可愛がって貰った。グラウンドでは勿論であったが、夜のクラブ活動で重点的に(爆笑)。
 当時、携帯電話は普及していなかったので、
「家でダラダラしてるんやろう。思う存分に飲ませてやるからすぐに来い」
 と、よく家に電話が掛かって来たもの。僕も従順なので、すぐに駆け付ける。で、朝までというのが日常茶飯事であった。ホンマ、翌日の練習はシンドかったなぁ…僕が大酒飲みになり、野球で成功しなかったのはきっと“チャップ”のせい!?
 まぁ、冗談はさておき、僕は“チャップ”から酒の飲み方やトーク、礼儀をミッチリと叩き込まれたのだ。(それでも無礼者やけど…)

“チャップ”がこの世を去ったのは…僕がサラリーマン1年目であった。46歳という若さでの突然の訃報にはただ驚くしかなかった。
 仕事の都合で葬儀には参列出来ず、弔電を打つことしか出来なかった。あんなに可愛がって貰ったのに、我ながらホンマに無礼な後輩である。

 あれから7年。僕はやっと“チャップ”の墓前に立つことが出来た。そして、既にたくさんの花で溢れている墓が“チャップ”の生前の人柄を表しているようにも思えた。
 僕も花を添え、“チャップ”が愛煙していたショートホープを供える。他のみんなもウィスキー、日本酒、ビールを墓石に掛ける。近間はアテの魚肉ソーセージまで用意していた。
「チャンポンやなぁ(笑)。きっと“チャップ”も喜んでるわ」
 ちょっと遠慮気味にみんなで笑いながら、傘を地面に置き、手を合わせる。シトシト降る雨も“チャップ”を偲んでいたんかな。
 時間にして数十秒。キチンと整理出来なかったけれども、僕は“チャップ”に感謝の言葉と、これまで墓参りに来なかったことをひたすら詫びる。体の良い自己満足かも知れないが、心のつっかえが少し取れたような気がする。今後もちゃんと足を運ばなくてはな。

 墓参りを終え、近間、篠原、田代の4人で甲東園の焼鳥屋・鳥居へ。(貴戸は用事があるので帰った)
 懐かしい味に舌鼓を打ち、バカ話しで盛り上がる。う〜ん…酔っ払った(苦笑)。

 帰りの電車の中。“チャップ”が酒場で見せていた屈託のない真ん丸な笑顔を思い出した。雨はまだ止んでいなかった―。
 前日は深酒したにも関わらず、6時前に目が覚めた。目覚まし時計が鳴る前に起きるようになったのは年齢のせいか!?(まぁ、単に飲み過ぎて、喉が渇いて起きた…と思う)

 大阪某所にて、ミズノの依頼で“ハマの番長”こと三浦大輔投手(ベイスターズ)のインタビュー。
 三浦はトレードマークでもあるリーゼントをバシッと決めて登場。シャツ、パンツは黒で、ポイントになるシルバーのアクセサリー(リングやネックレス)も実に映えていた。

 このようにハード系のいでたちの三浦であったが、とても誠実で、ファン想いの心優しい好漢。当然、野球に対する愛情も存分に伝わって来た。
 また、『48年会』同士ということもあり、親近感が湧いた!?三浦がざっくばらんに応じてくれたのはありがたかった。

 詳しいことは明日の日記で書きたいと思うが、“ハマの番長”と言うよりは“ハマの学級委員長”の方が当てはまりそうな印象を受ける。とにかくナイスガイであった。

“ハマの番長”誕生秘話をはじめ、明日の日記を楽しみにして戴けると幸い。

 三浦の公式HP『Baseball Net Club』http://daisuke18.com/も必見!
 

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