正直、シンドイ…

2003年1月22日
 映画を観に行った際に、風邪でも伝染ったのだろうか? どうも調子が悪い。喉が痛い。扁桃腺が腫れている。ツバを飲み込むのも苦しい。当然、タバコも吸う気になれない。食欲もない。微熱あり。ケンカの仲直り、未だに目処立たず。
「正直、シンドイ…」(堂本剛風に???)


 鳴尾浜タイガーデンに行くつもりであったが、断念。

 近畿大野球部のHPが1月20日に開設されていた。早々に予定表と選手名鑑のUPを!

 タイガース・今岡誠、球団史上最高7,850万円増の1億2,000万円(推定)で契約更改。代理人効果!? 謎だ…。

 ブルーウェーブ・谷佳知、1月26日にYAWARAちゃんこと田村亮子と結納予定。

 大阪ドーム、新人工芝に張り替え。工期は2月16日から26日の見通し。

 ドジャース、身売り話し急加速。

 などなど


 ゴメンナサイ。今日はこの辺で御勘弁を…m(_ _)m

再会(前編)

2003年1月23日
 昨日、手抜き日記…を更新した後も、しばらくの間ゴロゴロ。喉の調子も回復の兆しを見せ始め、お腹も空いて来た。ゆで卵をパクツキつつ、ボーッと、テレビを観る。
 最近、14:00〜 再放送の『愛人の掟』(ABC)はさり気なくチェックしている番組。もう中堅女優の域に差し掛かっている!? 主演の水野真紀がどうも気になってしまうのだ。
 関西圏の方は分かると思うのだが、テレビメディアにおける水野の露出は、それはもう半端ではない。その大方は、大阪ガスのコマーシャルなのであるが、常に役柄は“キレイな若奥様”といったところ。これは、かつて“キレイなお姉さん”として、パナソニック(松下電工)のコマーシャルに出演していたイメージの延長だろう。
 また、『魔法のレストラン』(MBS/毎週木18:55〜)の影響も大きいように思える。どう考えても、水野は番組を仕切るキャラクターではないのだが、ホステス(あくまでも司会進行役)となり、ゲストを迎える。そして、清楚感が溢れるエプロン姿で、手際良く料理やデザートをササッてな具合に作り上げてしまう。聞けば、水野の趣味は料理。女優業を一時休業してまでも、料理留学していたと言うではないか。
 この戦略!? はズルイ。30歳目前の独身男にはビンゴやわ。きっと沢口靖子で学んだんやろうなぁ、東宝さん。同じ失敗は繰り返さんと。水野の売り出し方は間違っていない。『スチュワーデス刑事』(フジテレビ/金曜エンタテイメントのシリーズ)では、財前直美の脇を固める準主役扱いではあるが、水野に“萌え”を抱いている男も少なくないはずだ。僕も既に“萌え”の寸前まで来ている…。


 さて、そろそろ本題に入ろう。まぁ、こんな感じに平日の昼下がりを過越していたのだが、
「これでは今日、何もしないで終わってしまうやんか」
 と、気付かされる。東宝の術中にハマっている場合ではない。すぐに着替えて、家を出た。

 行先は市立西宮高。僕の家から、自転車で6〜7分もあれば到着する。
 あまりにも有名であるが、甲子園(夏の選手権大会)の開閉会式の際にプラカードを持って、行進の先導役を務めるのが市立西宮高2年生の女生徒。これに憧れて、入学を希望する女生徒が多いという話しも聞く。
 公立校ながら、野球部もこれまでに甲子園出場3回(63年第35回選抜大会、63年第45回選手権大会、第36回選抜大会の3季連続)。また、昨秋の秋季兵庫県大会でも、39年振りにベスト8入りを果たし、近畿・兵庫県の“21世紀枠”にも推薦された。

 市立西宮高の監督・徳山学は93年第65回選抜大会で、川西明峰高を甲子園に導いたことがある。なぜ、それを知っているかと言うと(別に高校野球オタクではない)? 実は、僕と徳山は面識がある。何度か西宮北口近辺の飲み屋で一緒になっていたのだ。
「是非、ウチのグラウンドにも遊びに来て下さいよ。今のチームは“ド根性”で頑張っていますから」
 そのように、いつも徳山は声を掛けてくれていたのである。

 15:40〜 練習開始。まだ冬場のトレーニング期間なので、球児は全員、ジャージ姿。各自でウォーミングアップを済ませると、内外野別れてのノック。そして、監督の徳山がグラウンドに現れると、外野手が走者になって、投内連携のノックが始まった。
「例年はもう少し仕上がりが遅いんやけどね」
 ノックを終えて、汗をぬぐいながら徳山が僕の方へ歩み寄って来た。
「確かに、この時期に投内連携はまだ早いですよね」
 僕が相槌を打つと、
「2月にウチで審判講習会があるんですよ。その時にポロポロやってる訳にもイカンでしょ。だからですわ」
 と、仕上がりが早い理由を説明。

 その後、徳山は練習方法や目的、中心選手などを教えてくれる。その時、僕の目前を1人の球児が横切った。
「あっ、関口君や。拓君やわ」
 心の中で確信した。
 関口拓は現在、高校1年生で、市立西宮高の野球部に所属。僕は彼の小学生時代を知っている―。


 大学生の時、僕は腰椎椎間板ヘルニアを患い、西宮市民病院に入院していた。
 6人部屋の病室は、僕を除いては皆、2〜3日で退院して行く軽症の患者ばかり。長くても、せいぜい1週間。入院生活2週間程度で、僕は病室の主になってしまった。
 左隣のベッドが空いたと思っていたら、すぐに次の入院患者がやって来た。無精ヒゲの大男で、熊みたいであった。でも、表情はすごい柔和。
「関口って、言いますねん。すぐに退院する予定やけれどもヨロシク〜」
 明るい声で挨拶された。僕も簡単に初対面の挨拶を済ませるが、この陽気で大柄な男を知っているような気がする。
「関口、関口…。えっ、もしかして、野球選手だった。なんてことは?」
「すごいなぁ、自分。僕のことを知っているなんて。ちょっとだけピッチャーやってました。阪急でね」
 
 78年、江川卓の“空白の一日”問題で、ジャイアンツはドラフト会議をボイコット。その時のブレーブス(現在はオリックスに譲渡、ブルーウェーブ)1位指名が関口朋幸である。同期入団には石嶺和彦、山森雅文らがいた。
 関口のプロ野球での成績は下記の通り。
 実働12年、158試合、12勝15敗13S 防御率4.18
 ドラフト1位選手としては、いささか物足りないかも知れないが、12年間もプロの世界で生き抜いて来たのは立派の一語に尽きる。

 関口は引退したものの、現役時代から悩まされていた肘の軟骨(俗に言うネズミ)除去手術をする為に入院。
「いやぁ、右肘が伸びなくてねぇ。顔も洗えないし、歯も磨けない。本当は手術なんかしたくないんだよ。コワイからねぇ」
 だが、仕事(スポーツ用品の代理店と、記憶している)にも支障があるので、手術を決意したと言う。
 関口は入院時の宣言通り、入院3日目には手術。手術後2日でスピード退院した。それでも、週に2回程の検査に訪れて来る度に病室を覗いてくれて、お見舞いの品を持って来てくれた。その関口の後ろにいつも引っ付いて来ていたのが、歩、拓、大の3兄弟。関口自慢の息子達であった。

 僕もやっと2ヶ月余りの入院生活を終えた。それからも関口。いや、関口家との交流は深まって行った。
「狭い家だけどさぁ、ゴハンだけはタップリ食べさせてあげるよ。いつでもおいで」
 関口家は奥さんのお母さんも同居していたので、6人家族。6人分の食事を用意するのも、7人分の食事を用意するのも変わらない。と、毎日のように招いてくれたのだ。
 また、食事だけでなく、時間がある時は、歩、拓、大3兄弟の少年野球の練習にも手伝いに行くようにもなった。
 当時、小学6年生の歩、小学4年生の拓とは、よくキャッチボールをしたものである。

再会(後編)

2003年1月24日
 僕は大学を卒業して、社会人になった。配属先は埼玉県の浦和市(現・さいたま市)。とてもお世話になった関口朋幸と連絡こそ取っていたが、次第にその間隔が開いて行く。お互いに遠いところに住んでいるし、それぞれの生活があるのだから、仕方のないことかも知れない。
 それでも、示し合わせた訳でもないのに3〜4ヶ月に1度は、どちらかが電話連絡をすることで、親交は途絶えなかった。

「今度、引っ越すことになったんだよ。メチャクチャ近所なんだけどね。島尻君は元気で頑張っているかぁ?」
 関口から電話を貰ったのは6月の中旬過ぎ。僕は3年と少しばかり勤めた会社を辞めることを決意していた。
「自分、今月末日で会社辞めるんですよ。まだ漠然としているんですけれども、“スポーツライター”を目指そうと、思っています」
「そうかぁ、一大決心をしたね。こっち(西宮)に来ることはないの? また、ゆっくりと話しながら、美味しい酒をガバガバ飲もうよ」
「学生時代の友達も何人かは西宮にいるんで、遊びに行く予定っす。その時は必ず連絡しますんで、大酒飲みましょう! 奥さんや、歩、拓、大にも会いたいですよ。大きくなっているんだろうなぁ」
「あぁ、みんな、大きくなっているよ。でも、勉強はオヤジに似て、アカンみたいやなぁ(笑)」
 他愛もない会話であったが、僕は関口と再会の約束をしたのであった。しかし、僕は関口と大酒を飲むどころか、話しすら―。

 7月に入って間もなく。僕は予定通り、西宮へ向かった。早朝、笹目通りを経由して、環状八号線へ出る。しかし、環八は既に大渋滞。用賀インターに着くまでに、2時間近くも要してしまった。
 東名高速道路を走り始めてからは順調であった。かつての愛車、ブラック(色コード202)のハリアー3.0は西へ、西へ、進む。鼻歌はPet Shop Boysの『Go West』からドリフターズの『西遊記』になっている。
 ニンニキニキニキ ニンニキニキニキ ニシンが三蔵〜♪
 我がことながら、無職の身であるのに“お気楽”な奴だ。

 浜名湖のSAにて30分ばかりの休憩を挟んだだけで、その後も快調に車を走らせる僕。
 ちょうど正午を過ぎたくらいの頃、栗東のSAに着き、2度目の休憩。
「このまま行ったら、15:00前には西宮に着いてしまうなぁ。関口さんは仕事中だろうから、家の方に電話しておくか」
 僕はブツブツ呟きながら、携帯のメモリーで“関口朋幸自宅”を探す。通話ボタンを押してから6回目くらいのコールで、電話は繋がった。
「あっ、奥さんですね。ごぶさたしております、島尻です。数日前に関口さんにもお伝えしたんですけれども、西宮に遊びに行くんです。って、実はもう滋賀県まで来ているので、あと2〜3時間もしたら着いてしまいますね」
 みんなに久々に会えると思い、興奮していたのだろうか? 僕は一気にまくし立てた。
 すると、奥さんは。僕と全く逆で、静かな口調で
「あぁ、島尻さん。お久し振り…」
 と、切り出してから、ゆっくりと話し始めた。
「あのねぇ、主人…。一昨日、死んでしまったんですよ…。急なことで私も…」
 声にならない声であったが、ハッキリと聞き取ることが出来た。
「一昨日、死んでしまったんですよ…」
 僕はすぐに電話を切り、車のエンジンを掛けた。ハンドルを握る手の平は汗でベッチョリになっている。関口に引っ越し先の大体の場所は聞いていた。アクセルをベタ踏みして、何が何だか分からないまま西宮へ急いだ。

 関口の自宅には14:00をちょっと回った頃には到着した。
 奥さんに促されて、新居の玄関に入ると、かすかな線香の匂いがする。
 一番奥の和室には、いかにも人の好さそうな満面の笑顔を浮かべた関口の遺影が、仏壇の前に立て掛けられている。交通事故であったらしく、遺体はまだ病院だと言う。
 まだまだ心の整理が付かなかったが、関口の死を、改めて実感する。遺影と対面すると、涙が止まらない。

 三男・大が学校から帰って来た。でも、状況が状況であったので、話しらしい話しも出来なかった。
「名前の通り、大きくなったね。僕のこと、覚えているかな?」
 それくらいしか言えなかった。

「歩は市立西宮高の野球部に入っています。拓は甲陵中の野球部です。2人共、今日は練習に出ると、言っていましたよ」
 奥さんは絞り出すような声で教えてくれた。僕はもう1度、遺影の前で手を合わせた後、市立西宮高と甲陵中へ車を走らせた。
 
 歩は市立西宮高野球部の1年生。初めての県大会予選を前にして、練習に励んでいた。でも、練習を観ている限り、ベンチ入りのメンバーには入っていないようだ。もっぱら練習のサポートをしている。
 しばらくして、歩がバックネット裏に面した道路にいた僕の存在に気付く。帽子を脱ぎ、一礼して来た。頭は青々と刈り込まれた坊主頭になっている。
「残念だけど、お父さんのことは聞いたよ」
 そのように伝わったかどうかは不明であったが、僕は歩の礼に応え、市立西宮高のグラウンドを後にした。

 次に、拓が通う甲陵中。車を止める場所に困りはしたが、なんとか野球部の練習をネット越しに観ることが出来た。しかも、拓は練習中にも関わらず、僕の方までやって来て、
「島尻さんでしょ?」
「そうだよ。今、お父さんに挨拶して来たよ。拓、歩兄ちゃんとお母さんを支えてあげるんだよ」
 拓は目に涙をいっぱい浮かべて、大きく頷いた。

 あれから、3年余の歳月が流れた。
 1度だけ、歩、拓、大に宛てた手紙を書いたが、以来、関口家のみんながどのような日々を送っているかは分からなかった。
 また、僕は西宮に引っ越して来てから約1年が経つけれども、挨拶に行きそびれてしまっている。たかが1駅しか離れていないのに…。

 拓も兄・歩と同様、市立西宮高で白球を追い掛けている。そのことを、突拍子もなく市立西宮高に訪れたことで知る。そして、ヒョロヒョロと、背が伸びた拓と再会出来たことは“運命的”という言葉を使っても良いに違いない。
 大学時代、僕のことをメチャクチャ可愛がってくれた関口。その恩返しという訳ではないけれども、これを契機にもっと市立西宮高の練習や試合を観に行きたいと思う。
 偉そうなことを言える立場ではないが、1人の高校球児。また、男としての拓の成長が楽しみになった。
 ここ数日間。時折、晴れ間を覗かせることはあるが、基本的に関西地方の天候はグズついている。空はいつもドンヨリとしたネズミ色で、おまけに薄ら寒い。そりゃ、インフルエンザも流行る訳やわ。僕も依然、咳だけが止まらない…。スカッと、晴れ渡った空の下で、草野球でも楽しみたいものだ。そうすれば、きっと風邪も全快するに違いない!?


 市販されている野球のスコアブックを、最後まで使い切った試しがない。
 僕の書く文字が大きいということもあるのだろうが、なんだかマス目がチマチマしているので記入し難いのだ。
「そんなに小さい字は書けへんし、選手交代が多い試合はメッチャ困る」
また、装丁だけはシッカリしている場合が多いのだが、それが裏目となりバラバラになってしまうことが多い。
「何度、布ガムテープで補強すればええねんっ!」

 昨年はフジテレビ・スポーツ部のスコアブックを愛用していた。TBSやMBSのスコアブックも使用してみたが、やっぱりフジテレビのスコアブックが一番。何が良いって、マス目がデカイ。
 僕は金村義明(フジテレビ野球解説者)のマネージャーをしていたし、フジテレビのアナウンサー・八馬淳也とも親交がある。
「ゴメン、CX(=フジテレビ)のスコアブックが欲しいねん」
 と、電話かメールをすれば、簡単に入手出来る。
 でも、フジテレビのスコアブックも装丁が立派すぎるんやな…。
 
 フジテレビのスコアブックは“better”でこそあるが、“best”ではない。そこで、僕はオリジナルのスコアブック。いや、スコアシートだな。遂に作成を決意したのである。(決意って程のことではないが…)
 ただし、作成と言っても、つたない知識と技量を駆使して、Excelで作る代物。第三者から見れば、“チャチイ”かも知れないが、僕の願望、理想を形にすることが出来るのは魅力的だ。

「ああでもない、こうでもない」
 そうボヤキながら、パソコンの画面を睨んで奮闘。そして、2時間近く費やして、記念すべき第1弾のオリジナル・スコアシートが完成した。すぐにプリントアウトして、しばらく悦に浸る。
「いいねぇ〜、いいんじゃないのぉ〜♪」
 両手を挙げて、自画自賛。しかし、冷静になり、納得出来ない点があることに気付かされる。それは、ボールカウントを記入する欄だ。

 市販のスコアブックを手にしたことがある人間は分かるだろうが、ボールカウントを記入する欄は恐ろしいくらいにスペースが確保されていない。ストライク、ボール、ファールだけをチェックするならば、○、●、― 程度で済む話しだ。しかし、空振り、見逃し、球種、ファールの方向なども書き込もうとすると、◎、△、▼、□、◆、\、/…。記号も心持ち大きくなってしまう。さらに、打者がファールで粘った場合は、必然的に球数が増える。球数が10球以上になれば、あの狭いスペースはグチャグチャに。ボールカウントを書き込む気持ちは急速に萎えてしまう。

 まぁ、僕はプロ球団のスカウトや大学野球部のマネージャーをはじめ、知人と話しをしながら試合を観戦することが多い。だから、ボールカウントの記入を諦めている時もあるが、本音はシッカリ観たいんだな。1球、1球に集中して。

 Excelの新しいシートに“スコア改訂版”と名前を付けて、再度、スコアシート作りに励む。今度は要領を得ているので、1時間も掛からずに完成した。
 ボールカウント記入欄にも大きくスペースを割き、マス目も入れた。球数が18球以内(打者はそれ以上、粘ってはイケナイ!?)ならば、ノープロブレムである。とりあえず、今のところは大満足だ。

 今年はこのオリジナル・スコアシートを携えて、仕事(野球観戦)に出掛ける。早くスコアを付けながら、野球を観たい。シーズンの到来が待ち遠しくて仕方がない気持ちでいっぱいだ。ただ、観戦を重ねる毎に
「ここは改善の余地があるな」
「この項目も必要かも知れん」
 などと、改める箇所も多数出て来るはずだ。そう、まだ“better than”の比較級なのである。限りなく“best”に近い、最上級のスコアシートが完成する日を待ち望む。その為には、地道に球場へ足を運ばなくてはならない。望むところだっ!


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王冠グニャリ

2003年1月26日
 関西大に素晴らしいスライダーを投げる投手がいた。当時、関西大のショートストップであった浦口雅広曰く
「守備位置から見ているやんか。右打者の背中に向かっていた球が“キュッ”と曲がって、外角ギリギリにズバーンって、決まりよんねん。同じチームで良かった。いつも、そう思っとたな。あんなん打てへんで」
 という証言がオーバーでないくらいに、キレ味が鋭い“鬼スラ”(鬼のように曲がるスライダー)であった。
 その投手は“鬼スラ”を武器に、最終学年時の95年春季リーグ戦開幕カード・同志社大1回戦で、ノーヒットノーランを達成する。これで関西大は波に乗り、その後も連戦連勝。見事にリーグ優勝を果たした。投手はリーグ優勝の大きな原動力となり、ベストナインと最優秀選手に輝いている。


 バファローズの岡本晃は昨シーズン、大車輪の働きであった。
 本来はセットアッパーであるが、シーズン前半戦は故障で出遅れた守護神・大塚晶文の代わりにクローザーの役割をも務めた。監督推薦で、オールスター戦にも出場している。

 シーズン中、GS神戸にて。
「大活躍やなぁ」
 久々に会う岡本にそう声を掛けると、
「もうバテバテやで。精神的にもキツイし。好きなビールもあんまり飲まれへんねん」
 ウォーミングアップを終えて、シャツを着替えながら岡本は意外な本音を漏らす。そして、
「大学の時の方がスライダーもよう曲がっていたんやけれども、コントロールが良くなったのと、経験でカバーしているだけやな」
 と、付け加えた。

 話しは変わるが、岡本はビールの王冠(キャップ)をいとも簡単に右手の親指と中指だけでグニャリと、潰すことが出来る。
「単に力があればええ訳でもないねん。上手く言えへんけれども、コツがあんねん。誰でも出来んで。えっ、スライダーと関係があるかって? それはないんちゃうか」
 岡本は笑い飛ばした。

 昨夜、瓶ビールを飲みながら、そのことを急に思い出した。そして、卓上で無造作に散らばっている王冠の一つを手に取り、潰そうと試みる。
 中指と親指だけでは無理であったが、人差し指を沿えると、王冠は潰れた。確かに、コツみたいなものがあるような気はした。ヤミクモに力を入れると、指の腹に王冠の周囲のギザギザが食い込み、痛いだけだ。包み込むようにジワジワと、力を加えて行くと、王冠はちょうど直径の辺りで半分に折れ曲がる。でも、何度、試してみても、親指と中指だけで潰すことは出来なかった。
 コツはあるけれども、やっぱり、ある程度の握力は必要。それが最終的に出た結論であった。

 王冠を潰す荒業は“鬼スラ”とは関係ない。ヤンワリと、否定した岡本。しかし、それは非常に疑わしい!??? そう感じながら、王冠を潰すことに夢中になって、スッカリ飲み忘れてしまっていたビールを一気に喉へ流し込んだ。
「あっ…。メッチャぬるなってるやん…」
 これから王冠を潰すのは、ビールを飲み終えてからにしよう。

チリも積もれば

2003年1月27日
 そもそも生まれてから、日記なんぞ書いたことがなかった。せいぜい、小学生の時に夏休み限定で書かされていた“インチキ日記”(宿題)くらいではないだろうか。(書いているやんかっ!)それが30歳を目前にして、毎日(一応)日記を綴っている。普通、ありえへん。まぁ、内容はともかく…^_^;
 おかげさまで『野球ノ歩キ方』も10,000HIT数を超え、その後も順調。ハイペース!??? でカウンターは伸びている。最近では
「リンクしたいんですけど」
 と、声を掛けて戴けることも多くなった。“無料日記”のスペースを借りている身としては、相互リンク出来ずに申し訳ないのですが…。ホンマ、ありがたい。
 また、色々な御意見も寄せられる。一番、多いのが
「長すぎるねん…」(集英社・K氏など)
 である。やっぱり、長いよなぁ。でも、W(文字数)とL(行数)を気にせんと自由に書けるのは、この日記くらいやねん。御勘弁の程を。

 原稿用紙―モノカキの必需品!? として、僕も一応、持っている。
 取材で大学に行けば、生協に立ち寄り、補充することを忘れない。なんせ、モノカキの必需品!? やからね。でも、実際、原稿用紙はメモ帳の役割しか果たしていないのが現状だ。そう、僕は原稿用紙に文章が書けないモノカキなのである。
 依頼された仕事はWord で作成。そして、メールに添付するか、プリントアウト→FAXのどちらかで入稿となる。
 パソコンソフトの利点は、バックアップが容易で、W(文字数)とL(行数)を揃え易いこと。そして、何度でも修正が可能という点が挙げられる。
 コピー、カット、ペーストを使えば、気に入ったフレーズをどこにでも置くことが出来る。また、文章全体に納得が行かなければ、deleteボタン一つで、ゼロから書き直せる。原稿用紙であったならば、ゴミ箱はすぐに原稿用紙で埋もれることになるだろう。
 あと、文章を体系的に学んだことのない僕は、そりゃもう、誤字脱字が多い…。それは『野球ノ歩キ方』でも露呈している。コッソリ直しているけれども。これでは、いくら原稿用紙を購入しても足りまへん…。
 だから、悲しいかな原稿用紙はアイデアやアウトラインを殴り書きするメモ帳にしかなっていない。外出先で1度こっきり、原稿用紙に書いて、担当編集者に手渡したことがあるくらいだ。

『野球ノ歩キ方』もWord を使っている。そして、これまでに書き溜まってしまった分量は120ページ余り。400字詰原稿用紙に換算すると、約360枚に相当する。このペースで書き続ければ、1年で1,400枚を優に超えることになる。う〜ん、我がことながら、これは衝撃の事実。原稿用紙1,400枚って、どんだけの量やねんっ!!!

“チリも積もれば山となる”とは、こういうことを言うのだろう。一気に“山”を書き上げることは不可能。“チリ”であっても、チマチマ、コツコツとでも書き続けることは僕の力になる。そう信じて、今後も“チリ”を書いて行こうと思う。お付き合い戴ければ幸い。


 1日の喫煙量を30本とする。
 30本×30日=900本
 900本×12ヶ月=10,800本
 10,800本×12年=129,600本

 次に、1箱=20本、250円で
 129,600本÷20本=6,480箱
 250円×6,480箱=1,620,000円

“煙と灰も積もれば〜”
 また、違った意味で衝撃やわ…。

鼻テープ

2003年1月28日
 遂に来やがった! 魔の季節が…。
 僕はバリバリの花粉症。もう、かれこれ15年くらいの付き合いになる。

 眼が異常に痒くて、涙が止まらず…眼球を取り外して、洗ってしまいたい衝動に駆られる。
 鼻水はとめどなく溢れ出て来て、Always 鼻詰まり状態。
 クシャミも連発で、腹筋痛や背筋痛にまで見舞われる。
 コーヒーを飲んでも、味、香りも分からへん始末や…。

 上記の症状が、既に出ている。昨年は同志社大に取材へ行った際、“爆発”したっけなぁ。

「今年は花粉の飛散量が多いです。花粉症の方は注意して下さい」
 毎年のように、ニュースなどで聞くフレーズだ。全く逆の
「今年は花粉の飛散量が少ないです。花粉症の方は御安心下さい」
 というのを、1度で良いから、聞いてみたいものである。マジで。

 という訳で、この時期になると携行品が必然的に増えてしまう。
・目薬(「来た〜っ!」by 織田裕二 古っ…系)
・点鼻薬
・鎮痛剤(時折、偏頭痛を覚えます)
・マスク
・サングラス
・ティッシュペーパー(本音は箱ごと持ち歩きたい)
・ハンドタオル(ハンカチでは物足りない)
・眼球洗浄液(さすがにこれは持ち歩かないか…)
・ガム、飴(鼻スースー系;余談ではあるが、ネイティブな関西人は飴のことを“飴ちゃん”と、呼ぶ。何でやねんっ?)
などなど…。
 あっ、あと、忘れてはならないのが鼻テープ。(正式名称はブリーズライト)
 これは、テープの中がプレート状になっており、鼻の上に貼り付けておくだけでプレートが元に戻ろう(真っ直ぐになろう)とする。これにより鼻腔が少し拡がって、呼吸が楽になるというスグレモノなのである。
 イビキの解消、緩和にも効果を発揮するようであるし、陸上の長距離ランナーなども愛用。ただ、見た目がなぁ…。

 一応、〈目立ち難いタイプ〉ということで透明の鼻テープも売ってはいるんやけれども、逆に
「お前、鼻に何を貼っ付けとんのやっ!!」
 と、周囲から突っ込まれそうなことは必至。だから、僕は〈ノーマルタイプ〉の肌色を使用しているのだが…。近頃、僕は“中華系人民帽”をよく被っているうえに、この鼻テープ。どう見ても、尋常ではない。
「Dragon Ash かなんかを意識しているん?」
「いやいや、花粉症やから。鼻の通りが悪いんで〜」
 ここ数日間で、何度、この会話が成立したことか…。

 2月を迎えれば、取材に出掛ける機会も多くなる。僕に会う大半の人々は、顔の“ど真ん中”に貼り付けられた鼻テープに大いなる疑問を抱くだろうが、どうか放っといてチョーダイ!
 って、無理な話しやな。だって、メッチャ変やもん…やっぱり。


 SUPER BOWL、面白かったなぁ〜♪
 バッカニアーズ 48 ― 21 レイダース
 バッカニアーズ、ラン、パス共に良かったし、インターセプト(5回だったかな?)も多かった。祝・SUPER BOWL 初優勝!!


 今回の『Sportiva』03年3月号(集英社)
 僕は寄稿していないけれども、読み応えがあったなぁ〜♪
 『10番』特集に、連載モノの『スポーツのスはストーリーのス!』(重松清)。
 あと、投稿モノの『あめごん』、連載漫画『よしあき』(小田原ドラゴン)はハズせへんね。


 明日29日発売
『週刊ベースボール』(ベースボールマガジン社)2月10日 第5号
“AMTEUR BASEBALL FIELD”〈新主将をチェック!〉にて
 田中雅彦捕手(近畿大)の記事を寄稿しております。
 機会がございましたら、是非、御高覧下さい。

 
 昨日(1月27日)の日記
 550HIT以上/1日
 一体、何があったんや???
 どこかで紹介された訳でもないし(・・?)
 謎は深まるばかり…(゜〇゜;)

大学野球の取材

2003年1月29日
 インターネットでSANSPO.COMをチェック。集英社・K氏の指示!? により、タイガースに関連する情報を“隅から隅まで”読み漁るのが日課となっている。そのような時に、ベースボールマガジン社の岡本朋祐から、携帯電話に連絡が入る。『大学野球 増刊号』(ベースボールマガジン社)の正式な取材依頼だ。目の前にあったコピー用紙に、岡本が挙げる取材対象選手を殴り書き。結構、多いなぁ…誠にありがたい。

「念の為にメールかFAXで、リストを送った方が良いですかね?」
 と、岡本。
「大丈夫、大丈夫。ノープロブレムっす。ちゃんとメモったんで。あとは日程調整とW(文字数)L(行数)だけヨロシク頼みます〜♪」
 って、結局は
「リストを送ってチョーダイ」
 という応えになっているな。ちょっと反省…。
 
 まぁ、現時点で、どの選手を取材するかは明記する訳にも行かないので…。
 差し当たり、取材に出掛ける学校だけ、列挙しておこう。

 近畿大
 同志社大
 立命館大
 関西大
 京都大
 龍谷大
 大阪経済大
 愛知学院大

 ってな感じである。
 これに関西学生リーグ、関西六大学リーグの展望が加わる。

 他にも個人的に注目している選手や学校、トピックスはあるのだが…。全てを取り挙げるのは非常に困難。御容赦の程を。

 取材期間は2月下旬〜3月上旬。原稿の締切は3月10日前後になる予定だ。
 今後、『野球ノ歩キ方』でも、随時、取材時のエピソードなども盛り込んで行きたい。そう考えているので、“大学野球ファン”(特に関西圏)及び“大学野球ファン・デビュー”を目論んでいる方は必読でっせ!
 また、メッチャ気は早いけれども、今秋のドラフト候補選手も多いので、その辺の情報網としてもチェックして貰いたい。

 乞う、御期待!
 って、これを“手抜き日記”と、言うんやろうなぁ…(苦笑)。
 尚、明日は【強肩】をテーマに書きます。

強肩

2003年1月30日
 僕をスポーツライターの世界へと導いてくれたのは、野球評論家・金村義明である。そう断言しても良いだろう。勿論、僕自身も努力はした。でも、一歩間違えれば、その努力が見当ハズレになる恐れは多分にあった。だからこそ、本当に感謝している。
 また、奥さんを筆頭に“金村ファミリー”は優しく接してくれた。金村と1対1で仕事をしていれば、正直、嫌なこともあったのは事実。それでも、金村の下で学ぼう。そう謙虚に思えたのは“金村ファミリー”のおかげである。
 昨日も金村と、電話で話しをする。昨年末、一緒に『野球狂のネタ4 〜遠征』(関西テレビ)の仕事をしてから、僕としては非常に話し易くなった。まだ、とても対等とは言えないが、金村の方で
「島尻の奴、頑張っているやないか」
 と、少しは認めてくれているのかも知れない。いつも忙しいにも拘わらず、丁寧に応対してくれるので安心すると共に、“やる気”が湧いて来る。
(ちなみにここまで、本文とは全く関係ない…)


 さて、本題―。
 野球選手にとって、人並み外れて“肩が強い”、“足が速い”というのは、非常に大きな武器となる。

“肩が強い”選手のことを、日本では一般的に“強肩”。あるいは“鉄砲肩”などと呼ぶ。僕が学生であった頃は“バリ肩”(読み方はバリケン)や“鬼肩”(読み方はオニガタ)とも言っていたような気がする。
 アメリカでは“ストロング・アーム”と呼ぶのが通例であるが、イチロー外野手(マリナーズ)の矢のような返球が
「まるで“レーザー・ビーム”のようだ」
 と、形容されたのも記憶に新しい。

 僕も“強肩”な方であった。いや、厳密に言うと、筋力的に恵まれていたので、遠投などが苦手でなかった。ただ、それだけの話しである。
 大学1回生時、僕のキャッチボール・パートナーは1年間、変わることがなかった。通常ならば、3ヶ月サイクルでパートナーのチェンジがあったのと言うのに。
 キャッチボール・パートナーであった最上級生・小林哲也内野手(現・JR西日本人事部)は地肩が強いタイプ。球にスピンを与えるとかは問題でない。近い距離でのキャッチボールから、
「最初はもう少し手加減して下さいよぉ〜」
 そう手を合わせてお願いしたくなるくらいに一切加減のないビシバシ、ビュンビュンと、勢いのある球を投げ込んで来る。そして、段々と、距離が伸びて行っても球の勢いは衰えるどころか増すばかり。シュパーッと、球は唸りながら僕のグラブに吸い込まれる。まぁ、実際に小林は球を投げる度に
「シュパーッ!」
 と、叫んでいたのだから大爆笑。僕も若さに任せて、小林に負けじと
「ビシーッ!」
 という掛け声で返球していたのだが、いかんせん筋力のみが生命線。僕は肩の後部よりも前部の筋力が極端に強かった為、ちょっと無理をしてしまうと、すぐに痛みを覚えていた。そして、小林には聞こえないように
「コバとまともに勝負したらアカンわ」
 と、小さい声で愚痴っていたものである。

 一概には言えないのだろうが、僕はそのような経験をしているので、“強肩”という能力は天性のものが大きいと、思っている。地道にトレーニングを積み重ねた結果、ある程度の伸び、成長は見込めるだろうが、到底、地肩が強い人間には簡単に勝てっこない。スポーツマンシップに反した、諦めの境地であるかも知れないけれども、これは一つの真理である。地肩の強い人間が同じトレーニングを積めば…。考えただけで恐ろしい。


 前述したイチローと田口壮外野手(カージナルス)がブルーウェーブ時代、試合の合間に行なっていたキャッチボールは、非常に魅力的であった。このパフォーマンスを目の当たりにするだけで、入場料の元は取れる。そう言っても過言ではなかった。
 また、僕の観て来た中では、中嶋聡捕手(今シーズンからベイスターズ)は別格中の別格。
 試合中に盗塁を刺すべく、中嶋が二塁に送球する。マウンド上のプレートをスレスレで通過した球が、ベースカバーに入った松井稼頭央内野手(ライオンズ)が膝元に構えたグラブに収まる。信じられないが、球は失速するどころかホップしているのである。スコット・マクレーン内野手(ライオンズ)が
「中嶋ノ投ゲル球ハ“クレイジー”ダ」
 と言い、後ろに逸らしてしまうのも頷ける。

 昨シーズン、大学野球の試合を観戦していて圧巻であったのが、近畿大の大西宏明外野手(→バファローズ)と田中篤史外野手(→松下電器)の2選手。
 大西は実戦で“強肩”を何度も披露してくれた。
 02年10月28日、明治神宮大会関西代表決定戦の1回戦(西京極球場、対 阪南大)5回表。1死走者2塁の状況で、阪南大の選手が中堅前に安打を放つ。近畿大の中堅手・大西は好ダッシュでこの打球をさばくと、田中雅彦捕手にダイレクトのストライク返球で補殺を記録。阪南大の貴重な先制点を阻止した。
 この試合、近畿大は3−4の僅差で破れこそしたが、大西のこのプレーがなかったら、もっとワンサイドゲームになっていたのではないか? そう思わせる程、価値のあるビッグプレーであった。大西はプロの世界でもきっと“強肩”をアピールしてくれるだろう。
 田中篤の場合は、高校時代(平安高)に投手をしていただけのことはあって、“強肩”に加えて、コントロールとスピードも際立っていた。
 右翼手・田中篤の前に打球が転がり、返球しようとするだけで、他チームの三塁コーチャーは警戒。両手を大きく広げて、走者にストップの指示を出す。まぁ、試合前のキャッチボールやシートノックでの田中篤を観ていたら、そんな気持ちにもなってしまう。
 キャッチボールでは、パートナーの後輩がボテボテのゴロを返球するのに対して、田中篤はユッタリとした腕の振りで、100?以上の距離を難なく投げる。シートノックでは、低い軌道で素早いストライク返球を連発。プロ球団のスカウト陣に
「外野手させておくのは勿体ないわ。投手で獲りたいくらいやで」
 と、言わせる程。松下電器では、投手に再転向するという噂もあるが、あながちあり得ない話しではない。2年後、投手でドラフト候補に名前を連ねていたりして!???

 野球の試合で醍醐味(=見せ場)はたくさんある。豪快に放たれる打者の本塁打に、バッタバッタと三振の山を築く投手。それに匹敵するくらいに“強肩”も魅力に溢れている。今シーズンは何度、そのようなシーンに遭遇することが出来るだろうか? そう考えると、早くも胸が踊る。


 僕が“強肩”であったならば―。
 もしかしたら、どこかでまだ本格的にプレーを続けていたかも。ってことはないか…。

“記者バッジ”

2003年1月31日
 僕はフリーランスのライターである。
 聞こえは良い!?のだけれども、社会的に弱いこと、弱いこと…(T_T)
 まぁ、ここで具体例を挙げたところでキリがないし、どうにかなる問題でもない。また、単なる愚痴になってしまうので…あえて、述べる必要もなし。そのようなことは、独立する時から分かっていることなんやからね。

 でも、どうしても羨ましく思え、喉から手が出る程に欲しいモノがある。それは“記者バッジ”だ。
“記者バッジ”とは、日本スポーツ記者協会が発行するモノ。日本スポーツ記者協会の加盟社は日本新聞協会、民間放送連盟に加盟する新聞、通信社、テレビ、ラジオ局と規定されており、個人の資格でバッジが発行されるのは、長い間会員として実績を残した記者が定年退職した場合に認められる「会友」のみ。会員については社員という規定はなく、プロ野球OB、ライターなども評論家契約をしている加盟社を通して会員登録が可能。(デイリースポーツ大阪本社編集局報道部/沼田信彦部長の説明を要約)
 ということで、僕は“記者バッジ”を保有していない。

 この“記者バッジ”の効力は絶大。“記者バッジ”を持っていることで、ジャンルを問わない国内のスポーツ会場に出入りがOK(野球の場合、オールスター戦、日本シリーズなどの“ビッグイベント”は例外)で、当然、“入場料”は不要。
「ええなぁ〜、羨ましいぞっ!」
 って、別に“入場料”をケチっている訳ではないが、僕のように野球だけで年間170試合以上も観ることになると…。その額は恐ろしいくらいに膨れ上がる。“入場料”を払わないで済むのならば、それに越したことはない。これが本音やね(やっぱり、ケチやんか…)。

 また、
「今日はあの球場にでも行ってみるか」
 と、ゲリラ的な行動も取れることに加えて、大きな魅力は“関係者以外立入禁止”とされているところにも入って行ける。これも“関係者以外立入禁止”の場所へ、好奇心で潜入したいのではない。やっぱり、取材者として情報を発信するには、そこを出入りする必要も生じて来るからだ。

 それでも、僕は恵まれている方だ。運が良いことに、ソコソコの頻度で雑誌社から取材依頼を受けて、こなしている実績がある。そして、雑誌社もキチンと取材申請をしてくれるので、“取材パス”は発行される。ゲリラ的な行動でない限りは不自由していない。
 さらに、大学野球の取材などは、各校のマネージャーや連盟委員の配慮下、ある程度の制約こそあるが、ほぼ“顔パス”状態である。ホンマにありがたい。

 そんなこんなで、今年も僕は“記者バッジ”がない。
 ということで、人脈を活かして???
「どうにかならないっすかねぇ? フリーランスの人間はどうすれば?」
今日は方々に連絡を入れた。ベースボールマガジン社、タイガース・竹内孝行、ブルーウェーブ・砂川廣樹…。
 仮に、ある球場限定のモノであっても“取材パス”を入手出来るのならば、キチンとした手順を踏んで手続きするつもりだ。それが無理ならば、あらゆるコネを駆使してでも…!???
 もう、このような準備、心配をする時期になった。“球春”もそう遠くない。一歩、一歩、確実に近付いている。

「あぁ、それにしても“記者バッジ”欲しいよぉ〜!! どこかに誰かの落ちてへんかな?って、落っこちている訳ないやんかっ!」
 尚、“記者バッジ”を紛失してしまった時は…エライことになるらしい。
「始末書どころの話しでは済まない」
 と、“記者バッジ”保有者は皆、一様に口を揃える。持っていない方が気楽かな!???

 とにかく、日本スポーツ記者協会加盟社から評論家契約して貰えるくらいは頑張らないと!まぁ、評論家を目指してはいないんやけれどもねぇ…(^^ゞ

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