Baseball Kid

2003年1月11日
 1月11日―バットを3本並べたような今日は、僕にとっての“野球初め”。
 草野球仲間の有志が甲子園浜球場に集まり、合同自主トレが行なわれた。

 僕は浦口雅広とキャッチボール。さすが、昨秋まで社会人野球の現役選手。ビュンビュンと勢いのある球を、僕のグラブに投げ込んで来る。
それにしても、不思議なものだ。浦口とは、大学時代、同時期にプレーしただけの関係。通っていた大学も違うし、特別な親交があった訳ではない。しかも、僕は典型的な“腐った選手”で、かたや、浦口は大学選抜チームや全日本の候補にも名を連ねた“スター選手”。だけど、現在は草野球という共通のフィールドを通じて、対等に!? キャッチボールまでして、1人の友人として付き合う仲だ。他愛のないことかも知れないが、
「野球をやっていて良かったな」
 と、感じる瞬間である。

 僕がノッカーとなり、軽いシートノック。各々が好き勝手に守備位置に着く。みんな、楽しそうに白球を追い掛け、野球が出来る喜びに満ち溢れているように映る。
 門田健二(スターバックス)は軽快な動きをアピール。久能令司、川北信也(共にケーズラッシュ)もにぎやかにノックを受けていれば、負けじと田口朋典、田辺美史(共にCBGBイージーズ)らも、外野のフィールドを駆け回る。

“ノッカー・島尻”は、身に染み付いた“硬球感覚”で球を打ってしまう為に“こすった”打球が多い。また、ノックバットではないので、微妙なバットコントロールが難しい。おかげで、グリップエンドが当たる左の手の平は、すぐにマメでグチャグチャになってしまった。でも、そんなにヘタクソではなかったはずだ。特に、キャッチャーフライを打つのは上手かったでしょ??? 高校野球引退後、メッチャ練習したもん(^^ゞ

 次はフリー打撃だ。浦口と僕が打撃投手を務める。浦口は150球以上。僕でも100球以上の球数は投げたであろう。新年早々、ハードな登板であった。
「俺はもう肩と肘がパンパンや。右腕、上がらへんで。浦口はどないや?」
 返事はメールで送ってチョーダイ。
尚、僕は梅原勇作(ジェイルバード)と、稲田学(大阪ガス)に死球を与える始末。相変わらずの、困った持ち味…。ホンマ、ゴメンなさいねm(_ _)m

「今年も浦口&島尻の“若手”に頑張って貰わなアカンからな」
 そのように語るCBGBイージーズの主将・奥川明に対して、
「あのぉ〜、僕等も今年で30歳になるんですけどねぇ。“若手”はちょっと無理があるでしょう」
 と、反抗するが、全く耳を傾けてくれようとしない(苦笑)。

 このような具合に心地良い汗を流した、2時間の自主トレはアッという間に終了。一度、解散をしてから、17:30よりスポーツバー・CBGBにて新年会だ。

 17:30ちょっと前にCBGBに到着すると、料理自慢のテツさん(古結哲也、野球こそしないがバスケットボールに励むCBGBの常連客)が鍋の仕込みをしている。
 テツさんは
「今夜は激辛やで。美味しいけれども、明日はみんな、トイレに直行することになるやろうなぁ。まぁ、新陳代謝の活性化やな」
 と、不敵な笑みを浮かべる。
次第にメンバーも揃い始め、“激辛鍋”を囲む。ホンマに辛い。でも、美味しい。みんな、汗を滴らせながらも、ホルモンなどの具材も豊富な“激辛鍋”に舌鼓を打つ。ラーメン、焼き飯も堪能した後は、02年度タイトル獲得者(12月16日の日記参照)のトロフィー授与式。
「予算節約で、島尻は投手部門のトロフィーを一緒にしたさかい(笑)」
 奥川の言葉通り、“最多勝&セーブ王”(通常、最多勝とセーブ王の同時受賞はありえへん!?)と、刻印されたトロフィーを受け取る。また、僕は“打点王”も獲得していたので2つのトロフィーを小脇に抱えた。1年間、草野球に励んだ御褒美だと思うと、ついつい頬の筋肉が緩んでしまう。

 トロフィーを貰えるのも非常に嬉しいことだけれども、大好きな野球というスポーツを通じて、素敵な仲間とプレー、巡り会えることは何よりの財産だ。

 奥川は“若手”と呼んでくれたが、気持ちだけはいつまでも“Baseball Kid”のまま、草野球。そして、仕事に励みたい。“ただ好きなだけ”って、いうのも素晴らしいことじゃないか! そう思いつつ、“激辛鍋”で満たされた腹を抑えて、家路に着く。

 帰宅後、早速、トロフィーをテレビの上に飾る。
「う〜ん、悪くない」
 深夜に微笑む(不気味に)僕であった。

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