典型的な寝正月

2003年1月1日
 新年はスポーツバーCBGBのカウンター席でカウントダウン。生ビールを一気に飲み干し、03年を迎えた。
 店に集まった顔ぶれは馴染みの者ばかり。元来、出不精の僕であるが、この程度のイベントならば苦痛にならない。
「ホンマ、居心地がええわぁ〜♪」
 とは言うものの、あまり深酒もせず、早々に帰宅する。そして、爆眠をむさぼる。見た目は“ジャイアン”の僕ではあるが、寝付きの良さと深さだけは“のび太”級。結局、目を覚ましたのは昼前だった…(苦笑)。

 くわえタバコのまま、玄関前の郵便ポストを覗く。友人は勿論のこと、お世話になっている出版社、大学野球部関係者…などなどからの年賀状が多数。また、球場で知り合った野球ファンの方々や、『居酒屋あぶさん』にて、1度だけ御挨拶させて戴いた野中徹博(83年秋の阪急ドラフト1位)からも届いていたのは嬉しい限りであった。
 つい吹き出してしまったのが、『タイガース・アイ』のリポーターを務めている土井麻由実の年賀状。本人が草っ原で升酒をあおっている写真付き。しかも、御丁寧に羊の“着ぐるみ”を着用して、寝そべりながら。とどめは金字の太マジックで“んめぇ〜っ”と書き込まれている。ベタではあるが、普通、ここまでやりません。現時点で、“独断と偏見の年賀状大賞”の大賞有力候補を独走中っす。

 雑煮を食べ(餅食べすぎ…)、テレビをザッピングしながら、ゴロゴロ過越す。ウトウトと“眠りの森”へ誘われてしまうことも多かった。
「嗚呼、典型的な寝正月…」
 ただ、不思議なことにアルコールは一滴も口にしていないんやな。
 この日記で、僕は相当な“飲兵衛”という印象を与えているようであるが、別に飲まなくても大丈夫。実際、自宅には“チョーヤの梅酒”(誰かが遊びに来た時の飲みかけ)が、要冷蔵でもないクセに冷蔵庫の奥に無造作に放り込まれているだけ。そう、僕は自宅で酒を飲まない人間であり、飲まなくてもどうにかなる人間なのだ。

 夜は明日のラジオ出演に備えた資料作りをサックリ済ませ、DVD(『キューティーブロンド』と『アザーズ』)観賞。『GO』も観たかったのだが、明日のことも考えて断念する。
 そうそう、草野球のチームメートである“タッカン”こと?野好司から、年末に“02年ワールドシリーズ全7戦”のビデオも借りているんやった。
また、同じく年末に購入した本も一冊しか読み終わっていない…。
「今年の正月こそは有意義に過越さなければ」
と、誓いたいところであるが、無理な目標を立てるのはやめておこう。観たけりゃ観るし、読みたきゃ読む。そして、書きたくなったら書く。
 新しい年を迎えたからと言って、性格の根本は変わらへんな。そのように感じた03年の元旦。


 遅ればせながらではありますが、皆様、新年あけましておめでとうございます。
 03年も“気まま”に綴って行きたいと思います。向上心だけは忘れることなく。
 本年も変わらぬ御愛顧の程、何卒宜しくお願い申し上げます。

 2003年 元旦 スポーツライター 島尻譲

初仕事

2003年1月2日
 本日は初仕事。『正月だ!ますだおかだ』(MBSラジオ)に出演する為、13:00前に茶屋町のMBSに到着する。
 お正月ということもあるのか、いつにも増してセキュリティーは厳しい。受付で貰った入館証(カード)を自動ドアのところで、通さないと開かない。
 予定通り、出番は13:30からの20分間余り。僅かな時間で、台本と資料をチェック。久々に試験を受ける前の学生のような気分になる。しかし、やや緊張しているせいか全く頭に入らない。
 そんな時に、プルポの松本浩から
「そろそろ本番ですやんね。気楽に行きましょう」
 という連絡が入り、少しは落ち着きを取り戻した。

 いざ本番。ますだおかだの2人に新年の挨拶と、M−1グランプリ優勝のお祝いを述べて、マイク前に座る。イヤホンがなかなか耳に掛からず、困った(苦笑)。

 用意していた資料に目を通す暇もなく、何を喋ったかも全く覚えていない。1度、増田英彦から予想外の質問を受け
「え〜っ、え〜っ…」
 と、うろたえてしまったような気はするが、あとは無難にこなせたかな!???
「声もよく通っていましたよ」
 社交辞令も含まれているのだろうが、スタッフから声を掛けて戴いたのは幸い。
 とにかく、お正月早々、非常に貴重な体験が出来ました。2月にはタイガースのキャンプ取材にも行きますんで(関西ローカルなので)、またの機会があるならば、お呼び戴きたい。今度はもう少し上手に喋りますんで…。

 MBSを後にして、梅田近辺をブラブラ。僕は人込みが苦手なので、ごった返す人並みの中を上手く歩けない。特に阪急百貨店近辺は大変やった。

 ヒルトンホテル内の喫茶店で、『Sportiva』(集英社)の担当編集者・K氏(大阪に里帰り中)と打ち合わせ。プロ野球キャンプ取材の記事内容確認をした後に
「こんなん書きたいわ」
「そんなん書けるんちゃうか」
「どんな斬り口がええんやろうなぁ」
 などと、2人で灰皿を“てんこ盛り”にしてしまった…。

 さて、今年はどのような文章を書くことが出来るのか? 少しでも読者の心に響くような作品を手掛けたいものだ。

 朝食兼昼食(ブランチってやつですね)を摂った後、三宮に映画を観に出掛ける。
 雨が降っていたせいもあったのか、映画館は非常に混雑していた。立ち見するのも悔しいので、予定していた上映時間よりも30分遅い列へ並ぶことに。
『マイノリティ・リポート』は“まずまず”。と、言ったところか。僕は“ハズレ映画”だと、すぐに寝てしまうのだが、今日は寝なかった。それだけの判断基準ではあるのだが(苦笑)。

 自宅に戻り、夕食は餃子を焼く。うん、美味しかった。大満足。

 インターネットで調べもの。
「えっ!マジかいな」
 ひょんなことから、衝撃の事実を突き止める。でも、メッチャ良い情報。これを契機に今年は飛躍しそうな予感!???
 まぁ、良い方向に話しが進むようであったら、改めて綴りたいと思う。

 さぁ、“正月ボケ”もそろそろおしまい。気合い入れ始めますかっ!

近畿大バッテリー

2003年1月4日
 いやぁ〜、気が早いことこのうえない。今朝の大阪日刊スポーツ。
『近畿大バッテリー・そろって03年ドラフト自由枠候補』
 と、新主将になった田中雅彦捕手、151?右腕の糸井嘉男投手の特集記事が載っていた。
 この2選手、当然、プレーも観ているし、取材をしたこともある。


 田中雅はスピード感溢れる捕手だ。動きは軽快だし、スローイングも正確。そのうえ、キャッチングも巧い。聞けば、
「小学生の時から、ズーッとキャッチャーなんですよ。せやから、誰にも負けない自信はあります」
 とのこと。
 近畿大入学後、1度、外野手への転向を勧められたこともあったらしいが、頑なに拒んだという話しも聞かせてくれた。

 気の強そうな眼付きから、僕は田中雅を“イキッている奴”というような印象を抱いていたのだが、名門・PL学園高出身らしく“目配り”、“気配り”、“心配り”を忘れない選手。会話をしていても伝わって来るし、試合の随所で見受けられる田中雅のちょっとした仕草にも、それは表れている。
 打撃面でも地道なトレーニングでパワーアップを図り、昨年は春・秋のリーグ戦を通じてハイアベレージをキープ。また、選球眼も良いし、バントが非常に巧い。
「サインが出ていなくても、自分の判断で送りバントをすることは多いですね」
 と、語った後に
「打率が下がらない秘訣でもあるんですよ」
 まだ幼さの少し残るあどけない笑顔で、付け加えてくれたのが印象的だ。

 慢心することなく、今年も“田中雅らしさ”を存分にアピール。そして、前評判に違わぬ活躍をして欲しい。174cmと小柄ではあるが、“野球への情熱”はビッシリと、詰まっている。大学球界NO.1捕手に要注目!


「是非、コイツを取り挙げて下さいよ」
 近畿大に取材へ行く度、榎本保監督が背伸び気味に肩を抱き、僕の目前に連れて来るのが糸井である。
 
 宮津高時代、甲子園出場経験こそないが、185cmの長躯に、図抜けた身体能力に恵まれており、ストレートは最速151?を計時する。
 しかし、リーグ戦デビューは昨春と、決して早くない。また、試合ではボールを置きに行く傾向が強く、自慢のストレートも140?台前半がアベレージである。
「もっと腕を振ったら、ええのになぁ」
 僕は何度、ネット裏で呟いたことか。

 取材時、別にオドオドしている訳ではないのだが、糸井は大きな体を折りたたむようにして、チョコンとソファに座っていた。言葉も慎重に選ぶ。きっと、そういう性格なのだろう。
 糸井の“素材の高さ”は認めるが、今後の課題は“マウンド度胸”のように思える。多少、制球に難があるとしても
「俺はプロ注目のピッチャーなんやで。打てるもんなら打ってみぃ」
 相手を見下すくらいの気持ちでマウンドに登って欲しい。エースと呼ばれる投手は、調子が悪い時でも“顔と名前”で投げることが出来る。身近なところで言うと、同学年でチームメートの大型左腕・野村宏之投手がその典型だ。Wエースとして、お互いに切磋琢磨。糸井にはさらに輝きを増して貰いたいものだ。

契約金で

2003年1月5日
 昨日の日記で、近畿大の田中雅彦捕手と糸井嘉男投手のことを書いたが、同志社大の渡辺亮投手も大阪日刊スポーツの“自由枠候補”にリストアップされていたので、ワンエピソード。

 昨年の11月5日、京都アマチュア王座決定戦(三菱自動車京都−同志社大)を観に、西京極球場へ足を運んだ。この試合は休部を決めた社会人野球・三菱自動車京都のサヨナラゲーム。僕はそのリポート(『週刊ベースボール/ベースボールマガジン社』)をする為に、カバンの中には借り物の一眼レフカメラも入っていた。

 試合前、一塁側ダグアウト裏で、関西学院大時代のチームメート・木原栄一郎(三菱自動車京)投手と談笑。電話で聞いてはいたのだが、木原は数日前の練習中に故障(球拾い時にボールを踏んでしまい、松葉杖姿…)。
「ホンマ、痛々しいなぁ」
「みんなより一足先にサヨナラや。今日はスコアブックでも付けておくわ」
「これからどないすんのや?」
「夏にも話したけど、もう野球は終わりや。仕事、頑張らなアカンわ」
 などのやり取りをしながらも、木原の松葉杖姿をシッカリと撮影してやった(笑)。

 さすがに写真を撮りながら、スコアブックを付けるのは至難の業。同志社大の新主務・中路將位に
「自宅にスコアブックのコピー、FAX送ってくれるかな。ゴメンね」
 と、懇願して、無事に問題解決。プレイボールの声と同時に“カメラマン・島尻”として、スタンドやカメラマン席を行ったり来たり。西京極球場には、既に冷たい風が吹き始めていたのだが、忙しく(無意味に???)走り回っていたおかげで僕は大汗をかきまくる…(苦笑)。

 試合も終盤。僕は三塁側ダグアウト横のカメラマン席でシャッターチャンスを狙っていたのだが、5回までマウンドに立っていた同志社大のエース・渡辺がグラウンドコートを羽織り、僕に話し掛けて来た。
「島尻さんはカメラもやらなアカンのですか?」
「そうや、大変やろう。書くだけでは使って貰われへんのや」
「それにしても、寒いでしょ。そのジーンズやったら」
 僕のこの日のいでたちは革のコートに、年季の入ったジーンズ。両膝部分はザックリと、大きく破れていた。
「寒くはないけど、確かにこのジーンズはボロボロやな」
 そう応えると、
「来年、自分が島尻さんに新しいジーンズを買うてあげますわ。でも、ドラフトの後ですよ。契約金を貰ってからです」
 と、渡辺はニンマリ笑った。

 その話しを彼女にすると
「年下にたかるなんて最低最悪やなぁ」
 そのように言われてしまったが、僕は約束通り、渡辺にジーンズを買って貰うつもりだ。プロ入りする選手にジーンズをプレゼントして貰うスポーツライターもそういないだろう。ジーンズはサイン入りでもOK。いや、むしろサインを書いて欲しい。

 力のあるストレートを投げ込み、効果的なチェンジアップを操る渡辺。小柄ながらも全身バネ。馬力のある投球スタイルは魅力的だ。プロ入り前の渡辺を1度は観ておくべし。
 昨夜、我が弟分!? であるTBSの藤森祥平アナウンサー(2年目)がやって来た。
 花園ラグビー場で全国高校ラグビーの観戦後、わざわざ西宮まで足を運んでくれたのだ。
 
 阪急西宮北口駅最寄りの居酒屋にて、湯豆腐に舌鼓を打ちながら、いも焼酎のお湯割りをグビリ。軽く一杯飲った後は“Busy Bee CAFE”に場所を移し、野球談義に花が咲く。そもそも藤森との親交は、西武ドーム、東京ドームと、お互いに取材先が重なったことから始まった。まぁ、ちょっとした“野球バカ”の新年会といったところか。

 自宅では“野球狂のネタ4 〜遠征”のビデオを観る。
 藤森は
「この番組、関西ローカルっていうのが勿体ないっすよぉ。マジで、マジで」
 と、大爆笑。“慶応ボーイ”の笑いのツボは完全に抑えさせて貰った。
 その後、またまたビデオで僕の高校時代の勇姿!? を堪能???
「ジョーさん、これ整形前っすよね? あっ、太っただけでしたね」
 ショーヘイ、暴言吐きすぎやで…。

 狭い部屋に藤森の布団を敷いてやり、いざ就寝。でも、僕は返却しなければならないレンタルビデオを観ることに。
 窪塚洋介主演の『GO』は“在日”をテーマにした作品。
―名前って何? バラと呼んでいる花を別の名前にしてみても美しい香りはそのまま(『ロミオとジュリエット』シェイクスピア)の引用は秀逸。また、
「人間なんて簡単に変われないものだ」
「殴るのは嫌だけど、殴られるのはもっと嫌だ」
「広い世界を見るのだ」
「ライオンは自分のことをライオンだなんて思っちゃいねえよ」
「俺は俺。いや、俺は俺であることすら捨ててやる。クエスチョンだ。?マークだ。物体Xだ。どーだ、コワイだろう」
 印象的な台詞も多く、心象描写が分かり易い。そして、所々に風刺的な“小ギャグ”も散りばめられており、非常に良かった。

 結局、僕が眠りに就いたのは27:00過ぎ…。今日は“お正月ボケ”を引きずったまま、昼前に起床。藤森と食事(オムライス)を済ませてから
「東京に行った時はヨロシク頼むわ」
「また、僕の家にも泊まりに来て下さいよ。遠慮しないで良いっすから」
「木曜日、『はなまるマーケット』チェックするからな」
「も〜、勘弁して下さいよぉ」
 ガッチリと握手を交わして、西宮北口駅の改札で別れた。

 
 >ショーヘイ
 お土産のプリン、ありがとう。今、食べました。
 今年はお互い、頑張ろうや。
 生放送中、“いっぱい×2”&“噛み×2”にならんように(笑)。
 活躍を期待しているぞぉ〜!

重症だ…(*_*)

2003年1月7日
 パソコンとにらめっこする時間が増えた。単純に“お正月ボケボケ期間”と比較しているだけであるが。
 今日も、とある人物の代筆(ゴーストライターってやつです)をしている原稿を入れなければならない。まだ、何をテーマに書くのかも決めていないうえに、とある人物は海外旅行中。
「う〜ん…。どないしよう???」
 頭を抱えながら、無駄に時間を費やすのは勿体ないので、まずは日記を。でも、日記のネタも思い浮かばん…。レンタルしているビデオとDVDも観終わったので、返しに行こうかな。
「嗚呼、現実逃避…」

 体系的に文章を学んだことのない僕であるが、『ヤングマガジン』(講談社)の副編集長・今井和美は唯一の“師匠”と呼んで良いだろう。文筆に関わる最低限の“イロハ”を教えてくれた。その今井が
「“文章を書く”という作業は、非常にエネルギーを要することなんだよ」
 と、話してくれたのを思い出す。

 締切が明日の夕方だとしよう。2日くらい前から
「早く片付けなアカンなぁ」
 その気持ちだけは強いので“文章を書く”準備だけは整っている。早々にWordを開き、新規作成の画面を出す。タイトルも入力して、保存するのだが…。キーボードを叩く指が全く動かない。そして、僕は“現実逃避”に走るのである。ビデオを観たり、本を読んだり。時には、部屋の掃除や洗濯まで始めてしまう始末だ。そう、僕は準備を整えてから、ゴッツイ時間が掛かる人間なのである。でも、基本的にズーッと“文章を書く”ことだけは頭から離れない。絶えず、頭の中の原稿用紙にペンを走らせている。が、その原稿用紙はグチャグチャに丸められて、ゴミ箱に放り捨てられるばかり。結局、書き始めるのは締切の数時間前ということも少なくない。まぁ、締切だけは落としたことないですけれども。
 取材が終わり、帰宅する電車の中。いや、取材の最中であっても
「どないして書き始めようかなぁ…」
 そのことで頭がいっぱいである。口を真一文字に結び、髪の毛を触っていたならば、僕は間違いなく悩んでいるはずだ。

 今井の“イロハ”の一つに
「最初の1行目が勝負なんだよ。どんなに結論が良くても、出足がツマラナイと、誰も読んでくれないんだ」
 というのがある。確かに、僕が他人の文章を読む時でも、冒頭のワンセンテンスに吸い寄せられて
「おっ、どんなことが書いてあるんやろう」
 と、読み込んで行くものだ。

 冒頭のワンセンテンスが決まれば、意外とスラスラ書けるものである。“文章の全体像”はすぐにイメージ出来るのだから。この点に関しては、自信がある。そうでなければ、文筆を生業として選択しないだろう。

「文章を書くのって、大変でしょう」
 よく周囲から言われる。いやいや、厳密に言うと“文章を書き始める”までが大変なのです。僕の場合は。ホンマにエネルギーを要します。

 今週末から取材の依頼が入っている。また、仕事抜きでもアンテナを張り巡らさなければならない時期だ。冒頭のワンセンテンスに悩まされる日々が続く。しかし、それもまた良し。なんとなく書き始めた時よりも“文章を書く”実感があり、楽しい。ただ、現在はそれよりも“お正月ボケボケ期間”にスッカリ染まり切ってしまった頭を切り換えなければイケナイ。“文章の全体像”すら見えて来ない。重症だ…(*_*)
 僕の担当もしてくれている、ベースボールマガジン社の岡本朋祐が昨日、関西にやって来た。
(1月6日の書き出しと基本的に同じやないかいっ!と、自らツッコミを入れておこう)
 岡本はホークス担当で、山田秋親投手の自主トレに密着。立命館大学のグラウンドにて、共に汗を流したらしく、“泉の広場”で待ち合わせた時に岡本は既にシャワー後でサッパリしていた。
 それにしても、僕は関西生活累計およそ6年になるが、“泉の広場”で待ち合わせをしたのは初めてのこと。ちょっと緊張した(なんでやねん?)。いつもは“BIG MAN”やもんなぁ。
(関西圏以外の方、分かり難くてゴメンなさい…m(_ _)m)

 ベースボールマガジン社の御用達(甲子園取材などで)だと言う、堂山町の一品料理屋『佳容』のカウンターに腰を下ろす。まずは生ビールで乾杯をして、食事のオーダーは岡本に一任する。でも、
「お刺身だけは食べたい」
 と、アピールすることだけは忘れなかった。
 
 僕はあまりアルコールが入ると、食が進まない男。しかし、昨夜は食欲全開であった。ホンマ、出て来る料理の全てが美味しかったのだ!
「島尻さんがこんなに食べるの初めて見ましたよ」
 岡本も僕の“ガッツキ”ぶりにビックリしていたよう。
 串揚げ、白子、鮭の粕漬けが抜群やったなぁ。あと、サービスで出して戴いたウドン。ズルズルと、一気にすすってしまった。
 当然、お酒も美味しいの一言。新潟の『八海山』を冷やでグビグビ飲む。心地良いわぁ〜♪ ホロ酔いっす。

 食べまくって、飲みまくっていただけではない。大学野球のリーグ戦前に発売になる『大学野球 増刊号』の打ち合わせもシッカリと!?
 岡本が作成して来た、企画や選手の名前がズラーッと並んだプリントに目を通す。そして、“あーだ、こーだ”言いながら、ピックアップする選手を検討した。まだ、最終決定ではないが、おおよその目安は立った。大学野球ファンの方々、乞う御期待! また、取材でお世話になる大学、監督、コーチ、選手。特に、マネージャーの皆様。御協力の程を。

「私はゴッツイ、タイガースファンなんですわ。そのうち選手を連れて来てや」
 スッカリ親しくなった『佳容』の店主・田中孝之にそう言われ、
「メッチャ美味しかったっす。また、必ず来ますわ」
 と、千鳥足で店を出た。しかし、あまりの寒さに
「もうちょこっと飲んで行きますか?」
 岡本と顔を見合わせて、『佳容』の上にある『Heatwave』というShot Barに入る。行動半径、狭いなぁ…(苦笑)。
 カップル客の多い店で、少し場違いなような気もしたが、雰囲気の良いShot Barであった。ただ、ティオぺぺを頼んだのに
「スミマセン…。ティオぺぺ、ボトルだけで中身が空っぽなんですわ…」
 おいおい、それはアカンでぇ〜!
 仕方がないので、ロッソのロックを頼む。岡本は可愛く、チョコレートをつまみにカンパリオレンジ。僕はさすがにチョコレートまでは食べることは出来なかった…。お酒飲みながらチョコレートって、胸ヤケせえへん?

 相も変わらぬ酔っ払いライターと、それに付き合わされる岡本。その後、クワントロトニックなども飲み干し、おぼつかない足取りでようやく帰宅。あ〜っ、酔った、酔った。

 岡本君、どうもごちそうさまでした。
(注:Shot Barはちゃんと僕が支払いをしましたよ。タダ酒ばかりではありません)
 また、飲み…。いや、綿密な打ち合わせをしましょう(笑)。

 今日も懲りずに“酔っ払い日記”になってしまった…。要反省。

球春の足音

2003年1月9日
 本日、半年ぶりの散髪。伸び放題、クセッ毛でグリングリン状態であった髪の毛をバッサリと。
 初めて行った美容院であったが、非常に丁寧なカットをしてくれた。頭も軽くなったし、大満足だ。しかし、メッチャ寒い〜っ…(>_<)。特に襟足が。 という訳で、帽子を購入。しばらくの間は愛用アイテムとして活躍してくれるだろう。

 明日、今年初めての取材に出掛ける。心機一転、新たなる気分で臨みたい。という意識があったんかな!? 散髪をした理由はそのあたりにあるのかも知れない。

 先日、日記にも書いた田中雅彦(近畿大)捕手へのインタビューを予定している。詳細は1月29日売りの『週刊ベースボール』(ベースボールマガジン社)の《AMTEUR BASEBALL FIELD・新主将をチェック!》に掲載。関心のある方は是非、御高覧の程を。
 また、1月11日に虎風荘への入寮を控えている林威助(タイガース)外野手も、近畿大の生駒グラウンドで自主トレに励み、汗を流しているらしい。色々と話しを聴いておきたい。

 散髪後、『Busy Bee CAFE』にてコーヒーブレイク。って言うか、ブレイクしっ放しなんやけれども…。
 昨年末に購入した『名スカウトは なぜ死んだか』(講談社/著・六車護)と、本日発売の『SPORTS Yeah!』(角川書店)を熟読。端から見れば、単なる読書にしか映らないだろうが、“仕事の一環”ということにしておいて貰えると幸い…(^^ゞ

 スポーツ新聞での野球の話題は“自主トレ”ネタで真っ盛りだ。来週、鳴尾浜やGS神戸にでも足を運んでみようかな。近いんやしね。

 大学野球ネタでは、鳥谷敬(早稲田大)内野手のネタが目に付く。既にジャイアンツ、スワローズ、タイガース、ベイスターズ、ホークスの5球団が触手を伸ばしているという情報。確かに、攻守走の三拍子揃った“ええ選手やもんなぁ”。観ていてワクワクする選手。しかも、ポジションが遊撃手であるから
「即戦力。自由獲得枠で獲りたい選手です」
 というタイガース編成のコメントも納得だ。でも、個人的な印象では、今岡誠(タイガース)内野手、井口資仁(ホークス)内野手と比較してしまうと、若干、小粒のような気がする。今岡、井口はスケールが大きかったもんなぁ。
 関西在住の為に鳥谷のプレーを観る機会は多くないだろうが、僕なりに注目したいものだ。

 球春の足音が近付いて来ている。この日記もタイトルにふさわしくしなければ。

抱負は当然、日本一

2003年1月10日
 吐く息が白い。朝の9:30過ぎに近鉄生駒駅に降り立つ。
「近畿大のグラウンドまでお願いします」
 運転手にそう告げると、やや手荒なドライビングでタクシーは走り出した。
 近畿大のグラウンドにやって来るのは何度目だろう? 見馴れた光景を眺めながら、指折り数えていると、
「今年も近畿大には、ええ選手がおるらしいですなぁ。昨日も“ブン屋”(新聞記者)さんを乗せましたよ。そうそう、よく二岡(智宏、現ジャイアンツ)も乗せたもんですわ」
 と、運転手はバックミラー越しに僕の様子を伺いつつ、話し掛けて来る。
「へぇ〜、そうなんですか」
 たいした話しの進展も見せないうちに、タクシーは近畿大野球部の開明寮に到着した。

 ロビーのソファーに座り、出して貰ったホットコーヒーをすする。ソファー横の壁一面には“卒業生名簿”のネームプレートが掲げられている。有藤通代、藤原満ら、往年のスタープレーヤーの名を筆頭に、現在も尚、プロ野球界で活躍する選手の名を幾つも探すことが出来る。
 唐突に
「あれっ、島尻さんじゃないですか」
 近畿大野球部マネージャー・古谷純一の声がする。
「おぉ、今年もヨロシク。メールと寒中お見舞い、ありがとう。でも、古谷君とここで会うなんて珍しいなぁ」
 そう、古谷はマネージャーであるのだが、普段は関西学生野球連盟(今年から副委員長)に通っていることが多いのだ。
「いやぁ、新年早々なんで、僕もたまには顔を出しておかないと(笑)。島尻さんは今日、新キャプテンの取材ですよね?」
 古谷はそう言いながら、今日のスポーツニッポン(関西版)を手渡してくれた。2面に田中雅彦捕手の記事が大きく扱われている。
『タイガース自由獲得枠候補 練習始め』
 という大きな見出しが踊っている。
「既にエライ注目されとるやないか。来るのが遅かったみたいやね」
 僕はその記事に目を通した。

「島尻さん、ドーモ、ドーモ。今年も何卒宜しくお願い致します。ちょっと僕は学校に行かなければいけないんですけれども、監督もマサヒコもちゃんと分かっていますんで」
 今度は主務の島和也がやって来る。簡単な挨拶を交わし、僕はホットコーヒーを飲み干す。そして、グラウンドへ足を向けた。

 グラウンドでは、田中雅が先頭に立ち、近畿大ナインがダッシュを繰り返していた。監督の榎本保はバックネット裏で、ドラム缶に火をくべている。
「今年もバンバン取り挙げて下さい。ホンマ、チーム全体の刺激にもなるんで、ありがたいですわ。期待の新人も入って来ますんでね」
 榎本はいつも協力的で、PR上手。話しが伺い易い監督だ。

「次、キャッチボール!」
 田中雅の快活な声が響き渡ると、近畿大ナインは入念なウォーミングアップを切り上げ、一様に汗でビッチョリになったシャツをベンチで着替え始める。
「今日はお手柔らかに。練習も早目に終わりますんで」
 田中雅は僕にペコリと、頭を下げるとキャッチャーミットをポンポン叩いた。

 僕は榎本、古谷と共に、バックネット裏のベンチに腰を掛け、練習を見守った。
 新キャプテンとしての田中雅の評価、今年のチーム構想などを、ここにも書けないような“極秘ネタ”をふんだんに盛り込みながら榎本は語ってくれた。
 話しの途中、関西学生リーグNO.1左腕の野村宏之投手が目前を通る。
「野村君、ゴッツイ体が絞れていますねぇ」
 僕が榎本に問うと、
「相当、走り込んでいますね。マジメな選手ですよ。今年も“野村頼り”になりそうですわ。そうやなぁ、野村君!」
 突然、榎本は大きな声でグラウンドの野村を呼び止める。事情の飲み込めない野村は振り返り、なんとなく僕に会釈。
 榎本は頻繁に選手へ声を掛ける監督である。
「おいっ、そこの髪型だけジャニーズJr.みたいの。散髪せえ、言うたやないかい」
「部屋でTVゲームばかり、しているんと違うか? シッカリ勉強せなアカンぞ」
「練習が始まったら、ドンドン痩せるやないか。ちゃんとメシ食うんやで」
 などと、気さくな“親父”のようにコミュニケーションを取っている。

 練習終了後、
「ちょっと毎年恒例のお参りに行って来たいんですけど。インタビューはその後でも大丈夫ですか?」
 田中雅は僕に断りを入れてから、生駒山の中腹にある宝山寺に向かった。僕は寮に戻り、インタビューの準備を。すると、タイガース7巡目指名の林威助外野手が段ボール箱を抱え、引っ越しの準備をしている。
「明日、入寮(虎風荘)なんです。精一杯に頑張りますので、今後も宜しくお願い致します」
 忙しいにも関わらず、作業の手を休めて、挨拶にやって来る。また、用意していた色紙に“一球撃命”(勝負を決める一打を放つの意味)と、沿えたサインまでも書いてくれた。是非、自慢の打撃センスで、プロの世界でも活躍して欲しい。

 予定していた田中雅のインタビューは約30分で無事に終わる。詳細は『週刊ベースボール』(ベースボールマガジン社)に掲載されるので省かせてもらうが、
「熱い野球がしたいんですよ」
 何度も語っていたのが印象的。最後には
「自分、ホンマに字がヘタクソっすからね。ちょっと恥ずかしいんですけど」
 そう前置きしながらも“日本一 近畿大主将 田中雅彦”と、色紙に今年の抱負を丁寧に書き記す。特に“日本一”という文字は堂々としていて、力強い。田中雅の想いが伝わって来ると同時に、まだ観ぬ近畿大の戦いぶりが楽しみになった。

 簡単な写真撮影を済ませると、榎本の御厚意で寮の食堂で食事をごちそうになる。ウドンと、茶碗いっぱいの白米に卵を和えたオカズ。よくよく考えてみれば、取材先、寮の食堂で食事を食べるのは初めてのこと。貴重な体験で、嬉しかった。田中雅と雑談をしながら、ボリュームのある昼食をペロリとたいらげてしまった次第である。
“ごちそうさまでした。とても美味しかったです”

 また、近畿大の食堂で食事が食べることは出来るかな???


 尚、田中雅が書いた色紙は
「自分で書いたヤツなんですけれども、戴いてしまって良いっすかね? 部屋に飾って、“日本一”になるんや。って、常に意識したいんです」
 と、部屋に持ち返られた。

Baseball Kid

2003年1月11日
 1月11日―バットを3本並べたような今日は、僕にとっての“野球初め”。
 草野球仲間の有志が甲子園浜球場に集まり、合同自主トレが行なわれた。

 僕は浦口雅広とキャッチボール。さすが、昨秋まで社会人野球の現役選手。ビュンビュンと勢いのある球を、僕のグラブに投げ込んで来る。
それにしても、不思議なものだ。浦口とは、大学時代、同時期にプレーしただけの関係。通っていた大学も違うし、特別な親交があった訳ではない。しかも、僕は典型的な“腐った選手”で、かたや、浦口は大学選抜チームや全日本の候補にも名を連ねた“スター選手”。だけど、現在は草野球という共通のフィールドを通じて、対等に!? キャッチボールまでして、1人の友人として付き合う仲だ。他愛のないことかも知れないが、
「野球をやっていて良かったな」
 と、感じる瞬間である。

 僕がノッカーとなり、軽いシートノック。各々が好き勝手に守備位置に着く。みんな、楽しそうに白球を追い掛け、野球が出来る喜びに満ち溢れているように映る。
 門田健二(スターバックス)は軽快な動きをアピール。久能令司、川北信也(共にケーズラッシュ)もにぎやかにノックを受けていれば、負けじと田口朋典、田辺美史(共にCBGBイージーズ)らも、外野のフィールドを駆け回る。

“ノッカー・島尻”は、身に染み付いた“硬球感覚”で球を打ってしまう為に“こすった”打球が多い。また、ノックバットではないので、微妙なバットコントロールが難しい。おかげで、グリップエンドが当たる左の手の平は、すぐにマメでグチャグチャになってしまった。でも、そんなにヘタクソではなかったはずだ。特に、キャッチャーフライを打つのは上手かったでしょ??? 高校野球引退後、メッチャ練習したもん(^^ゞ

 次はフリー打撃だ。浦口と僕が打撃投手を務める。浦口は150球以上。僕でも100球以上の球数は投げたであろう。新年早々、ハードな登板であった。
「俺はもう肩と肘がパンパンや。右腕、上がらへんで。浦口はどないや?」
 返事はメールで送ってチョーダイ。
尚、僕は梅原勇作(ジェイルバード)と、稲田学(大阪ガス)に死球を与える始末。相変わらずの、困った持ち味…。ホンマ、ゴメンなさいねm(_ _)m

「今年も浦口&島尻の“若手”に頑張って貰わなアカンからな」
 そのように語るCBGBイージーズの主将・奥川明に対して、
「あのぉ〜、僕等も今年で30歳になるんですけどねぇ。“若手”はちょっと無理があるでしょう」
 と、反抗するが、全く耳を傾けてくれようとしない(苦笑)。

 このような具合に心地良い汗を流した、2時間の自主トレはアッという間に終了。一度、解散をしてから、17:30よりスポーツバー・CBGBにて新年会だ。

 17:30ちょっと前にCBGBに到着すると、料理自慢のテツさん(古結哲也、野球こそしないがバスケットボールに励むCBGBの常連客)が鍋の仕込みをしている。
 テツさんは
「今夜は激辛やで。美味しいけれども、明日はみんな、トイレに直行することになるやろうなぁ。まぁ、新陳代謝の活性化やな」
 と、不敵な笑みを浮かべる。
次第にメンバーも揃い始め、“激辛鍋”を囲む。ホンマに辛い。でも、美味しい。みんな、汗を滴らせながらも、ホルモンなどの具材も豊富な“激辛鍋”に舌鼓を打つ。ラーメン、焼き飯も堪能した後は、02年度タイトル獲得者(12月16日の日記参照)のトロフィー授与式。
「予算節約で、島尻は投手部門のトロフィーを一緒にしたさかい(笑)」
 奥川の言葉通り、“最多勝&セーブ王”(通常、最多勝とセーブ王の同時受賞はありえへん!?)と、刻印されたトロフィーを受け取る。また、僕は“打点王”も獲得していたので2つのトロフィーを小脇に抱えた。1年間、草野球に励んだ御褒美だと思うと、ついつい頬の筋肉が緩んでしまう。

 トロフィーを貰えるのも非常に嬉しいことだけれども、大好きな野球というスポーツを通じて、素敵な仲間とプレー、巡り会えることは何よりの財産だ。

 奥川は“若手”と呼んでくれたが、気持ちだけはいつまでも“Baseball Kid”のまま、草野球。そして、仕事に励みたい。“ただ好きなだけ”って、いうのも素晴らしいことじゃないか! そう思いつつ、“激辛鍋”で満たされた腹を抑えて、家路に着く。

 帰宅後、早速、トロフィーをテレビの上に飾る。
「う〜ん、悪くない」
 深夜に微笑む(不気味に)僕であった。

テレビ中継

2003年1月12日
『MBS(毎日放送)選抜高校野球大会中継 大幅減』
 という記事が、昨日のスポーツ新聞に載っていた。

 90年の全試合平均5.5%をピークに、年々、低迷(02年は僅か2.8%)の一途をたどる視聴率に
「NHKと競合中継するメリットがない」(MBS・山本雅弘社長)
 と、全試合中継を準決勝戦と決勝戦に限定する決断を下した。

 僕は元々、関西の人間ではないので、高校野球のテレビ観戦はNHKで観るもの。それが常識になっていた。ところが、関西では
「春はMBS。夏はABC(朝日放送)」
 という人間がとても多いのである。

 わざわざ書く必要性もないが、僕は野球が大好きだ。プロ、アマのジャンルは問わない。また、仕事柄、野球に接する機会が非常に多い。身の周りにも筋金入りの“野球ファン”が溢れている。だから、逆に世間一般で叫ばれている“野球人気の低下”という話題に、イマイチ“ピン”と来るものがない。

「既に野球というスポーツは魅力のないソフトなのだろうか?」
「テレビ視聴者のニーズに則していないのか?」
 そう思うと、胸が引き裂かれそうな気持ちになる。力及ばないが、僕もスポーツの感動。特に、野球のドラマ、サイドストーリーを伝えることを最も得意分野としているのだから、
「お前は何の役にも立っていないよ」
 と、暗に指摘されているような気にさえなってしまう。考え過ぎかも知れないが…。


 テレビメディアは、BS、CSに加えて、今年末からは地上波のデジタル化が実施される。本格的な多チャンネル時代の到来は、一層の細分化を意味する。インターネットや、携帯電話での情報提供の普及により、試合結果などを簡単に得ることが可能。過去の視聴率というモノサシを単純に、目安にして良いものなのか? まぁ、ビジネスなのだから、尺度は必要であることは分かるけれども…。何か割り切れない。


 どれだけ、僕のようなスポーツライターの“端くれ”が役に立つか分からないが、選抜高校野球大会の素晴らしさを伝える為に甲子園球場に通い詰めたい。って、僕がテレビ中継を観ないやんか! これが視聴率を下げる原因??? いやいや、そんなことは絶対にない。大会期間中の日記を楽しみにして戴きたい。


 ちなみに選抜高校野球大会は、MBSの関連スポーツCS放送局・GAORAで完全中継されるそうだ。


 おかげさまで、この日記も3ヶ月目に突入した。記念すべき!? 10000HITも目前だ。
 諸事情で更新時間が不定期。また、薄っぺらい内容になってしまうことも多いが…。1日も落とすことがないようにだけはして行きたい。と、頑張っている次第。今後も御愛顧戴ければ幸い。

Baseball Kid パート?

2003年1月13日
 幼少時、夢中になった遊び。それはキャッチボール。
 近所に住んでいた清水さんという早稲田大工学部院生のお兄さんが、よく僕の相手をしてくれたものだ。

「よ〜し、今日も対戦チームはジャイアンツだ。1番センター松本匡史。“青い稲妻”は足が速いから、出塁させたら面倒だよ。必ず抑えるぞっ!」
 清水さんはそう言い、画用紙で作ってくれたホームベースを置く。そして、“島尻少年”は構えたミットに白球を投げ込む。あの頃の“島尻少年”はホンマに先発完投型の好投手だったなぁ。レジー・スミスから3打席連続三振も奪っていたし(笑)。原辰徳、中畑清もカモだった。しかし、前述の松本と、捕手の山倉和博にはよく打たれた。現在、冷静になって考えると、その理由が分かるような気がする。松本、山倉は早稲田大出身。清水さんも早稲田大だ。

 サイン交換という行為も幼心に面白かった。清水さんの出したサインに何度も首を振っては、“小便カーブ”ばかり投げていた。(今でも“小便カーブ”やけれどもね…)
 また、当時、プロ野球のバッテリー間では“乱数表” (試合時間遅延の原因となる理由で廃止)を用いたサイン交換をしていた。ミーハーな“島尻少年”はすぐに“乱数表”を作成。自身のグラブと、清水さんのミットに貼り付けていた記憶がある。

 僕の父親は立教中野球部在籍時に“全東京”のメンバーに選出され、日米親善少年野球大会ではレギュラー三塁手。立教大在学時も立教中野球部の監督をしており、東京都大会(1965年秋)で、チームを優勝へ導いたこともある。ちなみにこの時の立教中のエースは、後にプロ野球へ進んだ岡持和彦(東映→日本ハム、野手に転向して18年間プレー)。だから、僕は後楽園球場で行なわれるファイターズ戦に、しょっちゅう連れて行かれた。それで、“サモアの怪人”ことトニー・ソレイタの大ファンになったのである。
 って、話しが脱線しそうなので、元に戻そう。そう、父親の話しだ。
 上記したように、父親はそこそこ野球に覚えのある人間であった。そのような父親とキャッチボールをするのも“島尻少年”の大きな楽しみ。友人達の間でも
「“しまじぃ”(僕の当時の呼び名)のオヤジ、野球巧いよなぁ」
 と、もっぱらの評判であり、自慢の父親。グラブを持った父親は本当に格好が良く、
「僕もお父様(当時はそう呼んでいた)みたいに、野球が巧い大人になるんだ」
 たまの休みでノンビリくつろいでいる父親の腕を引っ張っては
「キャッチボールしようよぉ〜」
“島尻少年”はせがんでいた。そして、嬉しいことに父親はいつも相手をしてくれた。しかも、1時間でも2時間でも真剣に。

 父親との最後のキャッチボールはいつだろう?
 確か、高校に入学する直前のお正月明け。ちょうど今頃の時期である。
 自宅から車で15分程の河川敷のグラウンド。高校で野球部に入部することを決めた僕と、友人・ヤス(吉澤泰祐)の自主練習を父親は手伝ってくれたのだ。
 内野ノック、外野ノックを打ち、ティー打撃のトスも投げる。果てはフリー打撃の“バッピ”(打撃投手)までも務めた父親。そして、最後にクールダウンのキャッチボールをしていた時に
「お前とはキャッチボールしたくないよ。お父さんは手の平(グラブをはめている手)が痛い。それにお前も、もうお父さん相手では物足りないだろう。ヤス君と2人でやれば良い」
 父親はそう言って、フワリとしていたものの回転の良い球を僕の胸元に投じて、キャッチボールから抜ける。
「なんだよぉ、だらしねえなぁ。疲れたなら疲れたって、素直に言えよ。年齢だな、年齢なんじゃないの」
 ヤスと2人でキャッチボールを続けながら、僕は父親に悪態を付いたが、父親は黙ったままであった。そして、それ以来、父親とキャッチボールをした記憶は一切ない。

 今日、偶然、近所の道端で見知らぬ親子がキャッチボールをしている姿を見掛けた。祝日っぽい光景と、言ったところか。恐らく、子供は小学4〜5年生くらいだろう。僕は少しだけ歩く速度を落としながら、その親子の会話に聞き耳を立てる。
「どうやっ! ええ球やろう」
「何を言うてんねん。まだまだ“ヘナチョコ球”やないかい」
 フッと、あの日を思い出す。河川敷のグラウンドで父親が僕に投じた“最後の一球”の軌道が甦る。指先を離れ、僕のグラブに球が収まるまでのシーンがゆっくりと。
 もしかしたら、あの時の父親の
「お前とはキャッチボールしたくないよ―」
 という言葉は
「お前もだいぶ野球が巧くなったじゃないか。もうお父さんが教えることはないよ」
 の意味を含んだ、父親から僕への“キャッチボールの卒業証書”であったのかも知れない。

「気付かなくてゴメン。悪態まで付いて、申し訳なかった。やっと気付いたよ」
 早いもので、父親がこの世を去ってから、8年余りの時が流れた。僕が野球を大好きであるのは、父親の影響が多分にあるはずだ。しかも、野球を好きであることが、なんとか仕事にもなっている現実。たくさんの素晴らしい仲間にも恵まれている。
 感謝の言葉が見付からないじゃんか、お父様―。

 通りすがりの道端でキャッチボールをしていた親子。特に、子供には時間を費やしてでも感じ取って欲しい。親子でキャッチボールが出来ることの素晴らしさを。そして、いつか“キャッチボールの卒業証書”を父親から授かろう。それは、Baseball Kid にとって、最高の宝物になるのだから。

 これ以上、書き続けていると…。父親のことを思い出して、涙が溢れ出て来そうになる。今日はこの辺で御勘弁を。乱文の程、御容赦。

取材時のマナー

2003年1月14日
 所用を片付け、昼過ぎ。西宮市・鳴尾浜にあるタイガーデンに到着した。 
 既に新人合同自主トレは終わっていたのだが、球児投手、カツノリ捕手、藤原通内野手らがグラウンドで汗を流している。また、期待の2年目・桜井広大外野手は室内練習場でマシンの緩い球(カーブ)を熱心に打ち込み、快音を響かせていた。

“虎番”の記者情報によると、ルーキー達はウェートトレーニングに励んでいるらしかったが、萱島大介内野手(11巡目指名)と松下圭太外野手(12巡目指名)はティー打撃を始める為に室内練習場に現れた。
 萱島はベースランニング13.29秒の俊足らしいが、打撃に関しては少しばかり非力な印象を受けた。左打者なのだが、投手寄りの右脇が甘く、重心がフワフワしている。体の力を球に上手く伝えられていないのか、打球も鋭くない。実戦で、どのように対応して行くのか注目したいものだ。俊足という持ち味を活かす術を身に付けるのが、ステップアップへの近道になるであろう。
 一方、松下はバランスが良く、シャープなスイングをしていた。体が上下せずに回転運動がキレイ。センスの良さを感じることが出来た。肩に無駄な力が入っておらず、トップからインパクトまで、バットが最短距離で出て来る。ロングヒッターというタイプではないが、数年後にはシュアな打撃を武器に活躍しそうな予感。焦ることなく、まずは体力作りをシッカリと。

 萱島、松下がティー打撃をしている最中、カツノリが室内練習場に入って来た。萱島、松下共に
「はじめまして。新入団の―」
 と、深々と頭を下げて、挨拶をしていた姿が実に初々しかった。

 その時、メーングラウンドでは異様に肩幅の広い選手が黙々と、ランニングをしていた。外野の芝生の生えている部分をゆっくりとしたペースで。髪の毛は多量の汗で滴っている。
「40分は長いですよ。疲れました」
 ランニングを終え、肩幅の広い選手はボソッと呟いた。この肩幅の広い選手の名は久保田智之(5巡目指名)。大学時代に、トルネード投法から最速153?を叩き出したダイナミックな大型右腕だ。
 40分もの間、久保田が1人でランニングをしていたのには訳がある。入寮時にベスト体重をオーバーしていたからである。今朝のスポーツ新聞には“罰走”と書かれていた。
「今、何?あるの?」
 土井麻由実(『タイガース・アイ』リポーター)が聞くと、
「98?ですね。あと、3〜4?は落とさないと」
 大柄な体格に似合わない小さくて細い声で、久保田は応える。
「へぇ〜、島尻君より重たいんだぁ。大きいねぇ〜。でも、太っては見えないけどね」
 と、土井。ちょいちょい、麻由実ネエサン。そんな要らん情報を挟まんでもええっちゅうねん(苦笑)!
 要するに、40分のランニングは体を絞る為の特別メニューであったのだ。
「でも、食べるのが大好きなんですよ。やっぱり、肉類が好きですね。あっ、焼鳥も好きです」
 久保田も萱島、松下と同様に初々しい。語尾がとても丁寧。
 焼鳥が好きならば、お酒も“イケル口”でしょ? 僕がそう尋ねると、
「ええ、結構、飲める方だと思います」
 久保田は初めて笑顔を見せた。

「でも、ベスト体重って、結局は後付けの理屈やんね?」
 また、僕が問い掛けると、久保田は少し間を置いて、
「そうですねぇ、実際に自分も(ベスト体重は)よく分からないっすね。大学3年生の時、リーグ優勝出来なかったんです。それで責任を感じて、ハードな練習をしすぎて83?まで落ちちゃったことがあるんですよ。でも、球威はあっても、球が軽かった。だから、あまり痩せてもダメなんですよね」
 僕や土井が体重オーバーを責めない優しい人間と判断したのか、久保田の口も段々と滑らかになって来た。
「肩幅が広すぎて着る服がない。ジャージばかりなんですよ」
「夜は洗濯で大変。部屋でテレビゲーム(みんなのゴルフ)をするのが唯一の楽しみです。ゴハンの量も抑え気味にしているんで(笑)」
「早くブルペンに入りたいです。ランニングは得意じゃないけれども、ピッチングではアピール出来る。そして、開幕は絶対に一軍で迎えたい。マイペースですけれども、そういう気持ちでやっています」
 などと、語ってくれた。
 しかし、その時
「久保田投手、40分間走は終わったの? 今、何?だっけ?」
 ある記者が割り込んで来た。また、久保田は
「98?ですけど…」
 と、応える。アップシューズで地面の上をグリグリやり始め、表情も堅くなる。
「あっ、これは間違いなく退屈のサインや。同じことを何度も言うのはアホらしいもんな」
 僕が心の中でそう感じていると、土井が機転を利かせて、
「あっ、久保田投手。たくさん走った後で体が冷えてしまうね。ゴメンね、長々と」
 話しを上手い具合に中断させた。

 鳴尾浜からの帰り道、土井が
「ああやって途中から話しに入って来て、質問するのはマナー違反。島尻君はどう思う? 私は途中から入ったら、絶対に質問しないよ」
と、決して、怒ってはいないのだが力説する。土井の主張はもっともだ。

 僕は新聞記者や、土井のようなリポーターと違い、比較的、日時を決めてからの単独取材が多い。従って、そのようなことをあまり考えたことがない。しかし、取材を受ける立場の人間からすれば
「また、この質問か…」
 心の中でウンザリしている部分があるのかも知れない。まぁ、奇をてらった質問ばかりする必要もないし、どうしても外せないベーシックな質問事項もある。でも、だからこそ取材を受ける立場の人間の心情も察して、思い遣りの気持ちを忘れずに。細心の注意を払って、一方的な質問を投げ掛けない取材をしたいものだ。
“気配り、目配り、心配り”やね。

 今日は鳴尾浜に行って良かった。とても勉強になった。

鳴尾浜リポート

2003年1月15日
 今日も鳴尾浜のタイガーデンに行く。
 まず報道陣の多さに驚く。そう、新入団の伊良部秀輝投手がやって来るからである。
 顔見知りの記者が
「多分、昼過ぎになるんちゃうかな」
 そうボヤいていたが、タイガース広報の横谷聡一が
「今、伊良部から電話が入りました。塚本駅の近くを(車で)走っているそうです。30分もしたら到着しますよ」
 と、報道陣の群集に知らせる。
 まぁ、元々、僕は伊良部を観に来た訳ではないので、早々にグラウンドへ足を運ぶ。

 グラウンドでは加藤隆行投手、柴田佳主也投手、カツノリ捕手、斉藤秀光内野手らが自主トレに励んでいる。柴田はブルペンにも入った。その後、球児投手、浅井良捕手もグラウンドに現れる。
 ライトのポジション付近では、新人選手達の合同自主トレ。昨日の日記にも登場した久保田智之投手は、やっぱり、ランニングメニュー中心の練習は苦手なようだ。体も大きいし、1人だけワンテンポ遅れるので、よく目立つ。頑張れよ!
 林威助外野手は右膝に不安を抱えているので、別メニューだ。外野フェンス沿いをゆっくりと、ランニングしている。途中、僕の存在に気付いたらしく、走りながら会釈をしてくれた。焦らずに、体を作ろうな!

 昨年まで、高校、大学、社会人野球の試合で、よく顔を会わせていた山口高志新二軍投手コーチ(前年までブルーウェーブ編成)に挨拶。
「極力、毎日、来るようにしているよ。選手も、僕の顔と名前が分からんやろうしな。新人選手はスカウト時代に観ていた選手ばかりやから、とても楽しみなんだよ」
 山口は相変わらず柔和な笑顔であったが、選手の動きを見守る眼付きは真剣そのものであった。


 時計の針が、正午を少し回った時。伊良部がようやくグラウンドに登場。母校が同じ(尽誠学園高)の田中聡内野手とストレッチ、ランニング、キャッチボール、クールダウンと、軽目の練習に励む。
 それにしても、伊良部の愛想が良かったのは意外。グラウンドに入る時も報道陣の波の中を
「おはようございま〜す。ドーモ」
 と、にこやかであったし、挨拶に来る選手にも丁寧に頭を下げて応対していた。
 あと、どうでも良いことであるが…。伊良部は、ランニング中にしきりにツバを吐き出していたなぁ。遠くから観ていても、ツバの量と飛距離に驚かされたものだ(笑)。
 甲子園球場でもペッ、ぺッと、ツバを飛ばしまくるのだろうか? くれぐれも審判やファンに吐き掛けないように…。

 
 練習を終えた杉山直人投手と少しだけ話しをして(久々に)、鳴尾浜を後にした。

“野球狂”様

2003年1月16日
 昨夜は、東通り商店街(梅田)にある『酒楽亭』にて打ち上げ兼新年会。昨年末(12月28日)にOAされた『野球狂のネタ4 〜遠征』(関西テレビ)のである。
 出席者は佐藤洋介(関西テレビ)、松本浩、武市暢(メディアプルポ)、森脇尚志(オフィス元気)に僕。少し遅れて、野球博士こと江本雅朗もやって来た。桝野幸宏(オフィス元気)はやんごとなき事情で、残念ながら欠席(酒宴の途中、順位予想やニュース予言のメールあり)。総勢6人でちゃんこ鍋を囲み、例によって例のごとく野球談義(しかもマニアック)に花を咲かせる。
 ただ、ビックリしたのは『酒楽亭』の入口だ。武市が段取り良く、お店に予約を入れていたのだろうが、“歓迎 野球狂 様 御一行”の文字。一体、どんな御一行やねん???
 店員に
「御予約のお客様のお名前は?」
 と、尋ねられた際、
「野球ですけれども」
 さすがに松本も“狂”は付けなかった。しかし、よくよく考えれば、“野球です”と、名乗るのもおかしいけれども(笑)。

 その後、先日、僕が岡本朋祐(ベースボールマガジン社)と打ち合わせをしたショットバー『Heatwave』に場所を移すが、尽きることのない野球談義。
「こんなことでは社会人として失格や」
 野球以外の話題に触れてみるのだが、最終的には野球のネタに…。気が付けば、時計の針は26:00を過ぎている。僕も考えてみれば、驚く程のアルコールを体内に流し込んでいる。
 タクシーで帰宅後、即寝やった。

 また、野球を愛するメンバーで、楽しい番組を作ったり、新企画を立ち上げたいものだ。
 7時間余りも野球談義をしていたせいだろうか? 深い眠りの中でも、僕は懲りずに野球の夢を見ていた…(呆)。


 >佐藤さん、松本さん
 昨夜もごちそうになってしまいました。
 いつもありがとうございます。

がんばろう神戸

2003年1月17日
 明日(18日)、『オールド・ルーキー』がロードショーされる。
 この話しはJim Morris(以下ジム・モリス)が、史上最年長の35歳でメジャーデビューを果たした実話を映画化したもの。夢を追い求める、実現させることの素晴らしさを教えてくれる感動作という前評判だ。是非、近日中に劇場へ観に行きたいものである。

 99年9月18日、ザ・ボールパーク・アーリントンにて、夢のマウンドに立ったジム・モリス。100マイル(約160?)近いファーストボール(速球)が認められて、翌00年はデビルレイズと正式にメジャー契約を結ぶ。しかし、持病である左肘の故障で活躍することが出来ず。01年はドジャースに移籍。そして、引退となった。
 ところがである…。当のジム・モリス本人は
「引退なんかしていない」
 と、最近のインタビューで応えている。さらに、
「日本でプレーしてみたいんだ。非常に興味がある」
 とのこと。

 ジム・モリスは現在、39歳。年齢、故障歴は気に掛かるが、非常に面白い存在だ。調査を進めて、獲得に動く球団があっても良いのではないか? そんなに年俸も高くないだろうし、嫌らしい話しながら、すぐに元は取れるはずだ。


 ちょうど8年前の今日。95年1月17日の5:46に未曾有の阪神淡路大震災に見舞われた。
 大きな被害を受けた神戸を本拠地とするブルーウェーブは、“がんばろう神戸”というスローガンを掲げ、リーグ優勝。翌96年は日本一の栄冠も掴み取り、黄金期を築き上げる。あの当時、ブルーウェーブはまさに夢の象徴であった。
 10年も経っていないが、ブルーウェーブの陣容は一変。黄金期の主力選手であった選手は引退、FAやトレードなどで移籍…。また、長谷川滋利投手、イチロー外野手、田口壮外野手らはアメリカ球界へ旅立って行った。

 今シーズンのブルーウェーブを楽しみにしている。順位とかは関係ない。
 日本球界(バファローズ85〜94年、スワローズ95〜97年)で73勝を挙げ、メジャーリーグ(メッツ98〜99年、ロッキーズ00年、エクスポズ01〜02年)でも32の勝ち星を積み重ねて来たベテラン右腕・吉井理人投手の入団。
 また、ドラフト2巡目で獲得したマック鈴木(鈴木誠)投手は滝川二高を中退後にマリナーズ、ロイヤルズ、ブリューワーズ、ロイヤルズを経た(通算16勝)、異色の新人投手であるし、ドラフト7巡目指名の塩屋大輔投手もアメリカ独立リーグでプレーしている。
 ブルーウェーブが目指している“ボールパーク宣言”にマッチする“逆輸入選手”の相次ぐ入団は話題性ということもあるのだろうが、
「観てみたいなぁ〜」
 と、思ってしまう。勿論、仕事抜きで。
 無責任に言わせて貰うが、こうなったら、ジム・モリスも獲得してしまえっ! まだ150?くらいのファーストボールは放れるようであるし、左腕であるからワンポイントとしても充分に働くように思える。
 また、映画配給会社との協賛で、ジム・モリスのオリジナルグッズもバカ売れするに違いない。僕もTシャツとか欲しいもん。元来、ブルーウェーブはベタベタではない、ハイセンス及びユニークなグッズ販売には強いことであるし。
 ついでに、どうせ超満員という観客動員も見込めないのだから…!? 外野スタンドの一部を潰し、エンジェルスの本拠地・エディソン・インターナショナル・フィールドオブアナハイムのように山岳のオブジェを作る。そして、近隣の有馬温泉から源泉を引き込み、滝までも流してしまう。なんなら、温泉に入りながら、試合を観戦出来るようにしても良い。ブルーウェーブの選手に本塁打が出たら、山岳オブジェの頂上から火山のように花火をド派手に打ち上げる。
 既にGS神戸には、ファミリーゾーンなども作っているのだから、これくらいの“強攻策”もありなのでは? 日本球界のしがらみに縛られていないようで、次々と、独自の試みを見せるブルーウェーブならば許せる。ような気がするんやけれどもなぁ。

 当然、勝負にもこだわって欲しいのだが、戦力的には正直、厳しいな。と、感じてしまう部分もある。でも、ブルーウェーブには、ファンに夢を与える素地があるように感じる。かつて“がんばろう神戸”を実現させたチームなのだから。

 景気低迷に悩む日本。関西地区も、その苦しみにあえいでいる。だからこそ、夢を見て、実現させる活力をみなぎらせたプレーが観たい。もし、ジム・モリスがGS神戸のマウンドに立っていたら…。夢、あるよなぁ。そう思わへん?

プレーオフ制

2003年1月18日
「島尻さんはどこのチーム(プロ野球)が好きなんですか?」
 そのような質問を受けることが多い。って、どこかでも使ったことがある書き出しやなぁ…(苦笑)。
 現在、基本的にチームの好き嫌いはなし。子供の頃は、ファイターズとカープが好きであったのであるが、幸か不幸か試合結果で一喜一憂するような経験はなし。要するに、野球が好きなだけ。単なる野球好きの男なのだ。

 決して筋金入りのあまのじゃく、ヘソ曲がりではないのだけれども、いつからかセ・リーグ偏重である日本球界の風潮には嫌気が差していた。幼少時から、水島新司の『あぶさん』を愛読書(この漫画のせいで“酒飲み”になりました!???)にしていた影響も大きいのかも知れない。また、パ・リーグの選手の名前や略歴などを知っていることで、優越感に浸っている珍妙な男でもあった(ある???)。

“人気のセ、実力のパ”と、言われていた時代が懐かしい。
 ここ数年、ドラフト制度の変遷(逆指名権、自由獲得枠)、FAの確立などから、セ・リーグへの人材流出が顕著。“人気のセ、実力もセ”という、根っからの“パ党”としては何とも物悲しい時代を迎えてしまった。ホンマ、辛かったなぁ…。昨年の日本シリーズ。4タテを食らってしまうなんて(T_T) しかも、シーズンの観客動員数は下降線をたどる一方…。


 1月16日、この問題の解決に直結するとは思えないが、リーグ活性化の一つとして、パ・リーグが新たな具体策を発表した。
《04年シーズンから プレーオフ制導入を検討》
 まず、シーズン2位チームと、3位チームで3戦先勝(5試合制)のプレーオフを実施。そして、勝利したチームが、シーズン1位チームと、これまた3戦先勝(5試合制)のプレーオフをする。このプレーオフを制したチームがパ・リーグのチャンピオンチームとして、日本シリーズにコマを進めるという図式だ。2位チーム、3位チームが、メジャーリーグのワールドシリーズ出場を決めるワイルドカードだと思って貰えば分かり易いのではないか。

 パ・リーグは73〜82年までの10年間、シーズンを前期、後期に分ける2シーズン制を採用。前期優勝チームと、後期優勝チームが3戦先勝(5試合制)のプレーオフを行なっていた。だが、僕は73年生まれなので、このプレーオフ制がほとんど記憶にとどめられていない。辛うじて、82年のライオンズ(前期優勝)−ファイターズ(後期優勝)で、当時、ファイターズのリリーフエースであった優勝請負人・江夏豊投手がライオンズの執拗な“バント攻め”に苦しんでいたのを覚えているくらいだ。
 83年からは1シーズン制になる。但し、勝率の上位2チームが5ゲーム差以内の場合、プレーオフを実施。しかし、これは1度も実現することなく、現行のセ・リーグ同様の1シーズン制に落ち着いたのである。

 このプレーオフ制の魅力はシーズン3位のチームにもリーグ優勝の可能性が出て来ること。必然的に、これまでは消化試合の感もあった後半戦に突入しても、熾烈な攻防が繰り広げられるのは必至。ファンの目も集まり、自然と、球場に足を運ぶ契機になるだろう。また、実際にプレーをする選手達も、これまでになかった緊張感を持つに違いない。ファンを一層に魅き付ける要因になるような気がするし、短期決戦ならではのドラマチックなシーンも生まれるだろう。
 が、その反面、シーズンをブッチ切って1位チームになった価値が希薄になってしまう恐れや、選手の疲労・負担増、セ・リーグとの制度較差が浮き彫りになってしまう面も持ち併せている。しかし、パ・リーグの各監督はプレーオフ制に大きな理解を示しているらしい。プレーオフ制導入はパ・リーグの新たな一歩と、なるのだろうか?


 大学野球のリーグ戦などは例外として、日本の野球は基本的にトーナメントを勝ち抜くことが基本。そのような土壌で育まれて来たのだ。指揮官の采配や戦略、選手達のプレーで、日本野球の本質が如実に表れるはずだ。ゴッツイ楽しみである。
 ただ、シーズン中に
「3位までに入れば良いや」
 というような戦いだけは観たくない。でも、それもありなんかな? ルールに則っているのやから。まぁ、“机上の空論”では推し量れない。とにかく実施することに意味がある。

 野球がもっと面白くなるように。さぁ、頑張るのだっ!パ・リーグ!!
 プレーオフ制の導入で大逆襲なるか!?
 1月17日の日記に書いた『オールド・ルーキー』を観に行った。
 
 わざわざ映画だけを観る為に、1人で外出するのは初めてのことではないだろうか。
 昼過ぎ、阪急神戸線に乗り、三宮へ到着。考えてみれば、朝食も摂っていない。映画の開演時間まで余裕があるので、神戸国際松竹会館の前にあるマクドナルドで腹ごしらえ。

 あまりにも有名な話しであるが、東と西とではマクドナルドの呼び方が異なる。というよりは、僕の推測では、関西地区に限り“マクド”なのではないか? 関東にいた時は、絶対に“マック”やったもんなぁ。なんでなんやろう???
 よくよく考えてみれば、お店のメニューも“ビッグマック”、“マックシェイク”…。仕事で名古屋(東海地区)に行った時も、街中の女子高生が
「それじゃあ、“マック”にしようかねぇ〜」
 と、言っていたような気がする。やっぱり“マック”の方が正しいんかな?
 北海道、東北、甲信越、北陸、中四国、九州地方にお住まいの方。マクドナルドをどのように呼んでいるか、教えて戴けたら幸い。また、当のマクドナルドはどちらで呼んで欲しいのか? 是非、知りたいところである。

 そうそう、マクドナルドに字数を費やしている場合ではない。『オールド・ルーキー』の話しであった。
 まだ、観ていない方が大半だと思うので、当然、あらすじやエンディングについて言及するのは控える。って、ストーリーに展開もクソもありません。予想通りに話しは進んで行く。良い意味で“アメリカ映画”の典型と言える、サクセス・ストーリーなのでは。(あまり映画に精通している訳ではないけれども)だからこそ、安心して観ることが出来、安心して泣けます。関西人にとっての吉本新喜劇みたいなもの。ちょっと違うかな!?

 その中で、以下のことに気付かされる。
1.夢
2.家族愛、夫婦愛、親子愛
3.仲間
 これらの演出の手法が、ある種、ベタベタ感でタップリなのだが、後味の悪さを全く残さない。自然と、頬に感動の涙が伝う。ハンカチとティッシュペーパーを持っていておいて良かった。

 また、環境を表現するのも巧かったように思える。
1.深夜(恐らく)、ジム・モリスが1人で黙々と、荒れ果てたグラウンドでピッチングをしているシーン
2.ハイスクールの野球部を率いて、練習や地区リーグを戦っているグラウンドの様子
3.トライアウト、2A、3A、メジャーと這い上がって行く過程で、施設、観客の違い
 で、“アメリカン・ドリーム”という漠然としたものを、分かり易い形にしてくれている。僕はそのように感じることが出来た。


 神戸国際松竹会館を出た後、僕は思わずシャドー・ピッチングをしそうになった。観ておいて、損はない映画である。

 モリスの子供・ハンターがメッチャ良い味を出してたなぁ〜。

次の機会こそは

2003年1月21日
 僕の典型的なダラダラした1日…。
 今日中に仕上げなければならない原稿があるのだが、なかなかパソコンの前に座ることが出来ない。無駄に豆腐ハンバーグなんてものを作ってみたり、自転車に乗り、近所を散策する。怪しすぎるよなぁ…(苦笑)。
 
 いつものようにBusy Bee Cafeにて、コーヒータイム。ようやく昨年末に購入した『プロ野球裁判 日本野球の未来のために』(著・二宮清純/学陽書房)を読み終える。
 差し当たり、二宮の書いていることは正論が多い。勉強熱心で、積み上げて来た知識の量も半端ではない。読書中に何度、
「なるほどねぇ〜」
 と、唸ったことか。ただ、何と言えば(書けば)良いのだろう。二宮ジャーナリストとしての視点が強烈すぎて、ドップリと、浸ることが難しい。特に、この本は新聞や雑誌などで、過去にあった“旬の話題”について論じたことを編集したもの(書き下ろしも少々)。あまり賢くない僕は、その都度、背景を思い起こしては考え込んでしまうので、一気に読破することが出来なかったのだ。でも、非常に勉強になった…深い。(親交のある構成作家・森脇尚志のパクり!???)

 Busy Bee Cafeへ行く前に、路地でグラブを持った男の子を見掛けた。13日の日記にも登場した小学4〜5年生の男の子である。
 恐らく、今日は父親が仕事なのだろう。男の子は1人で“壁当て”に興じていた。僕もよく“壁当て”をしていたことを思い出す。

「いらっしゃいませ。ブレンドホット、砂糖とミルクなしで良いんですよネ」
 アルバイトのユウコちゃんが注いでくれた、程好く苦味が効いたホットコーヒーをすすりながら(僕は猫舌)読書に励むものの、さっきの男の子が気になって仕方がない。
「まだ1人で“壁当て”しているんかなぁ…」
 こんな怪し気なオッチャンでも良ければ、キャッチボールの相手になるべきなのか?
 3本目のハイライトに火を点けようと思ったが、僕は席を立った。
『三角ベースという言葉が死語になりつつある。キャッチボールも出来ない子供が増えている国に、野球の発展が望める訳ない』
 二宮の一文が目に飛び込んで来たのだ。
「オッチャンとキャッチボールしようか? 結構、巧いねんで」
 意を決して(そんな大袈裟なことではないが)Busy Bee Cafeを出て、早足に路地へ急いだが、既に男の子の姿はなかった―。

 次の機会こそは、男の子と絶対にキャッチボールをしよう。そして、その後はBusy Bee Cafeでジュースの一杯でもごちそうしたい。僕は野球の話しをしながら、ホットコーヒーをすする。迷惑かな!?
 そう思った次第である。

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