強肩
2003年1月30日 僕をスポーツライターの世界へと導いてくれたのは、野球評論家・金村義明である。そう断言しても良いだろう。勿論、僕自身も努力はした。でも、一歩間違えれば、その努力が見当ハズレになる恐れは多分にあった。だからこそ、本当に感謝している。
また、奥さんを筆頭に“金村ファミリー”は優しく接してくれた。金村と1対1で仕事をしていれば、正直、嫌なこともあったのは事実。それでも、金村の下で学ぼう。そう謙虚に思えたのは“金村ファミリー”のおかげである。
昨日も金村と、電話で話しをする。昨年末、一緒に『野球狂のネタ4 〜遠征』(関西テレビ)の仕事をしてから、僕としては非常に話し易くなった。まだ、とても対等とは言えないが、金村の方で
「島尻の奴、頑張っているやないか」
と、少しは認めてくれているのかも知れない。いつも忙しいにも拘わらず、丁寧に応対してくれるので安心すると共に、“やる気”が湧いて来る。
(ちなみにここまで、本文とは全く関係ない…)
さて、本題―。
野球選手にとって、人並み外れて“肩が強い”、“足が速い”というのは、非常に大きな武器となる。
“肩が強い”選手のことを、日本では一般的に“強肩”。あるいは“鉄砲肩”などと呼ぶ。僕が学生であった頃は“バリ肩”(読み方はバリケン)や“鬼肩”(読み方はオニガタ)とも言っていたような気がする。
アメリカでは“ストロング・アーム”と呼ぶのが通例であるが、イチロー外野手(マリナーズ)の矢のような返球が
「まるで“レーザー・ビーム”のようだ」
と、形容されたのも記憶に新しい。
僕も“強肩”な方であった。いや、厳密に言うと、筋力的に恵まれていたので、遠投などが苦手でなかった。ただ、それだけの話しである。
大学1回生時、僕のキャッチボール・パートナーは1年間、変わることがなかった。通常ならば、3ヶ月サイクルでパートナーのチェンジがあったのと言うのに。
キャッチボール・パートナーであった最上級生・小林哲也内野手(現・JR西日本人事部)は地肩が強いタイプ。球にスピンを与えるとかは問題でない。近い距離でのキャッチボールから、
「最初はもう少し手加減して下さいよぉ〜」
そう手を合わせてお願いしたくなるくらいに一切加減のないビシバシ、ビュンビュンと、勢いのある球を投げ込んで来る。そして、段々と、距離が伸びて行っても球の勢いは衰えるどころか増すばかり。シュパーッと、球は唸りながら僕のグラブに吸い込まれる。まぁ、実際に小林は球を投げる度に
「シュパーッ!」
と、叫んでいたのだから大爆笑。僕も若さに任せて、小林に負けじと
「ビシーッ!」
という掛け声で返球していたのだが、いかんせん筋力のみが生命線。僕は肩の後部よりも前部の筋力が極端に強かった為、ちょっと無理をしてしまうと、すぐに痛みを覚えていた。そして、小林には聞こえないように
「コバとまともに勝負したらアカンわ」
と、小さい声で愚痴っていたものである。
一概には言えないのだろうが、僕はそのような経験をしているので、“強肩”という能力は天性のものが大きいと、思っている。地道にトレーニングを積み重ねた結果、ある程度の伸び、成長は見込めるだろうが、到底、地肩が強い人間には簡単に勝てっこない。スポーツマンシップに反した、諦めの境地であるかも知れないけれども、これは一つの真理である。地肩の強い人間が同じトレーニングを積めば…。考えただけで恐ろしい。
前述したイチローと田口壮外野手(カージナルス)がブルーウェーブ時代、試合の合間に行なっていたキャッチボールは、非常に魅力的であった。このパフォーマンスを目の当たりにするだけで、入場料の元は取れる。そう言っても過言ではなかった。
また、僕の観て来た中では、中嶋聡捕手(今シーズンからベイスターズ)は別格中の別格。
試合中に盗塁を刺すべく、中嶋が二塁に送球する。マウンド上のプレートをスレスレで通過した球が、ベースカバーに入った松井稼頭央内野手(ライオンズ)が膝元に構えたグラブに収まる。信じられないが、球は失速するどころかホップしているのである。スコット・マクレーン内野手(ライオンズ)が
「中嶋ノ投ゲル球ハ“クレイジー”ダ」
と言い、後ろに逸らしてしまうのも頷ける。
昨シーズン、大学野球の試合を観戦していて圧巻であったのが、近畿大の大西宏明外野手(→バファローズ)と田中篤史外野手(→松下電器)の2選手。
大西は実戦で“強肩”を何度も披露してくれた。
02年10月28日、明治神宮大会関西代表決定戦の1回戦(西京極球場、対 阪南大)5回表。1死走者2塁の状況で、阪南大の選手が中堅前に安打を放つ。近畿大の中堅手・大西は好ダッシュでこの打球をさばくと、田中雅彦捕手にダイレクトのストライク返球で補殺を記録。阪南大の貴重な先制点を阻止した。
この試合、近畿大は3−4の僅差で破れこそしたが、大西のこのプレーがなかったら、もっとワンサイドゲームになっていたのではないか? そう思わせる程、価値のあるビッグプレーであった。大西はプロの世界でもきっと“強肩”をアピールしてくれるだろう。
田中篤の場合は、高校時代(平安高)に投手をしていただけのことはあって、“強肩”に加えて、コントロールとスピードも際立っていた。
右翼手・田中篤の前に打球が転がり、返球しようとするだけで、他チームの三塁コーチャーは警戒。両手を大きく広げて、走者にストップの指示を出す。まぁ、試合前のキャッチボールやシートノックでの田中篤を観ていたら、そんな気持ちにもなってしまう。
キャッチボールでは、パートナーの後輩がボテボテのゴロを返球するのに対して、田中篤はユッタリとした腕の振りで、100?以上の距離を難なく投げる。シートノックでは、低い軌道で素早いストライク返球を連発。プロ球団のスカウト陣に
「外野手させておくのは勿体ないわ。投手で獲りたいくらいやで」
と、言わせる程。松下電器では、投手に再転向するという噂もあるが、あながちあり得ない話しではない。2年後、投手でドラフト候補に名前を連ねていたりして!???
野球の試合で醍醐味(=見せ場)はたくさんある。豪快に放たれる打者の本塁打に、バッタバッタと三振の山を築く投手。それに匹敵するくらいに“強肩”も魅力に溢れている。今シーズンは何度、そのようなシーンに遭遇することが出来るだろうか? そう考えると、早くも胸が踊る。
僕が“強肩”であったならば―。
もしかしたら、どこかでまだ本格的にプレーを続けていたかも。ってことはないか…。
また、奥さんを筆頭に“金村ファミリー”は優しく接してくれた。金村と1対1で仕事をしていれば、正直、嫌なこともあったのは事実。それでも、金村の下で学ぼう。そう謙虚に思えたのは“金村ファミリー”のおかげである。
昨日も金村と、電話で話しをする。昨年末、一緒に『野球狂のネタ4 〜遠征』(関西テレビ)の仕事をしてから、僕としては非常に話し易くなった。まだ、とても対等とは言えないが、金村の方で
「島尻の奴、頑張っているやないか」
と、少しは認めてくれているのかも知れない。いつも忙しいにも拘わらず、丁寧に応対してくれるので安心すると共に、“やる気”が湧いて来る。
(ちなみにここまで、本文とは全く関係ない…)
さて、本題―。
野球選手にとって、人並み外れて“肩が強い”、“足が速い”というのは、非常に大きな武器となる。
“肩が強い”選手のことを、日本では一般的に“強肩”。あるいは“鉄砲肩”などと呼ぶ。僕が学生であった頃は“バリ肩”(読み方はバリケン)や“鬼肩”(読み方はオニガタ)とも言っていたような気がする。
アメリカでは“ストロング・アーム”と呼ぶのが通例であるが、イチロー外野手(マリナーズ)の矢のような返球が
「まるで“レーザー・ビーム”のようだ」
と、形容されたのも記憶に新しい。
僕も“強肩”な方であった。いや、厳密に言うと、筋力的に恵まれていたので、遠投などが苦手でなかった。ただ、それだけの話しである。
大学1回生時、僕のキャッチボール・パートナーは1年間、変わることがなかった。通常ならば、3ヶ月サイクルでパートナーのチェンジがあったのと言うのに。
キャッチボール・パートナーであった最上級生・小林哲也内野手(現・JR西日本人事部)は地肩が強いタイプ。球にスピンを与えるとかは問題でない。近い距離でのキャッチボールから、
「最初はもう少し手加減して下さいよぉ〜」
そう手を合わせてお願いしたくなるくらいに一切加減のないビシバシ、ビュンビュンと、勢いのある球を投げ込んで来る。そして、段々と、距離が伸びて行っても球の勢いは衰えるどころか増すばかり。シュパーッと、球は唸りながら僕のグラブに吸い込まれる。まぁ、実際に小林は球を投げる度に
「シュパーッ!」
と、叫んでいたのだから大爆笑。僕も若さに任せて、小林に負けじと
「ビシーッ!」
という掛け声で返球していたのだが、いかんせん筋力のみが生命線。僕は肩の後部よりも前部の筋力が極端に強かった為、ちょっと無理をしてしまうと、すぐに痛みを覚えていた。そして、小林には聞こえないように
「コバとまともに勝負したらアカンわ」
と、小さい声で愚痴っていたものである。
一概には言えないのだろうが、僕はそのような経験をしているので、“強肩”という能力は天性のものが大きいと、思っている。地道にトレーニングを積み重ねた結果、ある程度の伸び、成長は見込めるだろうが、到底、地肩が強い人間には簡単に勝てっこない。スポーツマンシップに反した、諦めの境地であるかも知れないけれども、これは一つの真理である。地肩の強い人間が同じトレーニングを積めば…。考えただけで恐ろしい。
前述したイチローと田口壮外野手(カージナルス)がブルーウェーブ時代、試合の合間に行なっていたキャッチボールは、非常に魅力的であった。このパフォーマンスを目の当たりにするだけで、入場料の元は取れる。そう言っても過言ではなかった。
また、僕の観て来た中では、中嶋聡捕手(今シーズンからベイスターズ)は別格中の別格。
試合中に盗塁を刺すべく、中嶋が二塁に送球する。マウンド上のプレートをスレスレで通過した球が、ベースカバーに入った松井稼頭央内野手(ライオンズ)が膝元に構えたグラブに収まる。信じられないが、球は失速するどころかホップしているのである。スコット・マクレーン内野手(ライオンズ)が
「中嶋ノ投ゲル球ハ“クレイジー”ダ」
と言い、後ろに逸らしてしまうのも頷ける。
昨シーズン、大学野球の試合を観戦していて圧巻であったのが、近畿大の大西宏明外野手(→バファローズ)と田中篤史外野手(→松下電器)の2選手。
大西は実戦で“強肩”を何度も披露してくれた。
02年10月28日、明治神宮大会関西代表決定戦の1回戦(西京極球場、対 阪南大)5回表。1死走者2塁の状況で、阪南大の選手が中堅前に安打を放つ。近畿大の中堅手・大西は好ダッシュでこの打球をさばくと、田中雅彦捕手にダイレクトのストライク返球で補殺を記録。阪南大の貴重な先制点を阻止した。
この試合、近畿大は3−4の僅差で破れこそしたが、大西のこのプレーがなかったら、もっとワンサイドゲームになっていたのではないか? そう思わせる程、価値のあるビッグプレーであった。大西はプロの世界でもきっと“強肩”をアピールしてくれるだろう。
田中篤の場合は、高校時代(平安高)に投手をしていただけのことはあって、“強肩”に加えて、コントロールとスピードも際立っていた。
右翼手・田中篤の前に打球が転がり、返球しようとするだけで、他チームの三塁コーチャーは警戒。両手を大きく広げて、走者にストップの指示を出す。まぁ、試合前のキャッチボールやシートノックでの田中篤を観ていたら、そんな気持ちにもなってしまう。
キャッチボールでは、パートナーの後輩がボテボテのゴロを返球するのに対して、田中篤はユッタリとした腕の振りで、100?以上の距離を難なく投げる。シートノックでは、低い軌道で素早いストライク返球を連発。プロ球団のスカウト陣に
「外野手させておくのは勿体ないわ。投手で獲りたいくらいやで」
と、言わせる程。松下電器では、投手に再転向するという噂もあるが、あながちあり得ない話しではない。2年後、投手でドラフト候補に名前を連ねていたりして!???
野球の試合で醍醐味(=見せ場)はたくさんある。豪快に放たれる打者の本塁打に、バッタバッタと三振の山を築く投手。それに匹敵するくらいに“強肩”も魅力に溢れている。今シーズンは何度、そのようなシーンに遭遇することが出来るだろうか? そう考えると、早くも胸が踊る。
僕が“強肩”であったならば―。
もしかしたら、どこかでまだ本格的にプレーを続けていたかも。ってことはないか…。