ミズノ大阪本社へ

2004年12月5日
 仕事でミズノ大阪本社(南港/コスモスクエア)へ行く。
 WTCのすぐ近くで超高層ビル。それにしても…南港は空地が多く、一昔前の台場みたいやけれども。これ以上、開けなそうな気がするのは僕だけやろうか!???

 28階の一室で宮本慎也内野手(スワローズ)と小笠原道大内野手(ファイターズ)のインタビュー。あと、石川雅規投手(スワローズ)とも少し話しをする。

「ウチは若い選手が多いから(笑)」
 と前置きしながらも、宮本の話し方や内容はとても若々しい。また、同志社大時代の思い出話しなどもしてくれたのは嬉しかった。

 小笠原は印象通り、まさに“漢”といった感じ。プロ意識も高く、一言に重みがある。僕と年齢が一緒やのにエライ違いやった(苦笑)。

 石川は見たまんまの好青年。今回の取材は撮影もあったのだが、パーカーとスエットがよく似合うっ!

 御存知の通り、この3選手は五輪経験者。宮本、小笠原はアテネ。石川はシドニーである。その辺の話しも色々と聴きたかったんやけれども、今回の取材の主旨からは外れてしまうので聴けず…残念。
 昼過ぎからシトシトと小雨が降りしきる。
 僕は身支度を整え、家を出る。駅へ向かう途中、花屋に寄る。そして、行きつけのカレー屋でビーフシチューを食べた。

 阪急・宝塚駅で近間康隆、篠原力(共に大学野球部同期)、田代孝之(3学年後輩)と待ち合わせ。少し遅れてから貴戸祐一(同期)も合流。5人は元・敏腕主務の近間のメールで集まったのだ。
 近間は人を集める才能に長けている。ただ、自分自身で指定した約束時間に必ず遅れるという“得意技”も持っている(笑)。この日も待ち合わせ時間に遅れたが、今さら文句を言う気にもならん(苦笑)。

 近間が僕らを集めた目的は墓参り。12月4日は…大学時代、みんながお世話になった大塚公二の命日であった。

 大塚は関西学院大硬式野球部のOB。僕らが大学生の時は関西学生リーグの審判員を務めていたし、練習や合宿にもよく顔を出した。
 大塚の愛称は“チャップ”。なぜ“チャップ”だが理由は知らないけれども、誰もが“チャップ”と呼んでいた。
“チャップ”は物凄い体が大きかった。うん、実に横に大きい人であった(笑)。推定体重130????吸っていた煙草(ショートホープ)がより小さく、短く見えたのが印象深い。

 僕は“チャップ”にとても可愛がって貰った。グラウンドでは勿論であったが、夜のクラブ活動で重点的に(爆笑)。
 当時、携帯電話は普及していなかったので、
「家でダラダラしてるんやろう。思う存分に飲ませてやるからすぐに来い」
 と、よく家に電話が掛かって来たもの。僕も従順なので、すぐに駆け付ける。で、朝までというのが日常茶飯事であった。ホンマ、翌日の練習はシンドかったなぁ…僕が大酒飲みになり、野球で成功しなかったのはきっと“チャップ”のせい!?
 まぁ、冗談はさておき、僕は“チャップ”から酒の飲み方やトーク、礼儀をミッチリと叩き込まれたのだ。(それでも無礼者やけど…)

“チャップ”がこの世を去ったのは…僕がサラリーマン1年目であった。46歳という若さでの突然の訃報にはただ驚くしかなかった。
 仕事の都合で葬儀には参列出来ず、弔電を打つことしか出来なかった。あんなに可愛がって貰ったのに、我ながらホンマに無礼な後輩である。

 あれから7年。僕はやっと“チャップ”の墓前に立つことが出来た。そして、既にたくさんの花で溢れている墓が“チャップ”の生前の人柄を表しているようにも思えた。
 僕も花を添え、“チャップ”が愛煙していたショートホープを供える。他のみんなもウィスキー、日本酒、ビールを墓石に掛ける。近間はアテの魚肉ソーセージまで用意していた。
「チャンポンやなぁ(笑)。きっと“チャップ”も喜んでるわ」
 ちょっと遠慮気味にみんなで笑いながら、傘を地面に置き、手を合わせる。シトシト降る雨も“チャップ”を偲んでいたんかな。
 時間にして数十秒。キチンと整理出来なかったけれども、僕は“チャップ”に感謝の言葉と、これまで墓参りに来なかったことをひたすら詫びる。体の良い自己満足かも知れないが、心のつっかえが少し取れたような気がする。今後もちゃんと足を運ばなくてはな。

 墓参りを終え、近間、篠原、田代の4人で甲東園の焼鳥屋・鳥居へ。(貴戸は用事があるので帰った)
 懐かしい味に舌鼓を打ち、バカ話しで盛り上がる。う〜ん…酔っ払った(苦笑)。

 帰りの電車の中。“チャップ”が酒場で見せていた屈託のない真ん丸な笑顔を思い出した。雨はまだ止んでいなかった―。
 前日は深酒したにも関わらず、6時前に目が覚めた。目覚まし時計が鳴る前に起きるようになったのは年齢のせいか!?(まぁ、単に飲み過ぎて、喉が渇いて起きた…と思う)

 大阪某所にて、ミズノの依頼で“ハマの番長”こと三浦大輔投手(ベイスターズ)のインタビュー。
 三浦はトレードマークでもあるリーゼントをバシッと決めて登場。シャツ、パンツは黒で、ポイントになるシルバーのアクセサリー(リングやネックレス)も実に映えていた。

 このようにハード系のいでたちの三浦であったが、とても誠実で、ファン想いの心優しい好漢。当然、野球に対する愛情も存分に伝わって来た。
 また、『48年会』同士ということもあり、親近感が湧いた!?三浦がざっくばらんに応じてくれたのはありがたかった。

 詳しいことは明日の日記で書きたいと思うが、“ハマの番長”と言うよりは“ハマの学級委員長”の方が当てはまりそうな印象を受ける。とにかくナイスガイであった。

“ハマの番長”誕生秘話をはじめ、明日の日記を楽しみにして戴けると幸い。

 三浦の公式HP『Baseball Net Club』http://daisuke18.com/も必見!
 

お花よりも尾花

2004年12月6日
 本格的な日記!?は夜に書くことにして。

 本日、『笑っていいとも!』(12:00〜、フジテレビ系列)にますだおかだが出演する。

 日記の愛読者はすぐにピーンと来るだろうが、ますだおかだとは『野球狂のネタ』(関西テレビ)などで仕事をしたことがあり、親交がある。
 特に増田英彦とはメールのやり取りもさせて貰い、テレビで観ることの出来ない一流のネタを楽しむという最高の贅沢を味わっている次第。

 先週末もメールのやり取りがあった。
 まぁ、『笑っていいとも!』出演に関する話題がメインで、『野球狂のネタ』からも花が届くのでは。不定期特番ゆえに番組のアピールをお願いします。という内容に対して
《お花よりも尾花の方が目立つかも知れません》
※尾花…尾花高夫(ホークス)投手コーチ
 とまさに『野球狂のネタ』的な増田の切り返し(爆笑)。

 さぁ、今日のアルタに尾花は届いているんかな?(あり得へん)

 そして、次回の『野球狂のネタ』(実現すれば6回目のOA)はいつなのか?
“ハマの番長”こと三浦大輔投手(ベイスターズ)は昨日の日記にも書いた通り、あまりにもハードなルックス&スタイルなので…内心、僕も少しばかりビビっていたのだが。非常に物腰が柔らかく、応対も丁寧。
 まぁ、僕も一番最初に“48年会”(同級生)であることをアピっておいたし、偶然にも僕の中学・高校の後輩・松井朋(NHK)がベイスターズ担当。三浦のインタビューは事前から決まっていたので
「ヨロシク言うといてくれよぉ」
 と松井には伝えておいた。
 そのことも確認すると、三浦は
「ゴルフの時に聴いていましたよ」
 と言っていたので、松井はシッカリと任務を遂行していた。良く出来た後輩だ(笑)。

“48年会”同士と言えども、互いに面と向かって話しをするのは初めて。ましてや僕は取材者なので“タメ口”は叩けない。せやけど、“48年会”と言うてる以上、僕がかしこまりすぎても三浦が困るだろうと思ったので。極力、堅苦しくならないようには心掛けた。その辺も三浦は頭の回転が早く、察知してくれたようだ。砕け過ぎない範囲でフレンドリーに接してくれたのはありがたかった。

 取材内容(依頼主・ミズノ)に関してはこれから仕上げなくてはならないので、あまり触れられないが…三浦はまず企画力がある。ミズノの用具担当社・田中隆一も
「本当に色々な感想や新しいアイデアもくれるんですよ。スタッフ会議にもアドバイザー契約を結んでから、6年間、皆勤賞ですし。ありがたい限りです」
 と三浦をベタ誉めしていた。時にはアイデアをイラストに描いて、FAXとかも送ってくれるらしい。
「いやいや、デザインなんて…人に見せられるもんちゃうけど。ホンマ、落書きレベル」
 と三浦は謙遜していたが、選手の“生の声”であることに間違いはない。メーカーとしては貴重なものであろう。

 また、セルフ・プロデュースにも長けている。極端に言えば、トレードマークであるリーゼントもその一環だと思っても良いのでは。
 公式HP『baseball Net Club』http://daisuke18.com/も同様だ。
 まぁ、この辺は親交のあるプロレスラー・蝶野正洋などからも吸収しているようでもあった。

 そして、何よりも感心させられたのが、ファンを大事にすること。
「何か出来へんかなってね。特に子供たちには。まぁ、成績で応えるのが一番なんやけど」
 と真剣な眼差しで語る三浦。今年からは自腹を切って、“三浦モデル”(軟式少年用)のグラブを購入。それをベイスターズの主催試合(70試合)で1試合2個ずつ(小学生以下、抽選)プレゼントしていると言う。
「やっぱり、グラブって嬉しいでしょ。僕も親に買って貰って、大事にしたよ。今でもあのドロース(手入れ用油)の匂いを嗅ぐと、野球を始めたばかりの頃を思い出すもん。で、試合前に抽選の結果がバックスクリーンに出るんだよね。始めたばかりの頃は110番、120番とかだったのが、シーズン終盤には440番、450番って。結構、評判良いみたい。球団からも『もっとやってくれ、プレゼントの数を倍にしないか』って。『じゃあ、購入費を半分、持って貰えるんですか?』って聞いたら『いや、それは…』って(爆笑)」

 新潟県中越地震の被災者にも自費で食糧を送った。また、近々、投手陣を引き連れて、ボランティア(球団の了承済み)で野球教室も開催すると言う。
「球場に招待するってのも良いんやけど、こういう時期に家を空けるのも不安でしょ。じゃあ、僕らが行けば良いやって」
 ホンマに心の温かい選手であった。

 その他にも少年時代の思い出話し、ベイスターズ選手会副会長として考えること、アテネ五輪、球界再編、プレーオフなどについても熱く語ってくれた。そして、また、話しは戻って(インタビューは終わったのだが、コーヒーを飲みながら)
「こんなファンサービスって出来へんのかなぁ?」
 と色々なアイデアを出したり、求めたり。
「完成形はないからね」
 という三浦の一言が印象に残る。

 尚、気になる“ハマの番長”の発端は。
「髪型はズーッと坊主頭やったから、リーゼントにしてみたかったんだよね。で、プロ入り2年目か3年目のキャンプの時。ある新聞社のカメラマンが『三浦君、単車好き?』って聴いて来るから『好きですよ』って。それで宿舎に戻ってから単車にまたがった写真を撮ったら…次の日にその写真と一緒に“ハマの番長”って見出しが(苦笑)。最初は『オイオイ』やったけど、定着したからね(笑)。今では気に入っていますよ。清原さん(和博内野手、ジャイアンツ)より先やから」
 ということだそうだ。

 04年シーズンを終えて、通算86勝の三浦。
「来季中に達成したいっすね」
 05年、その右腕に注目したい。

背番号雑感!?

2004年12月9日
 師走ですなぁ。
 12月はなんやかんやと公私で用事が入る。毎年、この時期はスケジュール調整に四苦八苦しているような気がする。

 最近、HPの更新にも“派手さ”が欠けるので、ジックリと日記くらい書くべきなんやろうが…結構、慌しい。と書くと、
「言い訳ばっかりしよって!」(先日、大学同期のS原より指摘された)
 なんやろうけれども、ホンマですねん。まだミズノの原稿も仕上がっていないし(汗)。

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 プロ野球界も契約更改や新人選手入団発表などなど。ただ、意外に今オフは動きが穏やかなような!?まぁ、シーズン中があまりにも“激動”やったというのもあるんかな。

 平石洋介外野手(トヨタ自動車→Gイーグルス)の背番号が“33”に決まった。
 だいぶ前にも書いたかも知れないが、僕は大学時代に“33”を背負っていた時期(1回生時)があるだけに思い入れのある背番号。是非、背番号33=平石という選手になって欲しいものだ。
 また、余談ながら。平石がトヨタ自動車での“10”は…僕が大学時代、“33”の後に付けた背番号でもある。
 まぁ、これで何か縁を感じるというのは完全な“こじつけ”ですな(苦笑)。

 光原逸裕投手(JR東海→バファローズ)の背番号は“45”だそうだ。(最近、よく連絡を取っている)
 僕的にこの“45”という背番号も思い入れがある。高校時代のヘルメットに貼っていた数字。その理由は佐藤和弘外野手(当時・ブルーウェーブ、パンチ佐藤)が好きやったんで(笑)。
 この“45”も“プリンス・ミッツー”(※小学館『グランドスラム』に書いてあったような…僕は今夏の都市対抗で『グランドスラム』をパクられたので手元にない)の背番号にして欲しいものだ。

 高校時代の同級生である広池浩司投手(カープ)は“68”→“28”に変更となった。本人の希望だろうか?球団の意向だろうか?
 まぁ、広池の性格からして背番号にこだわるタイプではないので、球団からの“期待料”なんかな???

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 背番号の話題ついでに。
 約1ヶ月前。染田賢作投手(同志社大→ベイスターズ)、藤田一也内野手(近畿大→ベイスターズ)と食事をする機会があったのだが、その際に同席していた野球博士・江本雅朗がドラフト前にも関わらず、
「染田君は“19”。藤田君は“23”になると思う」
 と2選手が背負うことになるであろう背番号を大胆にも予言していた。
 で、結局はその通りに。恐るべし、野球博士(笑)。
 尚、岸本秀樹投手(近畿大→ベイスターズ)は“41”。大型右腕のイメージに合う背番号のような気がする。

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 新聞報道を鵜呑みしているだけであるが。野口茂樹投手(ドラゴンズ)が“47”から“60番台”に背番号が変更されるかも知れないと。
 これってどうなん?
 どうも背番号に関する“オレ流”は分かりまへん。

穏緩素笑

2004年12月11日
 憤ることなくやかな心を保ち。
 焦らずにやかな時を好み。
 譲れないものを持ちながらも直な心を持って。
 心の底からうことが出来る。

 そのようなモノカキでありたい。
 いや、そういう人間にならなくてはイカンね。

“変わらなきゃ”(古ぅ〜…by イチロー)
 たる心境を勝手ながら書き留めさせて戴きます。
 えーっ、本日は久々に母校(関西学院大)の練習を観に行った。
 さすがに今日は『こちアマ』http://www.kochiama.com/の更新で手一杯…。
 日記は明日にでも書きたいと思います。御容赦の程を。
 昨日、母校でもある関西学院大の練習を観る機会に恵まれた。
 まぁ、目的は他にあったのであるが(苦笑)、一段落したら、どうしても練習は気に掛かるものだ。
 ただ、グラウンドに到着した時から、気になっていたのはグランドの周り(厳密に言うとバックネット裏の倉庫周り)に水の入ったペットボトル(2?)がドゥワーっと並べられていたこと。
「猫除けかいな???」
 くらいにしか思っていなかったのだが…。

 投手陣の練習は本荘雅章コーチと少し話しをした(雑談…)程度でほとんど観ることが出来なかったのだが、1回生左腕・宮西尚生投手がブルペンで良い球を放っていたのが印象的。

 野手陣はノックを終え!?ハーフ打撃とロングティー打撃を。
 そして、1度、集合(円陣を組んで)してから
「トレーニング!」
 と新主将・渡邉祥一郎内野手の掛け声があると、各々の部員は少し憂鬱な表情でバックネット裏にあるペットボトルを2本抱えてグラウンドに。

 既に『写真館』http://www.alfoo.org/diary/shimajoe/には掲載しているのだが。ここから地味ながらも恐ろしいインターバル走が始まった。
 ペットボトル2本の重さは4?。これを両手で持ち、?96?を14秒以内で走り、46秒でスタートラインにUターン。?96?を16秒以内で走り、44秒でスタートラインにUターン。この?と?を交互に繰り返して、各10本の計20本。これは文字にすると伝わり難い部分があるかも知れないが、横で観ているだけで辛くなって来る。
 現に瞬発性、持久性に筋力までもが影響するので、次第に周回遅れの選手も数名出て来る。また、途中で倒れ込み、グラウンドの横で嘔吐する者もいた。(落ち着いてから、改めて走り直すことにビックリ!)
 何とかクリアしている選手も短いインターバルの中で呼吸を整え、体力を回復させなければならないので、無駄口を叩く者もいない。
 まぁ、人間とは不思議なもので先が見えて来ると、元気になると言うか、気合も入るんやねぇ。
「あと3本っ!」
「頑張って行こうぜぇ!」
 などと声を上げる選手もチラホラ。
 で、どうにか20本を走り終えると、一斉に“恐怖のペットボトル”を投げ出し、悪夢から開放される。

「あぁ、ホンマに良かった。現役じゃなくて」
 というのが僕の感想かつ本音。

「腕も疲れるんですけど、下半身に来るんですよね。もう当たり前みたいになって来ましたけど」
 とある部員。
 さぁ、この成果が来春に表れるのか?楽しみにしたい。

 尚、ペットボトルの役目はこれだけで終わらずに、その後の腹筋・背筋の負荷にもなっていた。恐るべし…。

**************
 昨夜、我が家にも空ペットボトル(2?)があったので。水を注いで、ベッドの上で腹筋・背筋をやってみた。えーっ、実にシンドイ!!!
 さぁ、いつまで続けられるか!???
 既に激しい筋肉痛に襲われている(苦笑)。
 最近、ハマっているもの。まぁ、要するにマイブーム。
 それは今さらながらではあるが“551の蓬莱”の豚饅&シューマイ

 うん、理屈抜きで満足。具沢山〜♪
 さすが関西が誇る食文化ですなぁ。
 ただ、食べ過ぎたら、ますます体が大きくなる訳で(苦笑)。
 せやけど、今日は我慢出来ずに食べてしもうた。
 ということで、下の日記にあるようにペットボトルを使っての腹筋・背筋!

 

年末年始

2004年12月16日
 もう12月も半分が過ぎてもうたがな…。
 でも、ここに来て、ようやく年末年始のスケジュールが確定しつつある。

 取材が7つ、忘年会&新年会が合わせて4つ、激励会が1つ。(しかし、単位が“つ”というのはオカシイなぁ…)まぁ、それなりに忙しいんかな!?
 で、ここで重大なことに気付く。

◎年賀状をいつ書くか?
◎大掃除はいつするか?

 う〜ん…重大な問題だ。

 日記は取材後記みたいな形で細々と書いて行きたいと思う。

トップシークレット

2004年12月18日
 えーっ、仕事柄ということもあるのだろうが。最近、トップシークレットな話しにタッチする機会が多い。

 プレス発表はこれからなので、まだ書くことは出来ないが…近日中(年内〜年明け)にあるプロスポーツの方向転換が示されるということを断言しておこう。

 今回のポイントは“スポーツビジネス”と“地域密着”。(まぁ、当然、その他にも付随するものはあるんやけれども)

 現時点で僕の得意なフィールドではないかも知れないが、スポーツライターとしてライフワークになりそうな予感もするし、根拠はないがキッチリと書く自信もある。
 そして、どういう形になるかは分からないが、運営の方にも積極的に関わって行きたいと思う。

 05年はありがたいことにメッチャ忙しくなりそうだ!?
 他にも色々なプラン、プロジェクトもある。
 うん、絶対にステップアップせなアカン年にせえへんと。

“大野球様”

2004年12月21日
 昨夜は『野球狂のネタ』(関西テレビ)スタッフによる“大マジメな打ち合わせ”と“忘年会”。

 一部マニアの熱狂的な支持を受けている関西ローカル番組(基本的)が近々、また本格的に動き出す。新展開もありそうなので、楽しみにして戴けると幸い。

“大野球様”という名の“忘年会”では野球博士・江本雅朗作成の筆記試験・『忘年会プロ野球クイズ』も実施された。
 大の大人が居酒屋で背中を丸めて答案用紙に向かっている姿は…第三者から見れば異様だったはずである(苦笑)。
 尚、この筆記試験の結果は…僕はスポーツライターとしての面目を保った???100点満点で79点は最高成績。無事に“エモ大”の主席をゲットした!!
 しかし、難問やったなぁ。ケアレスミスがあったのも悔やまれる…。
 次回は“目指せ、満点!”や。
 昨日は朝からミズノ大阪本社(南港)へ。
 ミズノの依頼で大学野球部の先輩でもある田口壮外野手(カージナルス)のインタビュー取材。
 尚、この場にはミズノのスポーツ事業部・斎藤靖彦(僕と大学野球部同期)もおり、
「後輩ばかりやと俺が“先輩口調”になってまうやん。巧く書いてくれよ」
 と田口。

 インタビュー内容は主に“田口ならでは”のアメリカでの生活(野球)。マイナー経験もあるだけに“こぼれ話し”も多く、非常に面白かった。
 1年目(02年)の2A(ニューヘブン)では“バットボーイ”ならぬ“バットドッグ”がいる球場があり
「犬がバット引きしているなんて、メッチャ可愛いなぁ。と思っていたら、バットに思いっ切り歯型が付いているやないかいっ!」
 なんて笑い話しがあったり、スパイクが間に合わなくて(カージナルスと3A・レッドバーズのスパイクは赤だが、ニューヘブンは黒)チームメートの30?くらい(田口は27.5?)のスパイクの爪先にティッシュペーパーを詰めて、試合に出たこともあったと言う。

 その他にも色々と田口から話しを聴いた後は急いで梅田へ。関西学生リーグや高校野球で審判を務める藤野真(これまた大学野球部先輩)、染田賢作投手(同志社大→ベイスターズ)、藤田一也内野手(近畿大→ベイスターズ)と会食。

 そして、私用でシアター・ドラマシティーにて宝塚歌劇『天の鼓』を観劇。う〜ん、勉強になった。

 夜は梅田某所で、この日記でもリンクしている福岡屋あるじさんらと忘年会。
 とても×2、楽しい時間を過越した。
 相当、気が早いけれども“球春”が待ち遠しくなる。

 忙しい1日であったが、楽しかった♪

心配です…

2004年12月23日
 私的感想です。

 今日は四国独立リーグ(以下、IBLJ)/大阪会場トライアウトの取材へ行って来た。
 受験選手が予想を大きく上回った為に当初のスケジュールから変更あり。第一会場(非公開=取材・見学シャットアウト)→大阪ドームという流れに。
 まぁ、第一会場が非公開ということやったが、どこでやるかなんて簡単に分かりますわ。せやけど、シャットアウトなので素直に大阪ドームから取材を開始。

 以下、ストレートに書く。
 心配です…IBLJ。目指しているものは理解しているし、素晴らしいことだと思うが。あまりにも“仕切り”が悪い。いや、悪過ぎる。特に広報の準備不足、対応の悪さ(取材当日だけでなく、その前から薄々と感じてはいたが)は今後も混乱を招くこと必至。経験が乏しいでは済まされない問題であろう。

 トライアウト自体も無意味なようにさえ感じてしまった。大半の受験選手は
「昼から丸々6時間。ボールに触れていたのなんて5分もないですよ。何を判断されるのか?何をアピールして良いのか?」
 と不満顔。その他にも問題は多々あり。これまでの報道では“夢を追う若者への受皿拡大”という美談が先行していたが…正直、期待も大きかっただけにガッカリの一言である。
 
 既報でも不透明な運営は疑問視されている。恐らく、これは“仕切る”組織があまりにも野球に対しての理解が浅いからだ。もっとシッカリしたブレーンがいないと大コケになることは間違いない。

 IBLJの理念は噛み砕いているが、現状のままでは応援しようという気にはなれなかった…。
“見切り発車”の感は否めない。もっと地盤を固めて欲しい。

***************
 マスコミ・見学者への注意点もおざなり。
 事前にIBLJ関係者は大阪ドーム入りせず、マスターズリーグ関係者がマスコミ対応に追われる。
 受験者総数は把握していない。
 ポジション別の内訳も同様。
 受験者リストもなければ、採点表もズサン極まりないもの。(=ある首脳陣が持っていたものを覗き見…後に受験者番号と照合出来るかどうかは甚だ疑問)
 スケジュール変更を知らない受験選手が多数でトライアウトを受けられず。(=連絡の不徹底、一方通行)
 選手のウォーミングアップの時間すら確保しない。

 ホンマにダメダメであった…。

忙殺!?

2004年12月26日
 年賀状のプリントアウトをようやく始めた…。
 約1/4は(60枚くらい)は再生紙なんですよね…インクジェット紙が売り切れの為。

 一筆添えるのにイッパイ×2。日記は落ち着いたら書きます。

爆笑の振込通知

2004年12月27日
 ちゃ〜んと原稿を書くと原稿料が。取材に応じると取材謝礼が入る。
 んでもって入金があると、僕の元には出版社などから振込通知(支払明細書)たるものが届く次第。
 
 年賀状を書くのに疲れ果て(まだ1/3)、気分転換に外の空気を吸いに。そして、郵便受けを見るとK社から振込通知が来ていた。
 で、内容を確認すると…。
《***(雑誌名)04ネン52ゴウ・シュザイシャレイ/チカン
 の文字が。普段は金額に目が行くものだが(苦笑)。

 まぁ、何の事件に関してコメントしたかは、スポーツライターと言う仕事を考えて貰えれば分かると思うが。
 せやけど、チカンはないやろうっ(笑)。
 まぁ、面白かったので良し。

 ただ、確定申告の時に恥ずかしいなぁ。

***************
 こういう日記を書くと…放送作家・M脇氏が過剰に反応するんやろうなぁ(笑)。はい、お好きなようにネタにして下さい(笑)。
 

>放送作家・M脇氏

2004年12月27日
>関西の売れっ子放送作家・M脇氏(別称/ゲッスM脇さん)
 早々にメールありがとうございます。
 突っ込まれどころが予想外やったので、少々、面食らいましたが(苦笑)。まぁ、色々と事情があるのです!?
 えーっ、来年は頑張りますので。今後もネタにして下さい。
 と、こういうことを書くのもネタになるんやろうなぁ(笑)。

 スミマセン…“とんねるず”ばりの内輪ネタで。

大切なファン

2004年12月28日
《2004年11月18日に届いたメール》
 シマジョーさん、はじめまして。
 突然のメール、失礼致します。
『野球ノ歩キ方』日記に出会ってから、2年になります。
 毎日、日記を読ませて戴いて「グハハッッ」と笑ったり「スゴイなぁ」と感心したり、「マジで!?」と驚き、「そらアカン」と怒ったり、本当に楽しませて戴いております。
 いつか、絶対、メールしてみたいと思っていながらも、なかなか出すことが出来ずに2年も経ってしまいました。
 でも今日は!!!絶対メールしなくちゃいけないんです!!
 昨日は私にとって、とっても大切な日でした。
 私には憧れている人が居ます。
 その人は…とにかく、いつまでも応援したくて、いつでも元気を貰える人。
 小さな頃から野球をしていて。
 初めて観たのは…とある大きな球場で。
 初めてお話し出来たのは…とある小さな球場でした。
 初めてメールをした日も…とある球場の帰りで、最後に「お疲れ様でした」と言葉を交わせたのも…とある小さな球場でした。
 今、彼は、大きな目標に向かって、遠くの球場で頑張っています。
 いつも、どこかの球場で、彼は夢を現実のものにするべく、毎日、真剣に時を重ねて。そういう彼が憧れの人です。 その彼にとって、昨日はとっても大切な日だったんです。
 そして、彼にとって最高の日になりました。 本当に、本当に嬉しいです。嬉しいと言う表現がもっと他にないだろうかって思うくらい(笑) 。
 その彼とは2年も連絡取れていませんが、心からおめでとうと伝えたいです。
 本当に素晴らしい人なんです。
 シマジョーさんなら分かって下さると(勝手に)思い、メールしてしまいました。
 なんだか、もっとシマジョーさんにお話ししたいことがたくさんあるのですが、今日は興奮気味で(笑)。
 御多忙でお疲れのところ、長々とスミマセンでした。

《2004年11月30日に届いたメール》
 初めて彼に出会ったのは98年のセンバツでした。
 最初は全く彼の存在も知らずに、初めてスタンドで観る甲子園にワクワクしていました。
 その開幕戦で「よく動き、よく気が付く」主将が居るなぁと思ったのを覚えています。そして、後からパンフレットで彼の名前を知りました。
 まさか、その夏、あんな感動的な試合を観ることになるなんて夢にも思っていませんでした。そして、私は人生で初めて年下の高校球児にファンレターなるものを出したのです(笑)。
 一応、学校宛に出したものの、届いたどうかは分からず。気になりっ放しでしたが、当時、大学生だった私にとって朗報が。
 彼も同じ京都の大学に進学するじゃないですか!!
 もう、これは応援し続けるしかないと(笑)。
 次のセンバツも私はスタンドで応援していたのですが、あの広い甲子園で、なんと彼を見付けてしまったのです。私の後方の席に座って、後輩野球部員を応援する彼を!!もう、こんな偶然あっていいのでしょうか?とても興奮状態でした(笑)。
 彼が大学に入学するのを待って、またもや届くかどうかも分からないファンレターを出しました。
 そして、待ちに待った新人戦の日、出席の返事だけを早々に済ませ、講義を抜け出し西京極球場へ。
 試合後、写真お願いしますと頼んでくれた友人に感謝です。快く引き受けて下さった彼が、とうとう目の前に。それだけでも私の中ではスゴイことだったのに、なんと彼は「手紙くれたコやろ?」だったのです!!!!!!!!もう、後のことは覚えていません(笑)。
 こうして、春や秋のリーグ戦など、公式戦のたびに西京極や皇子山、舞洲へ足を運びました。試合が終わった後、彼は必ず「お疲れ様」と声を掛けて下さいました。
【中略】
 彼の言葉には「チカラ」があるなぁと。
 いつも、自分はこうでありたい、こうあるべきだという意志のようなものが感じられ、それを感じるたびにこちらが勇気付けられていました。
 面と向かって話す時、私はいつも緊張していたような気がします。ファンだからとかそういうことではなく、シッカリしなければいけないという感じになるんです。巧く表現出来ないのですが…。
 彼とは大学の引退試合の日を最後に、お会いする機会もなく、今では連絡を取ることもなくなってしまいましたが、社会人時代も彼を応援していました。
 今回、ドラフトで指名され、彼の夢のひとつが叶い、本当に、本当に、嬉しいです。と、同時に、なんだか、本当に遠くへ行ってしまったんだなぁと寂しくもなりました。「おめでとう」とすぐに伝えられる距離の人ではなくなってしまったんだなぁと。
 でも、彼には本当に感謝しています。
 観ていて、元気になれる、そんな選手に初めて出会いました。
 彼の試合を観に行くたびに、本当にたくさんの出会いや感動があったこと。彼に出会ったおかげです。本当にどれも良い出会いばかりでした。これからも、そんな彼を応援し続けたいと思います。
 いつかどこかの球場で、また彼のプレーも観たいですし―。

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 上記のメールを送ってくれた女性に会いたいと思った。で、何度か連絡を取り合う。
 そして、昨夜。大阪某所にて2時間ちょっとではあったが、食事をする機会に恵まれた。
 こういうケースは初めてのことであったので、柄にもなく僕は緊張。普段からよく喋る方だが、昨夜は実によく喋った…(猛反省)。
 恐らく、彼女は
「よく喋るオッサンやなぁ」
 と内心では思っていたはずだ(苦笑)。
 それでも、彼女の想いもちゃんと聴いたつもりだ。
 メールに登場する彼は“男前”でもある。正直、“ミーちゃん・ハーちゃん”のファンも多いのだが、僕の予想通りに彼女はその類には属さなかった。彼の細かいプレーや内面的なものにもシッカリと目を向けている。だから、非常に楽しい充実した時間を過越せたのだ。

 彼女のことにも少し触れておこう。
 彼女は大阪生まれの大阪育ち。
 幼い頃、交通事故に遭ってしまい、あるハンディを抱えてしまった。
 現在は大学を卒業して、OLをしている。
 黒いロングヘアーが素敵で、歯切れの良い口調から快活な性格を存分に感じ取ることが出来た。そして、本当に野球が大好きな女性であった。
 
 彼には彼女のような温かいファンがいることを忘れずに“プロ野球選手”として頑張って欲しい。
 で、僕自身に言い聞かせることでもあるが。精神的にも、経済的にも余裕が出来たら、彼女のようなファンもスポーツ(当然、日常生活においても)を満喫することが出来るハード(環境)を整備する活動・運動にも力を注げるようになって貰いたいものだ。

 まぁ、僕はともかく(苦笑)。彼ならば大丈夫だろう。きっとグラウンドの内外を問わずに素晴らしい“プロ野球選手”になってくれるはずだ。

 平石洋介外野手(トヨタ自動車→イーグルス)に期待している。
 ということで日記を書くことに。
 明日(厳密に言うと今日やけれども)は平野佳寿投手(京都産業大)と光原逸裕投手(JR東海→バファローズ)の取材があるんやけどなぁ。
 そして、光原の激励会。さらに手違いで予定外であった大学時代同期の野球部忘年会にも行くことになるかも!?(ドスコイ・C君、連絡ありがとう)
 年賀状を書き終えていて助かったわ。

 28日は和田有加内野手(トヨタ自動車/ソフトボール)の取材。良い意味で“独特なワールド”を持っている選手で、とても有意義な取材が出来たと思う。
 和田は身体能力が高いのは言うまでもなく、意識も高い。貪欲なまでの向上心を持ったアスリートであることがよく分かった。
 和田のインタビューは『こちアマ』http://www.kochiama.com/にて近日中に更新します。

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