適性価格

2002年12月21日
 契約更改のニュース真っ盛り。
 満面の笑みで会見に臨む選手もいれば、淡々、飄々、憮然、呆然、憤怒…など、様々な表情を見ることが出来る。
 パ・リーグ防御率1位の金田政彦(ブルーウェーブ)投手が、球団の提示額に納得出来ずに
「自分の価値はどれくらいでしょうか?」
 集まった記者陣を前にして、涙ながらに訴えたのは印象的なシーンだった。

「成績を残した時は(年俸)を大幅に上げて貰いたい」
 そのように主張するが、成績を残せずに大幅ダウンを提示された際は
「信じられない。人道的でない」
 と、往生際の悪い選手が多いのも実情。


 ここ数年の日本球界での年俸の非常識な高騰ぶりには、思わずたまげてしまう。
 具体例を挙げれば、井川慶(タイガース)投手の4,000万円から1億円への大幅アップ。
 確かに、井川は昨年9勝。今年も1年間、先発ローテーションを守り通し、14勝(リーグ3位)、防御率2.49(リーグ3位)と抜群の安定感を見せた。スポーツライターという立場ではなく、1人の野球ファンとしても、その頑張りは認める。ただ、
「井川は1億円に相応しいか?」
 という観点からは正直、疑問符が付く。井川はたかだか、2年間で23勝。プロ5年間で、まだ通算25勝の投手なのである。チームの貢献度の算出や評価。チームの顔としての看板料、期待料までは分からないが、冷静に考えると“適性価格”でないように思えてしまうのだ。

 野球選手は引退後の生活保障がない。だから、
「稼げる時に稼ぐのだ」
 また、
「体調管理(食事や治療)にもお金がかかる」
 とも語る。
 しかし、たいした選手でもないのに、高級車を乗り回し、ブランド物で身を固める。実際に“そっち方面”ばかりにお金を費やしている選手も少なくない。多少の妬みもあるかも知れないが、
「その程度の選手で、なんで持ち物だけ一流品ばかりやねん???」
 そのように感じてしまうこともあるくらいだ。


 メジャーは球団によって年俸格差が広がることで戦力格差が生じることを危惧。03年(予定では06年まで)からは課徴金(ぜいたく税)を導入。03年は選手40人の年俸総額が1億7,000万ドル(約140億円)を超えると、その超過分の17.5%を支払わなくてはならない(後に30球団で分配)。これによって、圧倒的な力量を誇る選手は別にして、約100人の高額年俸選手がウィンター・ミーティング後に“宙ぶらりん”だ。これは間違いなく“適性価格”を見失った“シワ寄せ”であろう。

 近い将来、日本球界も“シワ寄せ”で苦しむことは明らか。いや、もう“シワ寄せ”に飲み込まれているのかも知れない。トライアウトを受けた選手(単に力量不足の選手もいるが)が誰一人、日本のチームへの入団が決まっていない現実。受皿を小さくしているのは、主張だけをする選手自身。そのことに早く気付くべきである。

 現在の日本球界で、年俸に見合った成績、実績を残しているのは、ごく一握りしかいないように思える。(本文中の年俸は全て推定金額です)
 

 実は、大塚晶文(バファローズ)投手のポスティング・システムで入札なし。このことについても書きたかったのだが…。次の機会(いつやねん?)に触れたいと思う。

 21日昼より『野球狂のネタ4 〜遠征』(関西テレビ)のロケで千葉入り。この際のエピソードも後日(だから、いつやねん?)に書ければ…。

 あ〜っ、風邪引いて、シンドイっす…(>_<)

移動日&酒宴

2002年12月22日
 21日の朝、ザーザーと降る雨音で目が覚めた。
 大学時代までは雨が降ると嬉しかったが(雨天練習は早く終わる)、今は基本的に嫌いだ。まず、傘の扱いが巧くない。大体、体の半分がズブ濡れになってしまう。さらに髪の毛がクセッ毛なので、グリングリン状態に。非常に憂鬱である。

 新大阪駅で関西テレビ編成局の佐藤洋介と待ち合わせ。新幹線(ひかり)に乗り、東京へ向かった。それにしても、傘が邪魔で仕方ない。ホンマ、余分な荷物やわ。
 新幹線の車内、最初はお互いに新聞、雑誌を読んでいたが、その後はズーッと喋っていた。って言うか、僕が喋りっ放しでした…(苦笑)。

 東京駅からは京葉線に乗り換えて、市川へ。駅最寄の市川グランドホテルにチェックインして、前乗りしているプルポの松本浩、武市暢と合流。そして、例によって例の如く、酒宴に突入したのである。

 駅前商店街の細い路地を抜け、カントリー調な造りのお洒落な居酒屋に入る。懐かしいことにジュークボックスまで置いてある。ただ、残念なことに店の名前は覚えていない…。
 僕は最初に生ビールを飲むと、芋焼酎をストレートでグイ飲み。ワタリガニの唐揚げが美味しかったなぁ。
 ちなみに、松本の誕生日でもあった。おめでとうございます。

 しばらくしてから、放送作家・森脇尚志も加わる。森脇が“歴代外国人野球選手名鑑”みたいなものを持って来ていたので、大クイズ大会に発展。
「○年に来日。実働△年で、出場試合はわずか××試合。☆☆選手の穴を埋めることが期待されたが、全くもって期待外れ。あっ、ちなみに出身は◇◇州立高校。さて、誰でしょう?」
「分かるかいっ! そんなん!!」
 とか言いながらもヒートアップ。
「イースラー!」
「郭建成!」
「グラッデン!」
 マニアックな外国人選手の名前が、市川の夜にこだまする。周囲の“こいつら一体、何者なんだよ?”という冷たい視線は完全に無視して…。

 散々、飲んでからホテルへ戻る。
 飲みすぎたせいなのか、非常に喉が渇く。夜中に起きて、2度もエレベーター前の自販機でドリンクを購入。どうやら暖房も効きすぎて、部屋が乾燥しまくっていたようでもある。
 昨日は千葉マリンスタジアムにて『野球狂のネタ4 〜遠征』(関西テレビ)の収録。
 天候はあまり良くはなかったが、どうにかロケに支障はなさそうだ。

 10:00オンタイムで千葉マリンスタジアム入り。スタンバイ、ネタ合わせをしてから、まずはコントの撮り。ますだおかだ(特に増田英彦)はアドリブ連発。メチャクチャ面白い。OA(12月28日 25:30〜 90分)を楽しみに!
 
 コントを撮っている間に、続々と出演者が千葉マリンスタジアム入り。久々に金村義明とも対面。前日、長州力と飲んでいたらしく、少し辛そう。まぁ、いつものことか!???
 金村は三男・昭典(小学3年生)を連れて来ていたので、
「アッ君、また大きくなったなぁ。今、少年野球はどこ守っているん?」
「キャッチャーやってるよ。この前も試合でレフトオーバー打ったんだ。島尻さんは髪、伸びたね」
 などと、昭典と久々に話すことが出来た。優志(中学2年生)、敏生(小学5年生)にも会いたかったなぁ。

 収録は順調に進行。金村もハイテンションで多いに盛り上げてくれた。
 尚、佐野慈紀(重樹を改名)がキャッチボールをしているシーンがあるのだが、相手は僕。多分、映らないと思うけれども。そうそう、伊勢志摩のロケに引き続き、増田ともキャッチボールしたんや。
「島尻君、来年は絶対に草野球やろうやぁ」
「いいっすよ。絶対に対戦しましょう」

 
 15:30、ブルペンでトーク収録中に携帯電話がジーンズのポケットの中で短く震える。ちょうどテープチェンジのタイミングであったので、メールを確認。
『島尻さん、馬連1−8来ましたよ。配当は14,000円くらい』
 スポーツバーCBGBで知り合った、井上一からであった。

「やったでぇ〜!有馬記念、万馬券ゲット!!」
 シンボリクリスエス、タップダンスシチー、ジャングルポケットに絞り込んで、馬単を表裏で1−9、9−1を。馬連で1−8、8−9を買っていたのだ。
「馬単で買っていたらなぁ〜」
 と、内心で思いつつも、顔の筋肉は緩んでしまう。良い正月が迎えられそうだ。


 収録もほぼ予定通りに終了。金村とあまり話しは出来なかったが、帰り際に
「シッカリと頑張るんやで」
 そのように直接、声を掛けてくれたうえに
「島尻をどうか宜しく頼みますわ」
 と、関西テレビ・佐藤洋介、プルポ・松本浩にも頭を下げてくれたようである。
 有馬記念をゲットしたのと同じくらい嬉しかった。

早く読みた〜いっ!

2002年12月24日
 本日はクリスマスイヴ。

 昼前、インターホンが鳴る。
「ドーモです。ペリカン便で〜す」
 妙に甲高い声のオニイチャンが届けてくれたのは、彼女からのクリスマスプレゼントであった。
 プレゼントの品はD&Gのマフラー。
 これで僕の手元にあるマフラーは4つ(マフラーの単位が分からん…)であるが、3つは彼女から貰っていて、残りの1つは昨年末に開かれた広池浩司(カープ)の結婚式2次会でゲット。河内貴哉(カープ)に“クラッカー早食い競争”で勝利して獲得したのだ。

 年賀状をまだ書いていない。と、言うよりも、年賀ハガキすら買っていない。お世話になった方ばかりなのに、この無礼者めっ! 慌てて無地年賀ハガキ200枚を購入する。

 次に淳久堂書店へ行き、年賀状作成CD−ROMの添付してある本を買うついでに
『スカウト物語』著・片岡宏雄/健康ジャーナル社
『名スカウトはなぜ死んだか』著・六車護/講談社
『プロ野球裁判』著・二宮清純/学陽書房
 の3冊もレジへ持って行く。
 
 しかし、今日は年末進行の入稿(実質の仕事納め)をしなくてはならない。そして、年賀状も書かなければならない。この3冊を読み始めることが出来るのは、一体、いつになるのだろうか? 早く読みた〜いっ!!
 まずは原稿から片付けることにします…。

実るとも

2002年12月25日
“ファームの試合は朝が早い。大体、昼下がりのデーゲームというのが基本で、選手は試合の始まる3、4時間以上前に球場入りしなければならない。ところが、長年の間、レギュラー選手としてナイトゲームに親しんでしまった体内時計は、意識と裏腹になかなか目覚めようとしてくれない”

 上記は僕の事実上のデビュー作・野球浪漫『階段を踏みしめながら 大友進[ライオンズ]』(週刊ベースボール2001年8月6日第33号/ベースボールマガジン社)の冒頭文である。
 まだ野球評論家・金村義明のマネージャーをしていた時に書いたもので、ベースボールマガジン社のライオンズ担当・小林光男より依頼された。
 それまでにも、ウェブ上やゴーストライターとして自身の書いた文章が雑誌などに掲載されることはあったが、“スポーツライター=島尻譲”という肩書きでは初めてのこと。よくぞ起用してくれたものである。感謝。

 自身の文章が、署名入りで雑誌に掲載される。ナルシストみたいではあるが、これは一種の快感だ。出版社が掲載誌を送ってくれるのにも関わらず、発売日にはコンビニや書店で“スポーツライター=島尻譲”の文字を真っ先に探す。
「う〜ん、載っとる、載っとる」
 さすがに声は出さないが、自然に頬は緩む。隣で立ち読みをしている人に
「これ書いたんは僕やねんで」
 と、ついついアピールしたい衝動にも駆られてしまう。まぁ、そこはグッと堪えながら、大人しくレジに直行。購入する必要もない雑誌を買ってしまうというような状況であった。
 最近は、仕事の量が増えたこともあるだろうし、“スポーツライター=島尻譲”という自覚!?も芽生えて来た。いや、正確に言うと、麻痺して来たのだ。“スポーツライター=島尻譲”の書いた文章が掲載される現実を当たり前のことと思い始めているのかも知れない。


 埼玉に1人で住んでいる母親が、携帯電話でメールを送って来ることを覚えた。コミュニケーションの手段として有効なので、非常に助かる。ありがたい。
 肝心な母親からのメールの内容は、まず近況報告。そして、御丁寧なことに僕の書いた文章の感想、指摘をしてくれる。これも大変ありがたい。
 先日、また母親からメールが届いた。いつものように近況報告→文章の感想、指摘という流れであったのだが、最後の唐突な一文に、ピストルでも突き付けられたかのような衝撃を受けた。
《“実るとも頭を垂れる稲穂かな”ですよ》

 さすが母親である。僕の性格を見抜いたうえで
「初心を忘れないで、もっと頑張りなさいよ」
 という激励も兼ねた忠告であったに違いない。

 良くも悪くも、要領と余裕を覚えた2002年も直に終わる。新たな年を迎える前にもう1度、初心を思い出して、頑張って行きたい。

写真の力 文章の力

2002年12月26日
「カメラマンになれば良かったなぁ〜」
 愚かにも、軽はずみな発言をしたことがある。
 取材で、カメラマンの方と同行する機会も多い。確かに、重たい機材を持ち運ぶのは大変であるが、取材時に写真さえ撮ってしまえば、大方の仕事は終わり。かたや、僕のようなライターは取材も重要であるが、原稿を書き上げるという非常に困難な作業が待ち受けている。だから、冒頭のような願望を抱いていたのだ。

 僕が寄稿した文章には、写真が添えられることが多い。それは取材に同行したカメラマンの撮った写真である時もあれば、出版社が新聞社などから買い取った写真、専属のカメラマンなりが撮り溜めた写真というケースもある。
 写真が挿入されることによって、文章は活きる。そう思えるのは、僕自身が書き上げた活字だけの原稿を知っているからだ。ただ活字が羅列されているものよりも、視覚に飛び込んで来る写真がある方が読み易いのは勿論のこと、文章が味わい深いものになる。特にスポーツライティングという分野であると、その傾向は顕著なように思える。
 実際に、
「あぁ、今回は写真に助けられたな」
 と、思わされることも多い。それだけ写真の持つ力は大きい。

 カメラを携えて取材に行く機会も増えた。そして、
「カメラマンはその場で仕事が終わってしまう」
という認識が非常に甘いものであったことに気付かされる。
 レンズ越しに観る風景は、常にピーンとした空気で張り詰められている。カメラマンは感性というアンテナを頼りに“その一瞬”を捕らえなくてはならない。“その一瞬”が勝負であり、時間を巻き戻す余地がないのだ。そのことを痛感せざるを得ない。


「いやいや、あくまでも写真はオカズ。文章がメインディッシュなんですよ」
 と、謙遜して語ってくれたカメラマンがいた。“逆もまた真なり”ということであろうか? また、写真と文章の果たす役割が根本的に違うというのも関係しているのかも知れない。

“写真の力”だけで第三者にメッセージを伝える。“文章の力”のみで読み手の心に触れる。でも、“写真の力”と“文章の力”が衝突することなく、調和が保たれた時。相乗効果でとても面白い、極上のスポーツライティングが完成するのではないか?
「写真が上」
「文章の方が優れている」
 そのような優劣は絶対にない。それぞれの良さがある。このことを意識して、今後も文筆を奮いたいものだ。


 今年、新野球浪漫『プラスの力に変わるように 黒田博樹[カープ]』(週刊ベースボール2002年10月28日47号/ベースボールマガジン社)を寄稿した。その中で、雄叫びを発し、黒田が右拳を下から突き上げている写真がある。僕はこの写真がえらく気に入っている。

ドキドキの生放送

2002年12月27日
 12月10日の日記にも書いたが、正月の2日からラジオに“スポーツライター”として、ゲスト出演することが正式に決まった。
 漫才コンビ・ますだおかだのMBSラジオレギュラー番組『どーだ! ますだおかだ』(毎週土曜日19:30〜)の正月スペシャル『正月だ! ますだおかだ』(1月2日10:30〜16:30)のスポーツコーナー(13:30〜 約20分)である。
 
 今日、茶屋町にあるMBSのラジオ局へ足を運んだ。プロデューサー・三浦敏彦、ディレクター・北野敦則、放送作家・平井浩一と、簡単な挨拶を交わした後にいざ打ち合わせ。関西ローカルなので、タイガースの話題中心ということでネタ合わせが進められたが、ほとんど雑談状態。喫茶店や飲み屋でのトークと何ら変わりない、緊張感ゼロの無責任かつ言いっ放し。こんな具合で良いのだろうか?
「当日は生放送ですけれども、ラジオは緊張感ないんで」
「今みたいな調子で、一つ宜しくお願いしますわ」
「○★△■☆□∞▲※◇〜!!!」
 そ、そうやっ! 生放送やったんや…。突如、心拍数が上昇して、飲み干したアイスコーヒーを無駄にストローでズルズルとすする始末。しかし、
「増田さん、岡田さんに振って貰ったことに応えれば、どうにかなりますやんね?」
 我ながら、どうしてこんなに“お気楽”なのだろう??? 自己嫌悪っす。
 まぁ、ウッカリと選手の名前を言い間違えたりしないように、シッカリと資料だけは作っておこう。だけど、せっかく作った資料を持って行くのを忘れたりするんやろうなぁ(苦笑)。
 高校時代、キャッチャーミットをカバンに入れ忘れ、控え選手のミットを借りて試合に出たことを、フッと思い出す。僕はそんな男だ…(>_<)

 でも、飛躍を誓う2003年の初仕事。またの機会に、お声を掛けて戴けるようにビシッと、気を引き締めて行こう。間違っても“一杯引っ掛けて”から出演というような無礼はしない。多分…。

 正月早々ではあるが、関西圏にお住まいの方は是非、2日はラジオのチューナーを1179にセット。聴いて戴ければ幸いだ。


 僕も構成で参加した
 12月28日(土)25:30〜OA
『野球狂のネタ4 〜遠征』(関西テレビ)も何卒宜しくお願い致します。
 恐らく、最後のスタッフロールに名前は出ると思う。

新球場

2002年12月28日
 プロ野球球団カープを中心に構成された“チーム・エンティアム”と広島市が、07年度の開業を目処とした“屋根なし複合型オープン球場”を新設することで合意した。
 広島駅東側の貨物ヤード跡地に建設予定。新球場の構造などの細部に関しては、今後、煮詰めて行くようであるが、日本では珍しい外野の右翼が左翼よりも極端に広い左右非対称の天然芝球場が最有力だと言う。

 今年の8月、広島市民球場でナイトゲームを観戦した。久々となる仕事抜きのプライベートタイムで、一塁側の内野自由席から前田智徳(カープ)外野手や福留孝介(ドラゴンズ)外野手のプレーを目前で観ることが出来た。また、真夏の夜空の下、ウチワを片手に生ビール。という“古き良き正しいスタイル”での観戦にとても満足感に浸っていた次第である。
 ただ、スタンドの空席が目立っていたのは残念だった。右翼側の外野スタンドは“そこそこ”であったが、バックネット裏の内野指定席ですら歯が抜け落ちた櫛のようで、さらに三塁側内野自由席はほぼ無人状態。“野球王国”の一つとも呼ばれる広島のホームチーム・カープの主催試合であることを考えると、非常に寂しく感じた。


 広島市民球場の今季1試合平均入場者数は約14,000人。これはセ・リーグの観客動員数としては最低の数字である。広島市民球場の甚だしい老朽化が、観客動員数激減の最大要因と、言われているが、果たしてそれだけが理由なのか?
 カープは91年を最後に、リーグ優勝から遠ざかっている。加えて、98年からはBクラスが指定席。“マネーゲーム”の様相を呈して来た戦力整備から最も縁遠いチームであるのも大きな背景だが、この成績低迷が“オラが街のチーム”という意識が強い広島市民、及びファンの足を遠ざけているように思える。


 広島市民球場は広島市内の中心地、繁華街の好条件な一等地に立地。であるが、新球場が建設されることに伴い、役目を終える。恐らく、広島市民球場の跡地再開発は商業地区になるだろう。
 懐古主義者の嘆きのように聞こえるかも知れないが、また歴史と、様々な人のたくさんの思い出が刻み込まれた球場が消えてしまうことには正直、落胆してしまう。しかし、
「07年開業という具体的な数字が出て、球団としての目標が出来た。早速、左右非対称、天然芝の新球場に対応したチーム作りをして行きたい」
 松田元オーナーの言葉には希望を感じた。

 広島の新球場は、新たなる“プロ野球の在り方”を発信する可能性を秘めている。

やっと…

2002年12月29日
 私事ではあるが…。
 一昨年は喪中。昨年はメールのみで済ませてしまったので、久々の年賀状書き。
「はぁ〜っ、もう勘弁してくれや。何でこんな習慣があるんや〜???」
 半泣き状態でペンを走らせた。

 それにしても、野球関係者の多いこと、多いこと。
 プロ野球選手やスカウトの方を筆頭に、社会人野球、大学野球の関係者などなど。
 当然、その他にも、とてもお世話になった出版社、テレビ、ラジオのスタッフの方も含む。いっこうに年賀状は書き終わらない。


 03年、どのような仕事を依頼されるかはまだ分からない。ただ、僕のポリシーとしては積極的に現場を走り回りたい。それでこそ“スポーツライター”である。“机上の空論”を振りかざせる程の力もないし、そのような気もサラサラない。臨場感を肌で感じ取り、それを読者に伝えたいのだ。

 きっと03年も様々な出会いがあるだろう。必然的に年賀状を書く枚数も増えるはずだ。でも、その“人との繋がり”が僕の貴重な財産になる。そう言い聞かせながら、やっと250枚を優に超える年賀状を書き上げた。満足感と安堵感に包まれる。


 年賀状、来年はもう少し早目に準備しよう。
 やっぱり住所録のデータベースも作っておいた方がええなぁ。とか言いながら、来年もバタバタしていたりして(苦笑)。

 あと、友人への新年の挨拶はメールにしよう。もう限界です…^_^;

次回はいつなんや?

2002年12月30日
 再三のようにPRさせて戴いた『野球狂のネタ4 〜遠征』(関西テレビ)が、12月28日に予定通りにOAされた。
 構成に携わっていたにも関わらず大爆笑。これは“自画自賛”ってヤツですか?

 面白かったのが『2ちゃんねる』。
 OAの翌日、出演者でもある野球博士・江本雅朗から
「リアルタイムで書き込みがスゴイですよ」
 と、連絡が入る。早速、閲覧してみると、マニアックな“食い付き”ぶりに改めて驚かされた。
 また、
「次回はいつなんや?」
 そのような類のスレッドも多数。関西ローカルから全国ネットになる日も近いか!???
 まぁ、なにはともあれ、プロデューサー・佐藤洋介、松本浩をはじめとしたスタッフ全員の“野球好き”な想いが表れているのだと思う。


 番組の司会進行であった漫才コンビ・ますだおかだも12月29日に行なわれた“M−1グランプリ”で見事に優勝を果たす。昨年、4位に終わったうえに、今年はコンビ結成10年目でラストチャンス(“M−1グランプリ”の出場資格はコンビ結成10年まで)。それだけに、ますだおかだの感慨も深かったに違いない。心より祝福すると共に、今後のさらなる飛躍に期待したい。
 尚、増田英彦に“おめでとうメール”を入れたら、早々に返信があった。
 タイトル:若松風
 本文:全国のますだおかだファンの皆様〜。おめでとうございま〜す♪
 メールでも笑いを取ることを忘れない。さすがである(笑)。

 まだ資料の整理は終わっていないのだが、一層に『正月だ!ますだおかだ』(1月2日/MBSラジオ)の出演が楽しみだ。と、最近、PRばかりの日記でスミマセン…。

三大ニュース

2002年12月31日
 アッという間に2002年の最終日。感慨にふける暇もなく、日常と変わらないスピードで時間が過ぎる。でも、街の風景を見渡せば、大晦日らしい雰囲気に包まれている。街を行き交う人々も幾分少なく、各家庭は大掃除に励んでいる。寒い中、愛車の洗車をしている人も多い。

 さて、大晦日と言えば、“今年の十大ニュース”が定番であるのだが、残念なことに僕は過ぎ去ったことを整理する能力に欠ける。そこで“今年の三大ニュース”を…。(手抜きではない!?)

 3.サインを求められる
 あれは6月の下旬。GS神戸にブルーウェーブ−バファローズを取材しに行った帰りだ。
 神戸市営地下鉄で帰路に着く為、総合公園駅の改札口を通り抜けた時に
「あのぉ、スポーツライターの方ですよね。サイン下さい」
 と、年齢不詳の男性に声を掛けられた。ブルーウェーブの帽子を目深に被り、リュックサック(決してデイパックではない)を背負った、普段、あまり接点のなさそうな人物。
「はぁ…。まぁ、別に構わないっすけど…」
 僕は戸惑いながらも、かなりぶしつけに差し出されたサインペンと雑誌(週刊ベースボール)を手に取り、楷書を大袈裟に崩したサイン風のタッチで“島尻譲”と、横向きに書き殴った。
 その後、電車に乗り込む直前まで、訳も分からずサインを求めて来る輩が4〜5名…。
 それにしても、なぜ僕がスポーツライターだということが分かったんやろう??? ホンマ、謎である。
 機会があるならば、あの年齢不詳の男性に尋ねたいものだ。

 2.長い長い都市対抗
 夏の高校野球選手権大会は全試合のちょうど半分くらい、甲子園球場に足を運んで観戦した。そして、8月26日から始まった社会人都市対抗野球大会。
 朝一番で東京ドームに駆け付け、全試合を観る。まだ1日3試合開催の前半は良かったのだが、1日4試合開催は辛かった。集中して、1日に4試合も観るのはとてつもない労力を要す。社会人野球は02年から木製バットになって、試合時間が短縮された。とは言うものの、高校野球と比較してしまうと、やっぱり長い。しかも、明るいうちに球場入りしているのに、帰る時はネオンが瞬く夜の街。1日中“屋根付き球場”=“テント”の中に閉じ込められているのは、精神的にも肉体的にも辛いの一言だ。
 それでも、準決勝、決勝まで進むと、気楽になった。ゴールが見えて来た長距離走者のような心境とは、こういう感じなのかも知れない。
 9月3日、ホンダ熊本−いすゞ自動車で遂にゴールテープを切る。02年限りで休部の決まっていた、いすゞ自動車の“有終の美”を目の当たりにして、身震いが抑えられなかった。
 でも、実は1試合、ごまかしている。8月31日の最終試合である川鉄千葉−王子製紙だけは、アサヒ芸能/徳間書店のN氏と約束をしていたこともありブッチ(早退)してしまった…。
 03年こそは、インチキせずに必ず全試合を観戦したい。

 1.西宮市民復活
 他人にとってみれば、どうでも良い話しではあるけれども、僕にとっては重要な事件。
 大学時代の5年間を過越した街で、独立を果たす。様々な理由、事情、背景があっての選択だったのであるが、とにかく、僕は西宮という街から歩き始めたかったのだ。そして、なんとか倒れることなく暮らせている。
 今後、このまま関西に定住するのか? それとも東京に戻ることになるのか? 僕自身、全く予想が付かない。ただ、気の良い仲間が溢れ、都会でも田舎でもない西宮という街が気に入っている。しばらくの間は、この街を離れるつもりはない。これほどまでに愛着の湧く街に出合ったことはない。
「ビバ!西宮!!」
 声を大にして、02年を締めくくらせて貰います。


 駄文極まりない日記だけれども、03年もヨロシクっす!

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